サイコパスは幸せになれない説

いろんな「ヤバいやつ」の話、その被害をよく耳にする。
それらを聞いて私は、所謂反社会性人格障害と呼ばれるひとたちは、常に自分を被害者に置いて不幸を演じ、他人を操っているという特徴があると思った。

実際に本気で「自分は不幸な被害者だ」と思い込んでいるパターンも多い。そういう人にとって世界は「自分を不幸にするもの」「ヤバい人多すぎな場所」なので、当然ながら人間関係のトラブルも多い。

私を陥れたXは裁判大好きで、いつも裁判やったり見たりしている様子。
自分はそこまでいかなかったが、裁判の結果を優越感たっぷりに匂わせているのを何度も見た。本当に他人の承認がないと生きていけないんだなぁ
他にそれやってる人いるかどうか考えてから言えばいいのに。

で、「自分は不幸な被害者だ」「自分は痛い目に遭わされた」「だから何をしてもいい」といつも本気で思っているので、当然幸せになれるわけがない。その人にとって社会や世界はすべて「敵か味方」でしかないし、自分の派閥に入っているかいないか、という二極しかない。彼等にとって社会は常に戦場、周囲の人は道具なのだ。

そんな状態で幸せになるには、なんとかして他人から承認を得て優越感に浸るしかない。しかもそれには際限がない。
仮にその人が求めているものや地位が全て手に入っても、決して本当の幸せは得られない。
無いものを求めて他人を利用し、また「不幸な被害者」になる。それを死ぬまで繰り返す……

可哀想な人々なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?