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自分の誕生日の日には誰か大切な人にプレゼントしよう

1月の末に人知れず誕生日を迎えました。


なぜ人知れず…というのかというと、そもそも僕は昔から自分の誕生日を祝ったり祝われたりするのがイヤだったので、できるだけ人に知られないようにしてるんです。


ではどうして嫌いなのかというと、答えはシンプルです。


歳をとるから…


です。



昔、禅の有名なお坊さんにこんな人がいました。



あ、槇原敬之ではありません。


一休宗純


そう、とんちの一休さんです。


彼はこんな言葉を残しています。



門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし



これは、正月の門松はめでたいものとされていますが、門松を飾るたびに一つずつ年をとり、死に近づくので、死への道の一里塚のようなものだ


という意味で、これまさに誕生日と同じことでしょ。



だから、自分の誕生日って祝う気になれないんです。

やっぱ死ぬのが怖いんでしょうね。




ところが、こういう方も多いです。


「俺、誕生日なんだ。お祝いよろしく!」

なんてアピールして、プレゼントを要求したり、祝ってくれないとふてくされたりする人。


誕生日とは、その人をお祝いすべき日なんだと日本人は認識している方が多いようです。



でもね、


ある日、僕、師匠から言われたんです。


誕生日は、祝ってもらう日ではなくて、感謝する日なんだよ…

って。


ここまで生きてこられたのは誰のおかげですか?

自分一人で生きてきたんですか?

産んでくれた親がいて、愛情をかけてくれる親がいて、支えてくれる仲間がいて…

いやいやそれだけじゃありません。

生きるためにあなたが食べてきたご飯、お米を作ってくれた農家の方、魚を獲ってきてくれた漁師の方、肉をさばいてくれた方、服を織ってくれた職人さん…

多くの方のおかげで、今こうして生きていられるんでしょ。


1年に1度でいいから、その節目である誕生日には、まわりの人に感謝をすべき日にしたらどう?って。



まさに目からウロコ、そして自分が恥ずかしく思ったことを覚えています。



つまり、こういうことですね。

誕生日はプレゼントをもらう日ではなくて、まわりの人にプレゼントを与える日じゃなくっちゃいけないんですよ。



もう、誕生日を随分と過ぎてしまってから今頃、トイレ掃除をしていてふとそんなことを思い出してしまったので、忘れないうちに書き留めようと思った次第です。

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