犬山の神社に行ってきました22(鳥羽浦龍神八大龍王 洞穴の祠と若宮神社)

ずーーーっと気になっていた

本宮山にある洞穴です。

ひょっとしたら「信貴山(しぎさん)の洞穴」とう言いかたが正確かも

しれません。

洞穴の中には、龍神様がいらっしゃいました。

洞穴の中はひんやりと暗く(当たり前ですが)、大人2人が

横になれるくらいの広さです。

高さはそれ程ありませんが、洞穴の中で声を出すと

結構反響していました。

時折落ちる水滴の音も意外と大きく響きます。


ここは「山姥伝説」に関連する場所と

されています。

山姥は「山で暮らす民の女性」であり、当然人間です。



彼らは山に住み、

蔑称・差別されてきた民で、

戸籍を持たない民で、

一説では移動しながら小集団で生活する民で、

官憲用語で「サンカ」と呼ばれていた民です。

独特の言葉やネットワ-クを持っていたとも言われます、

もちろんこれは私見なので証拠も

なにもありませんが、そう取るのが普通です。



八大竜王様は洞穴の外にいらっしゃいました。

これは山姥がいたとされる昔には

なかったと思います。

何故なら上記でも述べた通り、一説では独自の文字や言葉を

使っていたとか。

ということは漢字は使っていなかった。

彼ら山の民に信仰心があったのかわかりませんが、

あったとすれば、こちらが近いかもしれません。

また太陽や火などの自然崇拝もあったと推測します。

今でこそ「差別」そのものはかなり少なくなりましたが、

当時はそれこそ昭和の中頃まで至る所で顕著に差別が

ありました。

それが江戸時代やもっと遡れば平安時代では

山の民などは人ではなく、天狗や鬼や蜘蛛などと蔑視され

てきた。

平地に住んでいなかった民は、それこそ

「陸でなし(ろくでなし)」とでも言われていたんだと

思います。

朝廷や争いで総てを奪われ、山に逃げ込んだ祖先もいたでしょう。

村を追われ、生きるために山の民になった人もいるでしょう。

そこから脈々と近代まで受け継がれてきた生活様式は、

変化していく時代の中で消えていったのでしょう。

その思いをしっかりと受け止めながら

お祈りさせていただきました。

ただこの場所はとても清々しく気持ちが良かったです。

心の安らぐ場所、

こういうところが本当のパワースポットなんで

しょう。



その後、


こちらも気になっていた

若宮神社へ行きました。

駐車場もなく、いつも大縣神社の帰りでは、

うっかり通り過ぎてしまいます。


ご祭神はわかりませんが、

若宮とは、一般的には「本宮(ここでは大縣神社)」の御子神を祀る神社

なので、ここもそうなのかもしれません。

大縣神社は「大荒田大神様」がご祭神となっていますが、

私は「姫の宮」こそが大縣神社の本質だと思って

いますので、姫の宮に祀られている

玉姫様

の御子神様がここの祭神なんだと推測します。

おや?横に何かが・・・・左の方・・

よく見ると

こ、黒龍八幡大権現・・様・・。

ここにも龍神様がいらっしゃいました。

黒龍  八幡  大権現

凄い名前です。

これは次に行く神社は八幡様にしようと思います。

丁寧に掃除もされていました。

地元の方に大切にされている証拠です。



余談ですが

若宮神社から徒歩1分、

歩道橋の下にある神社?です。

情報は何もなく、神社名も

ご祭神も不明です。

一応ご挨拶はしましたが、賽銭箱はまだ

新しいですね。

昭和13年にこれが造られたと判別できます。

吉野儀三郎?というかたが奉納した

と微かに読めます。

マップで調べても「祠」

としか書いてありませんでした。


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