YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~ 我満(がまん)さん

インタビュー日:2022年4月8日

YOSAKOIソーラン祭りに関わり始めたきっかけ      ー江別市土佐会ー

―我満さんが初めてYOSAKOIソーラン祭りに関わり始めたのにはどのようなきっかけがあったのですか?

 不思議でしょ。私は今、江別市¹⁾にいるのですけども、私も流れ者で最後に江別に来たのですよ。それで江別が、私の家族、子供たちにとってはこの子達の故郷になるなぁと思ってたんですよ。でも子供も成長して社会人になったらどこかに行って故郷のことも忘れてしまうかもわからない。だから子供のうちに「ここが故郷だよ」という思いをなんとか残してあげたいなと。強い印象に残さないと故郷のことを忘れてしまうからね。
 それともう一つが、江別市には日本の中で全く気候風土の違うところと手を取りあって、お互いに交流したいという考えもあったんですよ。なぜこの話をしてるかというと、私は江別市役所の職員だったんです。実際の職員ですから、何かを考えなきゃいけないと思ったんですよ。それは自分の家族にとってもそうだし、江別に住む市民の皆様にとってもそうだし、どこかに行ったときに自分は江別にいたんだよという想いを何か残したいなと。江別のことばかりじゃなくて、何をやっていたのかということも印象に残ればずっと記憶に残るかもしれない。
 それで私は北海道は雪があって寒いのは当たり前だと思ったので、全く真逆の所を意識したいなと思ったんですよ。真逆といえば暖かい所で、南国みたいな、雪のある所と全く雪のないところがいいと考えました。そしてあるとき、高知県庁から北海道庁に話が来て、「実は高知県の土佐市⁾というところで、気候風土の全く違うところの街と交流したい」という話があると。そして道庁でどこがいいかを考えるときに環境を考慮したんですね。土佐市は高知県庁がある隣町、そして北海道は札幌市に北海道庁があってその周辺の街と言ったらどこだろう。北広島市もあるだろうし、江別市もあって、少し離れてしまうけど小樽市もある。その中で道の方から江別に白羽の矢が立った。南国の人たちが交流できる北国の街を探し求めてるよと。そういう話が来た当時、私は江別市役所の広報を担当していた。広報というのはなんでも耳を立てて、色々な情報を聞き入れて、おかしなところは是正したり良いところは取り上げたりするところでした。

1)江別市:北海道中部(道央地方)にある石狩振興局の市。
2)土佐市:高知県南央部にある市。

土佐市のことをあまりよく知らないけれども、「あぁ、南国の土佐市、、」って思いました。そして江別はそういえば何もないなぁと思いました。土佐市との交流の紹介があったときに江別市役所内部で「検討しますよ」という話になったので、私は全面バックアップで後押したんですよ。土佐市の状況を調べてそれをデータ化して、資料作ってどんどんPRして、最後は市役所の庁内会議で決められた。庁内会議というのは会社のトップクラスの会議みたいなもんだね。その結果は私がPRした内容でいこうということで土佐市と縁結びがなったと。

そうして土佐市の方にご連絡したら「是非!」という話になりました。せっかくなので交流する民間グループの組織をつくろうと思い、「江別市土佐会」を作りました。お互いに民間を基盤とした組織を作り、そこから交流が動き始めたんですよ。行政は「わかった」と言って概要が固まった。あとはどうするかですね。紙の上での交流で終わらせてはいけない。まあ、江別は江別で少し参加しようと。両市民の交流契機。例えば、何人かが代表ということでこういうことをやる。だから、魂を入れるというのはそういうことなんですよ。本当の気持ちを、そこに吹き込んでいく。物のあるものに、いい意味で生き返らせる。実際に魂を入れれば向こうからも来てくれる。それを続けてきたんですよ。それで今はその交流は軌道に乗っています。
私は、行政の立場と民間の立場で、初代の土佐会事務局長をやって、今日に至って。そして、その次の段階はどうする、となった時に、子供たちの将来は私たちの年代よりも、子供たちの力に頼らないとだめ。これは実体験。ということで、土佐市の小学生を受け入れて、ホームステイをさせる。すると、向こうも同じように来てくれるようになる。そうして、徐々に徐々に市民ベースの交流ができる。この交流を通して良かったと思うことは、土佐に行った子供たちが「初めて木にぶら下がっているみかんを触った。」って言うんですよ。北海道で実際に触れることはないからね。子供たちはびっくりして、ちゃんと「取ったらだめだぞ~」って言うのだけど、土佐の人たちはいいよいいよって。みかんは取り方があるらしい。そういうのは実際に見ないと分からない。だから、嬉しくって嬉しくって、子供たちは本物だって取っていくんですよ。土佐の人たちは許してくれた。それもすごい勉強になった。

そんなことがあって実現してきた。それで考えると、よさこいも全く同じなのかなって。土佐から北海道に来て、こっちに来るばかりであって、それだけでは申し訳ないから、じゃあこちらからも行こうか、と。私が作った「江別まっことえぇ」も高知のよさこいに行ったことあるんですよ。もちろん自費で。そうやって徐々に徐々に、文化の面でも交流していったんですよ。

-「土佐会」は、よさこいに限らない交流だったのですか?

よさこいに限らず、土佐市民の方に北の文化とか、北の自然を見てもらおうと。そして、その上で友好都市になったのだから、お互いに自分の町だと思う気持ちで交流しようじゃないかと。そうすると、北海道は私たちの町とは違うんだなって。これが北国なんだということが分かってきて、同じ友好都市なんだけど、環境が違う。日本の長い島国の環境の違いが改めて認識できる。私も南の方に行ったら全然違うと感じた。そういう形で、あまり堅苦しく考えないで交流し合う。そうすることで将来に何かに生かせるんじゃないかと。つまり、重たい信念は持たないということ。ものすごく重たい武器を作っても、それが届かなかったらがっかりするじゃないですか。それでも、楽しんで、何かひとつ得たものがあったら、頑張ったな、でいいじゃないですか。大きな目標でも、小さな目標でも到達することはとにかく素晴らしいことなんだから。ただ、「固く」ではなく「自由」に。土佐から江別に行きたいという人がいたら、江別に行って交流したいっていう方が向こうから来たら、すぐ江別の市民に声をにかけて「今年何人来る予定だよー、手を挙げてー」と。江別はね、市民構成が新しいの。大麻団地³⁾って知ってます?北海道の中でも大きい団地だったんですよ。江別の中にある団地で札幌市との市境に面してるんですよ。大麻団地っていうのはものすごいマンモス団地ですよ。そこに新しい人がどんどん入ってきて、江別って何があるんだろうって分からない時に、色々なことを発信してかないといけない。その時に「大麻の人にもこういう友好都市があるよ、子供たち今年何人来るから、受け入れてくれますか?」ってね。そうやって、実際に触れあって実感していく。

3)大麻団地:江別市の中でも一番札幌に近い場所にある大麻という街にある団地

我満さんの知恵

ー学生(YOSAKOIソーラン祭り学で委実行委員会)の事務所にも、どうしたらいいかわからない資料とかもいっぱいあります

みなさんがそれを査定して「これは大丈夫だよね」、「これはいらんよね」って手分けして大体最低20年保存にしとくのがいいよ。見た人も「これすててないんだ」って触らない。そんなもんですよ。
 YOSAKOIの特集の部分も出してくれた新聞もあったりしてね。当時色々批判的なものもあったんだけども、無視していた。新聞社が取材して書くのは売りたいから書くんですよ。それで本質を追求するなんて難しいですよ。私も広報を長野県でやっていたのですが、取材を受ける人の思い、心を理解するっていうのは余程の限りできない。分からないですよ。だって取材する方は期限が迫ってるから、自分の思いが表にどうしても出ちゃう。これおかしいよねとか、ちょっと強力に活字にしてみたり。それがなぜそうなったのか解説がなされてないから誤解を招く。これが分からないんですよ。一生懸命やったら手が回らない。そういう社会もあるんだっていうのを知ってほしい。そういうことは2ヶ月3ヶ月たったら忘れていくし、一生懸命やったのになんで叩かれるんだろうって思っても、それからもっと良いものを打ち出せばいい。一つ評価された過去を忘れちゃえ。それが成長段階だから。頑張れ。だって一から完璧な人生ってないでしょう。それは割り切る。ただし、本当に悪いことはしない。私もこれは親から言われた。両親に子供の時に言われて「好きなことしていいぞ。悪いことだけはするなよ。」昔の人間だからそうやって言われた。

(写真を見て)これはね、私たちがまっことえぇとして学校行って児童生徒におどりを教えてる。こういうやつとか、雪まつりでもだしね。よさこいをやっていたから。ワオドリはね、大通で。衣装が足りなくてさ、まっことえぇの物品ね。そして市販のやつ、売ってんのかこういうのがね。自由に使っていい法被なのさ、でそれを大量に買って、あたかも自分たちで作ったようにして堂々と踊ってる。

ドリームチームについて

ードリームチームというのはなんですか?
昔はね、ドリームチームっていって、よさこいチームを例えば20チームぐらいまとめるのさ。それをAチーム、Bチームに分けて、そこで大規模の踊りを見せるの。大通なら大通で全部埋め尽くすの。1チームずつおどるんじゃなくて。

ー20チームぐらいが同時に踊るのですか?
 
そうそう。すごいことやってるんですよ。私はAチームの代表になってさ。Bチームにも「こうやって!」など指示しましたね。オープニングは札幌ドーム。年間通じて活動しているようなチームには連絡するんですよ。そして出られそうなチームだけまとめてAチームBチームって作ったんですよ。そうすると平等、公平なんですよね。これしか集まらなかっていう状態ですから。けど呼びかけたのは事実ですから。勝手にグループ作ってやってんじゃないかって批判は一切ない。やっぱり公平にするのが大事だと思ってね。 

 YOSAKOIソーラン祭りの期間内に限らずこういうことがやりたいんだけどってお互いに呼びかけて、「行けませんか?」って誘い合ってみんなで踊れる踊りを作ってそこで見せる。あとは各チームの踊りもやってくれと。おもしろいしょ?YOSAKOIソーランの醍醐味は大勢で踊ること。一緒に踊りを踊る。だからAチームBチームって作ったこともあった。色々な歴史があるんですよ。札幌ドームのオープニングの時に、参加チームで同じ踊りをドームの中で踊って。ものすごい迫力なのさ。踊る方も嬉しいの。あのドームの中で踊れるんだ。全員で同じ踊りをやるでしょ。そしたらもう波打つようなの。

ー(写真をみて)これ全部踊り子ですか?なんかオリンピックみたい。すごいですね。

そうそう。それで私走り回ったんだから。1グループから10グループくらいだとしたら、その中で大体どのグループだって分かるから。それで本番に向けてやる。お客さんも喜んですごいの。これ全部埋め尽くしたんだから。

ーここはグラウンドですよね。

こんな経験ができることはないですよ。私は次の日立てなかったの。走り回ったんだから。これも貴重なものですよ。でもね、そのPOWER!ってのは今はほとんど使ってないでしょ。

ー初めて聞きました。

総踊り⁴⁾で「わっしょい」ってまずマイクで言うとするでしょ。そしたら私が「わっしょい」って言ったら全員、数千人の人たちが「わっしょい」って言うんですよ。そうしたらその声が響くの。それをまずみんなに覚えてもらって、その後にプロの歌手が出てくるんですよ。POWER!って曲があると思う。本当に楽しかったよ。終わったらぐったりしてたけど。(笑)これも貴重な体験ですから。

4)総踊り:チームなどの違い関係なく、ステージにいる全員が一つの踊りを踊ること。

ー本物の総踊りを見ている感じがしますね

だってあのドームを全部埋め尽くしたんだから。もうこんな体験はすることはないと思う。お客さんたちも喜ぶし、あの感動はないと思う。


ーコロナ渦だったので去年冬イベントをして、ステージ上で何チームかの皆さんに総踊りを踊っていただくことはあったんですけど、この規模はなかったので、すごいびっくりしています。

遠藤さん⁵⁾という方ね。亡くなったけどね。私の出番が終わってからすぐもどってきて、遠藤さんよかったね、遠藤さんすごいねって言ったんだ。彼の力もあった。もう上から見たらほんと壮観。よかったなーと昔のことを振り返ることができたの。

5)オフィス ジ・エンド(2001年当時)の遠藤翔さん。



今雪まつりでYOSAKOIソーランはやっていないのかな?

ー中止になったのかな。でも今年はバーチャルでやっていました。オンライン上でバーチャル空間に北昴のチームの方とかが躍った映像がライブ会場にいるような感じで映し出されるようなものはありました。

実際にはやってないんですね。当時はね、ステージ使ってくださいっていう話があって、とても良い思い出になったと思いますよ。お客さんもまさか雪の中でYOSAKOIソーランをやるなんてって。もうお客さんもびっちりいて。ステージ内にロープ張って絶対ここから前行かないでくださいって。雪まつりだから特に人が多い時期でしょ。そこに学生たちが立ってロープ持って、絶対中はいらないでくださいって。そういう時代だったな。

ーすごく見てみたいです。

道内のYOSAKOIソーランの組織を考えたとき、支部⁵⁾があるでしょう?昔は普及振興会ってのがあってね、今の組織委員会⁶⁾。その当時から私は組織的なものはしっかりする、しっかりさせないといけないという事で北海道新聞は結構力入れてきたんだよね、だからその辺の活動が(記事に)載っていたりはするし、支部の規定とか、道江別委員会っていうものがあります。

ーとても貴重な資料ですね。本日は本当にありがとうございました。

5)支部:YOSAKOIソーラン祭りの発展を目指すために設置された枠組み。北海道を地域で分け、その地域のチームが所属する。(北北海道、上川中央、オホーツク、空知、釧根、十勝、日高、道央、札幌中央、札幌TWN、札幌南、C-ASH、後志、胆振・千歳、南北海道、学生)の全16支部が存在する。
6)組織委員会:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。

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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学 1年 髙田冴花(取材時)
北海道大学 1年 井上理咲子(取材時)


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