【私ヒストリー②小学校の入学式の日のこと】

こんにちは。あおきまさよです。月星座が乙女座です。月の欠損に興味を持ち、乙女座の視点から、私の人生を語ったところで誰にも役立ちはしないだろうと、今まで思っていました。そして、幼少期の文を書き終わった時に気づきました。これは、だれでもなく、私自身のために書いているのだと。私は、その時の気持ちをもう一度眺める旅の途中。自分の歴史を辿ることで、何気なく背負い続けた大きな感情を下ろすことができるんだ。そんな気がしています。

泣き虫で、虚無感いっぱいのゴム人形みたいな幼少期の私は、W小学校の1日入学を終え、そのままW小学校に入学するのだと思っていた。

しかしここから、漫画みたいな展開が待っている。

入学式当日、私は朝早く車に乗せられ、どこだか知らない山奥へ連れて行かれた。

木が生い茂り、川が勢いよく流れ、鳥たちが鳴いていた。眩しい坂道をずっと登って行ったのを覚えてる。

私は赤い上下のフォーマルな服を着せられて、山奥の小さな建物に連れられて行った。

お父さんとお母さんが私の行事に出席したのは、これが最初で最後だった。

私は、なんの報告も受けず、突然この学校に入学した。この日、同級生と言われる仲間は私も入れてたったの6人だった。

たった6人でも、なれた顔は誰もいない。私は入学式の間ずっと、放心していた。話しかけられれば泣いていた。

絶望なんかしてはいない。ただ怖かった。お父さんもお母さんも、同級生たちも、先生も、張り付いた笑顔をしている。私と同じ形をしているように見えてはいたが、私は私の視覚を信じなかった。長い間、信じなかった。私がみているものは全て、間違いに違いないと思ってた。

入学式が終わり、私はまた車に収納された。黙っていた。父も母も黙っていた。沈黙は友達だった。もっと昔から私の信じているものは沈黙だけだった。

車が止まり、ドアが開き、知らない家のベルを鳴らす父。この時すでに、母の姿はなかった。

知らない家から、知らないおばさんが出てきた。父は玄関先でおばさんと話した後、私に一言言った。

『今日からここがおまえのうちだ。』

父は晴れやかな顔をしていた。

『さよなら』私はそう思った。悲しくはなかった。悲しくないといけないはずだとも思った。なぜ悲しくないのだろうとも思った。

知らない家の子供になるのだとは思わなかった。ここにも同じ形の何かがある。私は変わらずにすべて恐ろしく、自分の視界を信じなかった。

ひとつだけ、この家のNさんに話しかけられた時は泣かなかった。不思議な人だった。

Nさんは、たぶん天然パーマで剛毛タイプ。つまり、天然でアフロに見えた。性別は女性。玄関先では長い着物のような羽織を着ているが、脱ぐと下には紫のレオタード姿。顔のほりが深く、色黒。後にアイヌの血を引くものと聞く。

今だったら、なんて貴重な出会いだったんだろうと思うけれど、当時の私はさっぱりで、挨拶もろくにできないゴム人形みたいな子供だった。

私は恐怖以外の感情がわからないからっぽの塊みたいに、Nさん一家と共に暮らすことになった。

時折お父さんが迎えに来ては、どこかに帰った気はしたけど、そこが私が実家と呼んでいる場所ではなかった。どこに行っていたのか、誰と過ごしていたのかは覚えていないが、そこが安心できる場所ではなかったことは確か。思い返せば、私には安心という概念がなかったのだと思う。生まれてからずっと、安心を供給されずに、恐らく生命力のみで、野生動物のように眠り、機械的な食事を誰かの手によって与えられ、自閉して、他の干渉を避けるために、また溜まったものを排泄するように泣き、遠ざけることで、自分の命だけを保っていたのだと思う。

言い方を変えれば、私は外から見れば、おかしな子で、安心も愛も求めず、育てる方にしては大変だったのだろう。父と母にも弁護をつけておく。

Nさんは時折、子守唄のように言っていた。

『あんたのいいところは、誰にも負けないくらいの生命力。それをわかってくれる人は少ない。でもそのままマイペースに生きて行きなさい。そのまんまでいいのよ』

Nさんのうちには、味方のお化けがいて、Nさんを助けてた。Nさんは、ジャズダンスの先生をしていて、二階は部屋の全部が鏡ばりのジャズダンスのスタジオだった。一階にいる時は、訪ねてくる人たちの苦労話を聞きながら、味方のお化けを呼んで、除霊をしていた。たぶん訪ねてくる人は、それを知らなかったけど。

除霊が終わると、Nさんは、新聞紙を広げて、アフロに丁寧にくしをいれて、頭皮や髪の毛からいろいろなものを落としていた。溜まると厄介なものをうちは払う場所だと言っていた。

ジャズダンスのスタジオは結界のようなものだからと、尋ね人が来る時は、Nさんの子供たちをスタジオを通って奥の部屋に行くように促していた。

私は何も言われずに、Nさんが除霊をするのを眺めていた。一度だけ『具合悪くないのかい?』とまともな声かけをされたが、私が首を振ると、それきり。私の存在はくる人の誰にも見えていないようだった。誰も挨拶や面倒な声かけをしてこなかったので、私は助かっていた。不思議にも思わなかった。Nさん一家も、私を空気のように、景色のように扱い、何をするときでも、私に手伝いを求めたり、【一緒に】という言葉を使わなかった。

人間生活において、Nさんが私にしてくれていた行動はどういうことなのだろう?私にとっては楽だったが、普通の人間の視点に立てば、大変だったんじゃないだろうか。

記憶を辿ると、あれ?私、いなかったんじゃない?と思ってしまうほど、私には【視点】しかない。私目線という視点しかない。私という存在に触れる人がいなかった。だから、事実、居なかったのかもしれない。

そっと除霊をするNさんだけが、私の存在に気付いていたんじゃないかと。妄想をすれば、私は意識がない状態が続いていて、その時にエネルギー体で旅をしたんじゃないか。とか。現状は動いているけど、実際ゴム人形みたいになっていて、魂は外に出ている、とか。

ある日Nさんが突然もらい受けてきた、交通事故で片足をなくした犬、チャッピーを連れてきてから、私は友達ができた気がした。毎日の記憶に【音】が付属される。チャッピーのエサ入れの隣にご飯を運んで、私はご飯を食べ、眠りにつく。

笑い声や家事の音、車のエンジン音とか太陽の日差しの音。朝が来ることに希望を知った。

情動のすべては、生きるものの原動力だと思う。それを知らなかった幼少期。私は今ここの音を知り、生きようとする当たり前の鼓動を知り、この体に私という名前がついていて、それは、私のためではなく、誰かのために何かを伝えるためだと思った。

全身全霊で存在している形は、それだけで一つの象徴である。私がいることの意味などない。それを強く持ったまま、私は肉体に降りて行った。

Nさんありがとう。と、私は言っただろうか。

学校での日々の情景に続く。

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