YOSAKOIソーランの軌跡〜想いを繋ぐ〜 日向寺さん


挨拶・実行委員会について


 今年初めての学生実行委員、何年目かですか?

―二年目です。

 二年目。じゃあ去年と今年と?学生実行委員だったメンバーも活躍してるよね。去年の選挙で衆議院議員になったり、5回目の実行委員、荒井優くん¹⁾とか。もう岳ちゃん²⁾はもちろんのことなんだけども。この間も岳ちゃんから電話きた。
 ゆたかくんが久しぶりに国会の議員、宿舎?っていうか事務所に、まぁゆたか君も実行委員長だったから。当選した後挨拶に来て、岳さんの事務所にいる女性の方も学生実行委員やっていた人なの。それで牛間さんって言うんだけど、三人で札幌の話して日向寺さんの話になって「いや~懐かしかった」って言って、岳ちゃんから電話来た。

1)荒井優くん:第5回YOSAKOIソーラン祭り実行委員会代表。現衆議院議員。
2)岳ちゃん:長谷川岳さんのこと。YOSAKOIソーラン祭り創設者。現在は参議院議員。

長谷川岳さんについて



ー今話聞いてやっぱ長谷川岳さんとかとのつながりが、私たちからしたらすごい遠い人みたいなイメージがあって。

 もうそれこそ、岳さんは北大は出ていたけれども、もう学生の雰囲気のまんまの岳さんでたまに最近会うと、つい、大人になったねって言うんじゃない?年取ったねってもう言っちゃいそうになって、もうほんと50とかそれなりになって、なんか若い時の痩せてる岳さんはもうイメージしづらくって。自分はもちろんばあちゃんなんだけども、すごい活気が、まあ今の学生さん達はそうなんでしょうけど、最初の頃だったので結構学生さんたちといろいろ話し合ったりなんだったりして、物事、決めてましたよねー。

日向寺さんがYOSAKOIに関わるきっかけ・澄川会場について


ー最初に関わったきっかけっていうのは日向寺さんも初代の、最初のお祭りから関わっていたんですか?

 
いや、私たちはね、6回目から。ちょうどチームがすっごい多くなったとき。5回目の時に、今の平岸会場³⁾って本祭会場、パレード会場だったんだけども、ここ澄川って言っても、ほんとすぐそばに天神山⁴⁾っていう山があるんだけども、そこはほとんど平岸との境なんです。それで歩いて、お天気もいいし、YOSAKOIソーランっていうのを何となくやっているのはわかってたんだけど、見に行ったこともなくって。それで、パレード会場がもうほんと天神山まで近くまで踊って、今と会場自体が多少ずれているんですよね。それで見に行って、えっ、こういうお祭りなんだと思って、それで澄川でも作りたいと思って、翌年から参加して。

3)平岸会場:札幌市内会場の一つ。市内で唯一国道を利用した、大通り会場に次ぐ人気のパレード会場である。
4)天神山:北海道札幌市豊平区平岸にある山のこと。

ー翌年って第7回の年から?

 
第6回から。そして、その年から翌年にかけてチームがものすごい増えた。それでもう訳もわからないから、当時、YOSAKOIソーランの普及会って言ったかな。今は学生実行委員会とか組織委員会とかって言っているんだけど、経済センター⁵⁾の中にあって、そこに電話して、平岸に会場、チーム作ったばっかりなんだけれども、平岸にね会場あるんだけども、澄川にもどこか会場あるか分からないから、近くで踊りたいっていうのもあって電話したら、自衛隊駅前の所に東光ストア⁶⁾があって私たちが参加する前の年に、学生さんたちだけで1日駐車場借りて本祭やったんだけれども、まあいろいろやっぱり学生さん慣れてなくて、もう二度と使わせないって言われているところに私が澄川で立ち上げて、会場どっかに澄川にないですかって言ったもんだから、いや、チームでやってくれるんだったらって言われて、東光ストアに掛け合ってくれって言われて。
 右も左も分からないで、その経緯もあとから聞いたんだよ。もしかしたら東光でやってくれるかもしれないって言うので、東光ストアの店長さんに会いに行って、本祭も平岸であるけど澄川の方には無いのでって言って、会場貸してくれませんかって言ったら、店長さんが、「去年の学生実行委員会もやったんだけどもゴミの問題とか色々あって、もうお断りしているんだけれども、まあ地域の人達がねそうやって頼みに来てくれてたんだったら」って言って貸してくれたの。
 それから東光ストアで10年間、チーム立ち上げて、会場も運営してって最初の年は大変だったんだけれども、でも地域の人に踊りも見せてもらえるし、そして10年間東光ストアの駐車場でやったんだけども、10年目を境目に、人は来るけれども、売り上げに結びつかないって言われて。それほどお店の中に入ってお買い物する人がいないっていうかそういうことだから、そういうスーパー側の話もわかることはわかる。それでこのまんま続けるのもどうなのかってなって、その時はね、昔雪まつりの会場、真駒内の駐屯地、自衛隊の中で滑り台だとか何とかがあって近所とか小学校、幼稚園の子供たちが、開幕前に滑り台を滑ったりなんだりっていうそういう会場が真駒内の中にあったの。それで、10回目に断られたけれども、やるべきことだけはやって、会場は終わりにしようって言って今度自衛隊さんに掛け合ったの。そうしたら、それこそそれも地域の人がそうやって言ってくださるのなら、どうぞ、お使いくださいって言って。でも結局5年やったんだけども、自衛隊が広すぎてお客さんもきっと同じくらいの数が見に来てくださってるんでしょうけども、それまでの東光ストアにまあステージ式の踊りのスペースで、もう四方に観客がいて、観客と踊り手がすっごい近くて物凄い良い会場だって、踊り手さんもすごい楽しいし、お客さんも臨場感があって良いって、凄い良い評価貰ってたんだけれども、今度広すぎて私たちやってても前の会場のことを知っているからか、なんか盛り上がらないって言うか。結局パレード会場⁷⁾にしたんだよね。パレードだから余計にお客さん分散して、私たちもうなんか15年経ったら、だんだん同じ町内の人達が手伝ってくれてるんだけど、まあ50歳でやり始めたら65歳になってるし、60歳から手伝ってくれてる人は75歳になってるし、あんな姿見たの初めてだってみんな驚くぐらい会場運営は大変だったの。それで5年で、踊りのチームだけに専念しようっていうことで残念だけども、会場は幕を閉じたんです。でもなかなか新しい担い手が入ってこないっていうのもちょうどあったんで、会場はやめようかって言って納得して、踊り手のチームだけになって。

5)経済センター:札幌市の中心部、時計台の東隣りにある、北海道商工業の総合施設のこと。
6)東光ストア:主に北海道、北東北にあるスーパーマーケットチェーンのこと。
7)パレード会場:大通り南北パレード会場のこと。土曜日には本祭の一次審査の会場にもなる。

精進蛍会について


 うちのチームはそれこそ長いことやってるんですけども、実を言うと賞には全然縁がないんです。それでも地域の人がすごく支えてくれて、お金をみんな寄付してくださって。精進川⁸⁾っていう川があるんですけどね、昔、蛍が居たので、澄川に再び蛍を呼び戻そうっていうコンセプトの下でこういう名前にしたのね。ごみ拾いだとか、川の清掃とか、そういうこともやりつつっていうんで地域の人に協力をしてもらえる、踊りのチームのメンバーでしょう、今は支部⁹⁾になってますでしょう?ちょうどドーム¹⁰⁾が二十周年になって、ドームのこけら落としをよさこいでやったんです。できたときに。何回かドームのあれして、ドームにはそういう意味の愛着があるっていうか、すっごい参加チームも今に比べたら多くて。今はなんとなく道内よりも本州から年に一回ね、旅行を兼ねて記念にYOSAKOIソーラン祭りに参加しようっていうふうな盛り上がりがあっても、北海道の人たちがどうかなーと思って。今はまたちょっと落ち着いているのかな?前は各市町村にチームがあったっていうような感じで、踊り手も多かったし、すごい熱気があった時でしたね。

8)精進川:北海道札幌市南区と豊平区を流れる河川のこと。
9)支部:YOSAKOIソーラン祭りの発展をめざすために設置された枠組み。北海道を地域で分け、その地域のチームが所属する。北北海道、上川中央、オホーツク、空知、釧路、十勝、日高、道央、札幌TWN、札幌南、C-ASH、後志、胆振千歳、南北海道、学生の全15支部が存在する。
10)ドーム:札幌ドームのこと。

―YOSAKOIソーラン祭りっていうのがあるのは知ってるけど、この規模感でやってるとか、学生実行委員会っていうものがあって運営しているとか全く知らないでここへ来て、この団体入ってからどんどん知ったっていう感じですけど、最近やっぱりこういう活動、聞き書き活動を去年から携わらせてもらってて、過去資料とか見ることがあって、何年に解散したっていうチームが結構、北海道の田舎って言ったら失礼かもしれないですけど、地方の市町村のチームも結構解散されているとこも多いなっていう印象を受けて。

 南区も常盤、簾舞、藤野、石山、まあ定山渓こそは無かったけども各地域にあって、でも今あるうちのチームと東海大学は相変わらず。
 粋¹¹⁾は準大賞もらったんだよね。あの年の踊りすごい良くて。私ファンになって、南区の成人式の余興に何かないかい?って言われて粋を推薦してね。去年、一昨年は成人式ができてないからあれだけど、毎年粋の学生さんたちに成人式のお祝いの式辞の後にステージで踊ってもらっていたんですよ。粋の学生さんたちも当時、すごい協力的でいい人たちでね。すぐそばの粋って、札大¹²⁾にも行ったりしていろんなお付き合いも当時はあったんだけれども、粋が好きだった。
 多くの踊り子が学生チームから何個かの有名チームに散らばるトレンドの中で、地域に根ざしたチームというのが減ってきていると感じてますね。この2年間で地域のお祭りもないから、そして私たち小学校の学校開放を利用して、踊りの練習してるんですけれども、もうコロナで、学校が開放されなくて、練習会場がない。毎回コロナのないときはもっと練習したいっていうときは、センターとか地区会館とかそういうところを多少お金払ってでも、5月になったらやってたんだけども、毎回お金払って練習ってのも結構ね、もうほとんど衣装などもごくごく一部負担でっていう、まあだから子どもたちも入りやすいっていうか、自己負担はあんまりしないようでその分地域の人たちのお金を、寄付してもらってっていう感じだから会場もできた、この間、社長亡くなったけども、最初のときは100万くれたりして(笑)もう結構みんなそういう意味では協力してくれてて、当時そういう寄付していただいたお金が、もうこの2年寄付集めもしてないんだけど、結構な残高で、残ってるから、会も運営してけるっていう、そんな感じで、地域密着型です。

11)粋:粋〜IKI〜北海学園大学のこと。北海学園大学の所属するYOSAKOIソーランチーム。札幌市を拠点に活動している。
12)札大:札幌大学のこと。札幌市豊平区に本部を置く私立大学。

―YOSAKOIソーランはそういうのが売りだったのに段々ちょっとお祭りが変わってきてるってよく聞くんですけど、やっぱそう見えますかね?

 いや、でも、まあそれがね、出してくれる人がいて、踊る人も一つの参加の仕方だから、それはもう衣装も豪華にはなるしね、私たちは私たちでやれる、範囲内でやるっていうか、「継続は力なり」という気持ちでやってますね、そしたらいつも泣いてた子が指導者になって、まあ正式な踊りはやってなくても、会の中で中心なポジションについて、まとめてくれてくれる役になってくれてたりして、なんかそうやって繋がっていってます。25、6年経ったのかな。

会場運営とチームとの関わりについて


 会場やってたから結構ね。チームの人ってFAXだけだったら夜中でも送ってくるから、そしたら電話と一緒だったら夜中に鳴って、それでFAXの電話番号別にしたんだけども、今はメールの時代だって言ってメール覚えて、だから私の年代で結構パソコンいじれるのは珍しいねって言われるけど、それはYOSAKOIソーランやってたおかげ。

ー確かに今実委はみんなパソコン基本使えるのでコロナでもずっとオンラインとかで会議進めたりとかオンラインの色々なサービス使って離れた場所で同時に作業してます。あとバーチャルYOSAKOI ¹³⁾とかスーパーライブ¹⁴⁾とかやったじゃないですか、あれでみんな機械に強くなって。結構プロの業者さんと協力してもらってやってるので、結構見た事ないような機械が組織委員会¹⁵⁾のところに来て。

 私もそこまでは追いついていかれなくて。それこそ100チームくらい澄川の会場に来てて、メールで出場チームから連絡来たり紹介文くださいとかメールでやり取りして、メールやパソコンをいじれるようになった。

13)バーチャルYOSAKOI:第29回YOSAKOIソーラン祭りの中止を受けて行なった初のオンラインイベント。
14)スーパーライブ:2021年6月の本祭開催予定だった期間中にYouTubeを利用して行なったオンラインイベント。
15)組織委員会:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。

ー今も本祭になったら審査結果を携帯で連絡します、みたいなのをマニュアルで読んでて、最初の方は皆さんどうやって連絡してたのかなと思って。

 最初の方はどうだったか知らないけどね、支部長¹⁶⁾やってたから審査員¹⁷⁾ やってたんです。それで結果はいつからだったっけね、メールでお知らせしますってなったのは。最初私たちがやり始めた時は違うと思うんだけども。最後の日の夜、西8¹⁸⁾でやるしょ。最後の夜ホテルで詰めてたの。今ホテルの名前も変わってて昔は後楽園ほてるって言ってたんだけども。そしてね爆破事件¹⁹⁾があったの。支部長やってた時に。ほんとびっくりしたよね。だから騒音がうるさいとかなんとかって思う人もいるのかなーと思って。
 私たちが会場やってる時も1週間ぐらい前に会場近くの、「何日から何日までYOSAKOIをやりますので騒音などご迷惑かけますけどもよろしくお願いします。何かありましたら連絡ください。」って電話番号書いて。そんなことをみんなで手分けして。個別に配ったりしましたね。学生さんもでも大変でしょ。楽しい?

16)支部長:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会各支部の支部長。
17)審査員:
18)西8:西8丁目会場のこと。YOSAKOIソーラン祭りのメインステージがある会場で、参加全チームが演舞を披露する。
19)爆破事件:第9回YOSAKOIソーラン祭り(2000年)、6月10日(土)夜、西6丁目公園のゴミ箱が爆発し、当時の学生実行委員会の学生が被害を受けた事件。

―私は楽しいです。今、西八丁目の班で西八丁目の進行部門の班に入っていて、すごいステージ裏をお祭り中止になったけど冬とかにイベントやっていました。ステージ裏とか入ったりして、すごい経験ができて楽しいなと思って。

 結構当時はね、いまもそうなのかな?チームができたらあの、担当の学生実行委員²⁰⁾のメンバーが何回かチームが集まってる時に説明に来てくれたり、結構密に連絡取り合ってやってましたね。だんだんチームが多くなってそれも出来なくなっていったっていうのもあるのかもしれないけど、結構若い人たちと話すと刺激になってね。その時のメンバーで同窓会しようかって言って。すすきの²¹⁾で集まったこともあったね。

20)学生実行委員:YOSAKOIソーラン祭り実行委員会のこと。
21)すすきの:札幌市中央区にある繁華街。国内外から観光客が訪れる。

ー大人になった学生に会うのはどうでしたか?

 それこそ会場は、今どこがやってるのか知らないけども、イベント会社みたいのが入って、運営してたんだよね。だからそのイベント会社の人だとか、あと、会場実行委員会²²⁾の時に会うからね、そういう人たちと親しくなって。すごい色んな人とYOSAKOIやって、知り合いになりましたよね。ただ主婦やってた人間にしては、刺激的な場所でしたね。

22)会場実行委員会:

―学生実行委員会ではそういう繋がりが少なくなっちゃってるのかなって私的には思ってて。この間、普及振興²³⁾の方でもチーム担当とかつけれてなくて。支部担当っていうのを作ろうかなっていう動きがあったんですけど、結局今、2年間やってない中で、今までやってきた普及振興の例とか引き継ぎがちゃんとできていない、0から作る状態で、結局何をどんな風な伝え方をすればちゃんと聞きたいことを聞けるのか、何回も同じことを言わせてしまう状況にならないのか、っていうことで、結局支部担当も連絡取れずになあなあになってしまっていて。困ってる事聞いても結局コロナのこともそうだし、コロナとか関係なく人が入ってこないとか、それを何回も言わせてしまってる状態になってるから。やっぱりどこのチームも人数集まらなくなっていますね。コロナの影響もあるけど、私が聞いた中では、やっぱり金額とかの問題でなかなか人が来ない。今、釧路でチームできないかっていう噂も聞いたりして。一応、YOSAKOIが少なく細くなってってるって訳ではなくて、動こうっていう動きは感じるので、実行委員会もただお祭りを運営するだけじゃなくて、そこに関われればいいなと思いつつ、思うだけで終わってしまってるのが…

 学生チームだったらまだ卒業していっても新しい新入生が入ってくるから割と一般のチームよりは持続可能な感じなのかなとかって思いますよね。

23)普及振興:学生実行委員会が行なっている、YOSAKOIソーランを普及させる取り組み。

ーやっぱり学生チームは大学のサークルっていう位置づけの学校が多いし、みんなそういう風に活動してると思うので、地域と密着したチームがすごく減ってきているのかなって感じて。学生は学生の良さがあって地域のチームは地域のチームの良さがあって、そのYOSAKOIソーラン以外の普段の生活の中でも盛り上げたりとか、そういうのも、岳さんが作った時にも理想となっていたのかなって思うので。そういうチームを増やしていったりとか、存続させたりとかできればいいなと思っています。

ボランティア活動のやり方・あり方


ー全然話変わっちゃうんですけど、ボランティアとかゴミ拾いとかしてたんですよね、そういうときって、蛍会²⁴⁾がやってますよみたいなわかる感じでやってるんですか?

 うん、皆ごみ持って澄川駅前の、私たちがやってますよって衣装着て、ちょうど5月。ちょうど札幌市の清掃運動もちょうど5月に入ってから雪も解けた後に、溶けた後ってすごいたばこの吸い殻とか出てくるんですよね。大体会のPRも兼ねてこういう事をやってね。

24)蛍会:精進蛍会のこと。

ー実行委員会も実T ²⁵⁾ゴミ拾いとかやらないかっていう話が一回出たことがあります。でもどこまで自分たちがやってるってアピールしていいのかわから
なくて。

 アピールしてやってください。ある程度団体でやると、地区地区で清掃事務所って札幌市の機関があるんだけども、何月何日に町内会やるんだけども、ごみを集めて普通のあのビニールの半透明か透明な袋に入れて、ごみステーションにおいておくと、普通のごみの収集とは関係なく収集していってくれるっていうのもあるし、あとはボランティア袋っていうのがあって札幌市で出してる、要するにゴミ拾いしたのを入れて普通のごみステーションに出しておくと今日は何の日とか関係なく出しておくともっていってくれるの。
 私実は町内会長もやってるんだ、おしゃべりなおばさんなものだから。人と会うのが苦痛じゃないっていうか、楽しいっていうか、その延長線上なんですけども、だからそういういろんな知恵はありますから。何かの時にはこういう時どうしたらいいのって聞いてください。YOSAKOIソーランをやろうってチームを作ったと思うんですけど、ゴミ拾いとか地域活動とかはじめたのはなんかきっかけというか。そもそも、チームの名前が精進蛍会だから、蛍は川っていうか海辺にいるので、汚いと寄り付かないし、っていうんで清掃活動をやろうって最初の年からやって、そして法被着てそれこそ最初二百何十人いたから、何班にも分かれてやって目立つから、地域の人にすごいいい精神だって褒められたりして。精進川に自転車がそのまま放置されて埋まってたとか、そういうのを持ってきたり。そこまでしなくてもいいからって言いながら。徹底的にやる人はやるし。で、一時は公園の草刈りとかも請け負ってやると少しお金もらえるんだよね。

25)実T:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会で制作し、実行委員が着るTシャツのこと。

そういう事で、地域の人に支えられてるきっかけづくりというか、活動資金をそういって集める。会費集めて運営してるチームもあると思うんですけど、

 それとか鍋とかいろいろあるでしょ。お祭りの時にカレー作って販売したりとか焼き鳥やったりとか。もともと結局会場の、最初の年から運営することになったもんだから、大体今どこの会場にもそういったちょっとした出店あるでしょ。それをチームでも、要するにボランティアさんもすごい集まったの、それで主婦だからカレーライスは作れるねって、焼き鳥ももう串に刺したものを買ってくれば焼くだけだから、焼き台も買ったりして、鍋も今ここにある以上に子ども食堂や何かでも使ってるから会館にもっていってるんだけども、そういう事でも活動資金を捻出したり、そうしたらあっちこっちの町内会のお祭りの時にうちにも出店してくれって言われるようになって、活動資金が稼げるっていうか…。

ー出店したらそのついでに踊るじゃないけど、それも披露できるっていう、

 もちろん、踊ってくださいって話もあるし、そしてたまたまこうやって立ち上げたものだから、今澄川地区のお祭り、秋祭りだとか、自分たちでやったお祭りが結局大きくなって澄川全体のお祭りに、スノーフェスティバル²⁶⁾とかもなっていってて、結局その企画の担当責任者見たくなっちゃってるのさ。YOSAKOIソーランばっかりじゃなくて。お祭り好きっていう事で。結局YOSAKOIソーラン会場にお手伝いに来てくれたことによって人と知り合いになって、別のお祭りのときもお願いねって、YOSAKOIソーラン手伝いに来てくれる人は大体お祭り好きなのね。だからもう別のお祭りの時にも手伝いに来てくれるしっていう事で、地域のお祭りの担当者見たくなってるんだけども、この2年間できてなくて、私もう年寄りだから今年できたらまだあれだけど、今年もできなくて来年になったら、もう私たちできないかもしれないってその心配。

26)スノーフェスティバル:澄川駅前広場で行われている冬のイベント。

ーブランクとか間空いたら、感覚も忘れちゃいがちだし、

 そう。もう、動かなくていいから、いるだけでもいいからって言われるんだけど、結構お祭り好きの男の人同士って、やり方でもめるんだよね。そこにおばちゃんが出て行って、まぁまぁまぁまぁってその仲裁役?結構そういう役目もあるんだよね。なんか、突然一日だけ出てきた人者同士がね、ある程度一緒に動いてればそんなことないんだけども、この祭りにちょっとお手伝いに来ましたっていう人同士がなんか意見の食い違いっていうのがね。人間関係できていたらそんなことはないんだけれども、結構あれが、言い争いになったから行って行ってって。だけど、まぁお祭り好きだからいいんだけど。

チーム運営を続けること


ー20年とか続けてること、続けててもう嫌だなとか思うこととかってないんですか?

 幸いそういうことはなく、私たちは会報とかもずっと作ってるの、ほたる通信っていう。それで寄付していただいている人にこういう最初のころからの、最初のそれこそ。これを寄付した人たちに送ってるのさ、毎月毎回。そしたら余計また寄付が集まるっていう。これ立ち上げた時、1号だから。1号、創刊号だって。こうやって最初は切り貼りしてさ、作ってたんですわ。でだんだんパソコンでできるようになる。それ創刊号1、2。 これは2号だ。こんな感じで最初からね、作っていって。最近はそれこそ滞っているけれども、活動ないから。だんだんカラーにもなってきてるんだよ。2021年の6月5日まで。去年、一昨年要するに、参加しようと思っていたんだけど結局この年中止になったんじゃないかい。ずっと2,3か月にいっぺん会報つくってるんです。

チームの活動


 おどらなくても会場を踊り子さんと一緒に巡って歩くっていうのもね。本祭の雰囲気があってそれなりに楽しいっていうか。

ー見えやすく出てるとなんか応援したくなるっていうか知りたくなりますよね

 多分きっとそうだと思うんだよね、寄付貰いっぱなしよりこうやって結構三か月か四か月にいっぺん踊ってたから楽しみにしてるよって言ってくれる人が多いんで。

ー結構チームの中はお子さんが多いんですか?

 どっちかっていったら今はもう本当小、中学生になったら今度部活が始まるとなかなか時間が取れなくて。まあやりたいって言う子は残っているけども、小学生が最近。でも小学生とか幼稚園の子供っているんだけど、大通りやなんかに行ってもね拍手もらうのはそういう子たちなの、ちっちゃい子たちなの。あのうちのチームは結構お父さんお母さんと子供たちだから子供見たらもうまともに踊ってなくてもみんなすっごい声援くれるでしょ、だからもう本当に学生チームやああいう踊りではないけども、なんか別な意味のファンが結構いて、西八丁目で踊ったら、全然知らない人たちが声掛けてくれた。

ーすごくいい動きだと思うんですけど、あくまでも祭り。技術の向上とかいい面もあると思うのですが、地域に根ざしたチームがあるっていうのがY O S A K O Iソーラン祭りの魅力だと思うので、そういうところがなんか…。

 いや本当にうちのチームなんか、そんな優勝だとか何とか狙っても絶対あれだしお金もないし、まあそこそこ毎年地域の人たちに楽しんでもらってね。これは地域のちょっとしたな記念碑みたいな開拓の時にあの5月の二週ぐらいにあるのかなって。その年の踊りを初めてそこの場で披露してさせてもらって最後に協賛金もよろしくお願いします。

ー実際やっぱそうすると違いますね

 その時には領収書持って来てスタッフは寄付をもらうために領収書書いて、お渡しするっていうそんな感じで。

ー子供の踊りとか見たら応援したいって気持ちになりますよね

 そんな感じで続いてるんです、実を言うと。

ー今はどういう活動をされていますか。

 今はそれこそもう集まるっていうことができないでしょ。そして結構札幌市からの締め付けがあって普通だったら4月5月総会なんだけれども、みんなが一同に会して話聞くぐらいはいいんだけど会食はダメですよとか。踊るときにマスクつけないといけなくて、踊ってる子供たちも大変だと思うんだよね。だから全然練習できてないの。
 ただ今年は6月の5日に藻南公園²⁷⁾で藻南地区²⁸⁾のお祭りを前にも何回か呼ばれてんだけどもやってなかったのが今年やるつもりで。チームと踊りと来てくれないかって言われて、いやうち今全然練習もしてないし、2年続けて参加申し込んでいたんだけど結局2年続けて本祭なかったし。ましては最初の年は地方車²⁹⁾のお金も20何万払っていたんだけど結局戻ってこないのさ。うちみたいに弱小チームにはそんなに余裕あるわけじゃない。だから去年はもう地方車借りないでステージだけで踊ろうっていうことで申し込んだんだけど結局中止で。それで今年もうどうしようかっていったら、なんせ2月に決定しなきゃいけなかったから。2月に6月のことを読めないんだよね。で結局過去2年間の事考えて申し込んでいたけれども参加できる本祭なかったっていうことで。
 もう2年そういうブランクが続いているから今年はもう最初から、踊り手さんと相談してどうしようかって言ってじゃあ今年はもう参加しないっていうことに決めようかっていってたら、先月その藻南祭りの出場をしてくれって言って電話来たから。今こういう状態で踊るとしてもよっちょれ³⁰⁾はみんな踊れるから、それかそれこそうちのチームはそのときに流行ってたマツケンサンバだとか、ライジングサンだとか、結構テレビでちょっとやっていた踊りを踊って、よさこいばかりじゃなくて地域のお祭りでそういうのも踊るとみんな知っててすごく喜んでもらえるから、そういう練習もする機会がなかったからよっちょれぐらいしか踊れないんだけどって言ったら、「それでいいです」って言われて来月行くことになってて。今年はなんか久しぶりに踊れるかもしれない、よっちゃれだけどね。

27)藻南公園:札幌市南区にある公園。
28)藻南地区:藻岩山の南麓に位置する。
29)地方車:パレード会場で音を流すトラック。チームによって個性があふれている。
30)よっちょれ:YOSAKOIソーラン祭りの総踊り曲。「よっちょれ」とは、土佐の方言で「寄って、どいて、道を開けて」という意味。

本祭の運営と関わっている大人について


ー今年の本祭も本当にどうなるかまだ自分でも読み切れてないです。

 間際にならないとわかんないよね

ー結局感染対策とかでいろいろしてたら、例年よりもボランティアがほしいみたいな話になっちゃって。人集まらないようにしてるはずなのにボランティアの人をもっと呼びたいってなったら、あれなんかズレてるなって思って…。

 そう、実行委員会のメンバー募集したら結構それなりには集まってるの?

ー新入生が今どれくらい正式に加入してくれてるか私は分かってないです。学生実行委員会って過去はもっと人数いたんですか。

 結構いたと思う。それで北大³¹⁾近くになんかねあれ一軒家だったのか、事務所があって、そこにも何回か行ったことあったね。
 例えば四つの会場に行くとしたら、今はテープじゃないかもしれないけど音源を実行委員会でまとめて組織委員会に送ってた。

31)北大:北海道大学のこと。

ー今はCDを組織委員会に送ってもらってます。

 したらパソコンでチェックできるってことね。当時はね持参してMDだったりした時代もあったけど昔はパソコンとか全部それを集めていた組織委員会の実行委員長が当日になってもそのテープを持ってこないのさ。それで電話で確認したら、今大通西八丁目にあるって言って。こっちから取りに行くのが早いかそっちから誰かに持たせるのが早いかってなって、タクシーに誰かのって届けますって言ってもう開幕間際にそんなことがあったり。本当忘れられないようなことがあったんだけども、当時学生さんそこそこいたんじゃないかな、一軒家の事務所もあったし。

ー私たちはLINEグループで連絡取り合ってて、今一年生が入ってきて55人ぐらいになってるんですけど、その人数ってどうなんですか?過去の人数知らなくて…。

 今年は会場もちょっと少なくなったって言ってたよね。

ー西八丁目会場と大通パレードとまあ会場としてはその二つで。たまに一番街³²⁾とかに手伝いに行かなきゃなみたいな年とかもあるっていうのは話では聞いてます。

 そうだね四番街³³⁾、今四番街やってる?四番街っていうのは丸井と三越の前の並び、あそこがさっき言った一番街で駅前通からすすきのまではいかないけども要するに四プラ³⁴⁾のあたりから会場があったの縦に。駅前通りの方に、今ないかもしれない。

32)一番街:18thよりジュニア大会が行われている会場。静止パレード形式の演舞を披露。
33)四番街:南大通りから南4条通まで連なる四番街商店街を舞台に北と南(Nステージ・Sステージ)で静止パレード形式の演舞を披露。
34)四プラ:北海道札幌市にある4丁目プラザのことで、2022年1月で閉館している。

ー今年はやらないと思います。
 よさこいに関わる人みんな個性豊かでイベント運営してるときとかいろんな大人がすごいいろいろ助けてくれたんですけど大人同士でなんか言ってることすごい食い違うそれに翻弄されるだけみたいな構図があっちこっちで見られてまあ大変なことがおもしろかった、今思うと。あの時はすごい大変だったけど。誰の指示を一番に従うか作戦会議みたいな。

 
冬のイベント、コロナ禍の活動とかなんかなかったっけ?

ー怒涛のイベントラッシュを12月毎週日曜日に運営してるみたいな状況でした。その時に私たちは初めてまあ外じゃないんですけどよさこいの演舞でも生で見てすごいなんか始めてみました。みてこれを外でやってるの見てみたいなって思いました。ライトとかも使ってすごく綺麗だったんですけどなんか力強さとかもしかしたら外の方がでるのかなって思って。旗も思いっきり振れるし。

 この間はあれ、あそこでやった、hitaru ³⁵⁾でやったんだっけ?

35)hitaru:札幌文化劇場hitaruのこと。

ーはい、hitaruで1月の終わりに。

 そうだよね。チケット買って行こうかなーと思ったけども。うーんやっぱり室内で見るのとはなんかちょっと微妙に違うし。私、hitaru出来た時に、
演劇とかコンサートとか大好きで毎週行ってて、具合悪くてもhitaruは結構行くんだけども、よさこいをhitaruで見るのかーとか思って(笑)、結局寒いし足も調子悪いから、行かないかーって思って行かなかったけど。

ー私たち、運営で室内イベントの経験はあるんですけど、屋外でやるのが次の本祭が始めてなので、外でやると勝手が違う。私はステージ裏に居るんで
すけど。

 ステージの裏は踊り手の待機場所になってますから。

ーはい。裏というかステージの横で、進行の運営するんですけど、なんかこのステージイベントがプロの業者さん、アンクルさん³⁶⁾って言う会社の人が全部やってくれてて、本祭となるともう少し学生がやらなきゃ行けない事が増えるので、ちょっと心配というか不安な面があって、同時にやっと出来るっていうワクワクした気持ちもあるんですけど。不安は不安で。イベント全部室内ってことはパレードはまだ何も。班としてもやった事無いし、チームの人もそもそもパレード形式ってのを一回も経験した事無い人達ばかりいるから。
 でもこの機に学生を主体にしようって話になったので。チームにとっても実委³⁷⁾にとっても初めてなのに、学生主体で動こうって動きになってるのが不安すぎて。
 チームにとってもマジのガチでパレードは3年ぶり。ステージは屋内とかイベントでちょっとやってるチームも結構あるので踊り自体はここ何年かで数回踊ってると思うんですけど。パレードに関しては本当に久しぶりの所が多くて、上手くいくのかって心配。

 いやー結構それなりのチームさんはパレードも楽しみにしてるよね。100m?80m?

36)アンクルさん:株式会社アンクルのこと。各種イベントの企画制作、
構成等のプロデュースなど様々な事業を行なっている。
37)実委:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の略称。

ー100mです。
 
 100だよね。ちっちゃい子供だったら全速力で走らなきゃ4分ぐらいでつかないよねって思って、ちょっとパレードはやめてたのさ。一昨年、久しぶりにパレードに出たいねってなったんだけど、それまでは地方車も自分のチームで作ってたの。作るってのも楽しみで飾り付けたり看板とか知り合いの人に頼んで。ビール飲みながら男の人たち、楽しみにして作ってたんだけど、もう大変だってことで。
 それで会場辞めるかってことを決定したもう一つの原因は、チームで地方車作るから音響³⁸⁾借りたら結構高いんだ。80万とかするの、地方車に載せる音響が。それをやろうと思ってたんだけど、会場にも音響は必要でしょ。2つも音響用意するの大変だから、会場やるに当たってたは音響、設備を組織委員会で借りてくれるなら運営できるけれども、地方車に音響、設備用意して会場にも用意するのは、名もない1チームとしてはね、難しいって言ったら、組織委員会でずっと借りてくれてた。
 それが15年目の時に、ちょっとゴタゴタがあったんだ。イベント会社の人が問題起こしたんだ、組織委員会に出入りしてた。それでまあ直接、岳さんがもう忙しくなってあまりタッチ出来なくなったんだ。常任理事でも無くなってた時期だったのか、それでその人が澄川会場³⁹⁾に音響貸し出せないって言われたの。5万10万だったらどうにでもなるけど、やっぱり会場の音響だったら結構するんだわ。
 東光ストアならやってたかもしれないけど、なんとなく私たちもね達成感なく終わってたのをそこまでやる必要ないんじゃないかってものも1つのきっかけだった。今思い出した。
 最初はね組織委員会で音響も貸してくれてたの。それで地方車も作ってたりしたんだけど。どんどん子供が増えていったら、100m踊るどころか全速力で走らないと曲終わっちゃうって話になってね。それでパレード会場やめたんだわ。ステージ会場だけに専念しようってなって担だけど、一昨年子供たちもだいぶ慣れてきて、走る子は走っても良いねってことになって、昔は組織委員会でああいう手筈してなかったの。貸し出すってのはね。何年か経ってああいうシステムが出来て、組織委員会から音響借りれるから、じゃあ久しぶりにパレード会場に参加してみようかって言って、お金振り込んだら、コロナで中止になりました、お金はお返し出来ませんって言われた。そう、なんか色々思い出してきた。

38)音響:音響機器。
39)澄川会場:陸上自衛隊真駒内駐屯地に設置されるパレード会場。地域の方の協力を得てアットホームな雰囲気の運営を展開。

ー難しい所は、組織委員会もコロナって言う未曾有の事態だから、対応大変だったと思います。

 対応大変だったと思うよー。本当にねー。

YOSAKOIソーランの在り方


ー今年のテーマが「TO THE NEXT STAGE」って言って新しい、次のステージへのっていうテーマなんですけど、これから私たち、コロナ禍を経ての活動をやっていく上でどんなものにしていったらいいのかなっていうのが気になって。答えがないと思うんですけど、日向寺さんはどんな風にお考えなのかなっていうのをお伺いしたいと思います。

 たまたま私たち、地域の人たちに支えられて、澄川っていう名前を背負って、札幌の中だけだけどもお祭りに参加することによって地域の人たちも澄川のスケジュールに合わせて、会場巡りしてくれているみたいなんだよね。だから、賞やなんかに関係なくてもそうやって支えてくれている人がいて、地域のお祭りの時には、YOSAKOI ソーラン祭りに出たときの、今年のお祭りみたいな形で地域を盛り上げていって、「元気もらえたよ」とか、「笑顔になれたよ」とか、 ほんとにそういう大それたことではなくて一瞬ちょっと気晴らしできた、気持ちが明るくなったって感じで YOSAKOI ソーランを継続していければいいかなっていう風に、ただそれだけ思ってます。たいそうなことは何も考えてません。ほんと日々のつながりなんだよね。なんかほんとちょっとした人間のつながりかな~とか。
 なかなか子供たちが学校卒業したりなんなりしていくと若い人と付き合う接点がなくなってくるし、 YOSAKOI ソーランをやることによって若い人たちと話すこともあるし、逆に元気だな~ って思ってうらやましくもなるんだけども。なんかほんとごくごく日々の生活の延長線上に YOSAKOIソーラン があってっていうそんな感じで私はいいかな~とかって思うんですけども。
 確かに最初、チーム立ち上げたときはすごい大賞とかいうのがすぐ手の届くところにあるのかなって勘違いしたこともあるけれども、それとはもう全然別物でいいんだっていう風に思って参加することに意義があるんじゃないかなって。6月の初夏の一斉に芽吹いて木や花が咲いたりする伊吹みたいないなものを YOSAKOI ソーランを通じて感じてもらう。なんかそんな感じだね。これ秋だったらまたちょっと違ったのかもしれないけども。

―6月って夏に向けてパワーが見れて、新緑はちょっと過ぎてるかもだけど、夏に向けてって感じですね。一番北海道でもいい時期っていうか。秋だったら、収穫とか一年のまとめ見たいな印象が強まるというか。

〜チームスタッフのお話〜

 結構大変だねって言いながらもほんとに周りのスタッフ側に立っての感想なんだけども、結構楽しいっていうか。

ー確かにどうしても踊り子側って言うか、踊っている人だけフィーチャーされがちっていうのがありますけど、実際チームを維持してくってなるとチームをまとめるのもかなり大事なんですかね。

 だからどこのチームに居てもその人たちがあって本祭にも出場できるっていう感じなんじゃないかなーとか。だから、いろんな場面を見てきました。踊り手さん同士の、色々な葛藤もあるみたいな、そういうのも実際中に入って経験したこともあるんだけれども。まあ、いいものを目指そうとすればするほどそういうのもあるかもしれないけど、うちのチームは本当に、そういう意味では仲良しっていうか、なんか同じ釜の飯を食べて、っていう感じで。

ー今の人数っていうか、規模はどのくらいなのでしょうか?

 今はね、踊り手さんがね、50名弱くらい。それでスタッフが12〜3名いるのかな?踊り関係なくね。それで、スタッフはほとんど変わってないですよね、立ち上げたときから。ただ年齢が高くなったというか。

ー25年くらいですか?

 ほんとだったら去年25周年を華々しくやるはずの年だったんですよね。でもこういう状態だからできなかったって言うかね。まあメンバーの中には亡くなっていった人もいるけどね。地道な地域活動の一環として、末永く。まあでもね、中々バトンタッチしていくっていうこともね、難しいかもしれないかな、ってそれは凄く最近考えていることで。有名チームさんだったら大丈夫だったんだろうけどね。

ーどうしても、そのチームだからとか、YOSAKOIソーランだからではなくて時代的に地域とのつながりが希薄になっている時代なのかな、と昔と比べて感じているので、自分の地元に町内会とかがもっと活発だったら面白い、面白かったのかなと思うし。 私の地元では町内会がこんなに活発に動いている感じではないというか。関わってなかっただけかもしれないですけど。だからこういう地域の有り方っていうのは今後も、なにか違う形で続けていきたいもの、引き継いでほしいなって思って。

 
それこそ澄川に住んでください。すぐ町内会の役員になってもらわないと(笑)。いやーほんと若い人たちの発想もね、すごく必要なんですよね、実を言うと。だから、最近、なにかと新陽高校⁴⁰⁾と仲良くしてもらってます(笑)。

40)新陽高校:北海道札幌市南区にある私立高等学校。

ー新陽高校は色々やっていて面白いですよね。TikTokとかにも動画をあげていて、結構動画をバンバン上げていて面白いなって。YOSAKOIソーランを踊っている動画とかもあるし、あと先生の紹介もTikTok上で流行りの音楽に乗せてやっていたりして、もうTikTokerですよね。私の通っていた学校では厳しくて見つかったら注意されるっていうか。あんまSNSとか、なんだかんだ皆やっていたんですけど、学校で撮った写真を上げたらだめだよみたいな規則とかあったんですけど。新陽高校みたいな、どんどん時代を取り入れていく高校っていいですよね。

 生徒さんも先生も何人かここに来て色々な話をしに来るんだけど、すっごく刺激になるし、それこそ授業もオンラインで、結構先駆けてやっていて。新陽高校は、学校法人としては慈恵学園⁴¹⁾っていうんだけども、私それの幹事になってて、幹事会とか理事会もオンラインでやるようになってもう3年になるのかな。それで、できるると思ったら私の顔だけ映らない(笑)で、最近はできない人は視聴覚室に行ってパソコンを皆1台与えられて、ほとんどが年寄りなんだ、そこに出てくる人は(笑)。そういうこともすごく刺激になるんだけどついて行かれない。でも札幌市の講習会やなんかにも行ったんだ。札幌市もそういうZoom会議みたいなやり方で講習会を開催して、一から習いに行ったらなんかやっていることはほとんど同じなのにどうしてなんだろうと思いながら、いるんだけれども、いろんなそういう刺激、若い人たちからの刺激を貰って、そして子ども食堂も忙しいから助けに来てって言って、いくらでも食べてもいいから。

41)慈恵学園:学校法人札幌慈恵学園。札幌新陽高等学校を運営している。
 

実委の活動やコロナ禍のお祭りについて


ー大学生って一番自由だなって思います。でもこの学生実行委員会に入るとたぶん普通の大学生じゃ負わなくてもいい責任というか経験しなくていいようなことも沢山あって…。

 まぁ、色々あるよね。今も協賛金集めて企業回ったりするの?

ーそうです、今年も2月3月ぐらいに、2月が主にそれで、今年も皆で回っています。

 でも、まぁ学生さんが来る分にはあれかい?

ーいや、結構企業さんによりますよね。やっぱり厳しいところもあって。でも、やっぱり学生だから聞いてるって言ってくれるし、名乗った段階で「帰ってください」って言われるところもあるし、今の時代的な風潮もあって厳しく「帰れ!」みたいに言う人はいないんですけど、すぐに帰されるときは分かるんですよね。一か所、「この時期にお祭りやるなんて考えられないからそういうの帰って下さい」って言われまして…。やっぱり私は運営してる側だからやりたいって気持ちあるけど、運営と関係ない立場だったとしても、やったほうがいいとかやらないほうがいいとかはっきり立場決められないなと思って、そうやってはっきり伝えられる人ってすごいなと思います。

 でもこうやって閉塞感漂ってる時だから、まぁいろんな方法考えてやりたいって気持ちもなんかわかるよね。

ー「収まったらまたやろうね」ってずっと一昨年とか去年とか言ってたと思うんですけど、今後見通しが立たない中で、それとともに生きていくって方向に変えていく必要があるのかなってすごく感じてて、今の若い人たちは割とそっちですよね。コロナになったらなったでしょうがないじゃないけど、なった時は受け入れてその中で気を付けながら生活していく、社会を止めないっていう意識がありますよね。

 週末だっけ、博多どんぱくが2年間中止になってたけど、今年は規模を縮小してやったってニュースで出てたから、このゴールデンウィークもね、今回は特に規制なく開催してるから、そうやって共生していく方向になってくのかな。

ーちょっとずつ社会の見方とかも変わってきてるから、今年はできるのかなって思ったけれどやれなかった。だけど今は実際に大学の友達とかでもコロナになってる人が出てる中でも社会を動かそうっていう風に社会がなってきてるから、そういう状況でならちゃんと対策してやれることやれば開催できるんじゃないかなと思って準備進めています。

 こうも長引いてくるとそういう風にも考えていかなきゃ世の中ほんとにあれだもね。この間hitaruでやったとき、踊るときはマスクははずして踊ってたの?

ーhitaruの時はマスクまたはマウスガードの着用っていうので設けてて、例えばチームでお揃いのマスク作ってつけてくるチームとか、マウスガードしてるチームも多かったんですけど、今回の本祭に関しては大通公園っていう公の場であることも踏まえて、マスクの着用を原則としてチームにお願いしています。さすがに不織布マスクとかは言ってなくて例えばオリジナルのチームマスク作るならそれで衣装となじむようにしてもらえればなっています。

 皆色々考えるよね、そうやって。

ー衣装の一環として考えてほしいなって思っていて、今は結構チームも練習の時はマスクしてるからだいぶ皆慣れてきているというのはあるみたいです。ただちょっと本番になると、アドレナリンが出てどうしても呼吸苦しくなっちゃって、終わった後にマスクしてなくても倒れる人とかいるというの聞いたことあるんですけど、マスクしてるとやっぱり酸素が足りなくて倒れちゃうと困りますよね。その対策として踊り終わった後にステージ横で休む時間と給水の時間設けて、皆が落ち着いてから写真撮りに行くみたいな工夫とか一応しています。ステージイベントでもやっぱり横で踊ってる最中はやっぱアドレナリンで乗り切るんですけど、横でいきなりバタンって倒れちゃう人とかも何人かいらっしゃったので、心配ではあるけど社会的な影響を考えるとマスク着用は必要なことなのかなって思います。

 そうね、衣装と合わせて作るのもまた楽しいかもしれない。実際あの過激な踊りを踊るチームは大変かもね。

ー練習からマスクつけてもらって、肺を鍛えてもらうしか。

 確かにね、こうやってずっと出かけている時にマスクしてるとね、コロナの前はちょっと歩いたら呼吸困難になる気がしてね。マスクおろしたりなんだりして、家から澄川駅に行くまでの間もそんなことしてたけども、最近はマスクいつまでもして歩いてるとそれがなくなってきて、結局どっかの部分が強くなってきて、具体的な医療関係わかんないけど、慣れてきてるんだなってそれはすっごく思う。

日向寺さんの行動力


 それこそ私、基本的にわくわくっていう言葉が好きなのね。YOSAKOIソーラン祭りに参加するっていうのもお祭り自体にわくわくする気持ちで、子ども食堂についても最初は新聞やなんかで「貧困家庭」とか「シングルマザー」っていうのがよく前面に出るので、「子ども食堂」っていう名前は使いたくないねってなって、「わくわく食堂」にしようと思ったんだけど、一応保健所に届け出を出さなきゃいけなかったんだけど、食堂ってシンクが2つなきゃ営業許可が降りないんですって。会館やなんかはシンクが1つしかないから洗い場とお料理場の2つのシンクがないとだめなんですって言われて、食堂って謳えないんですよって。そう言うもんだから、「他のイベントをやってて、たまたま食事も提供するっていう形は良いんですか」って聞いたら、それならいいですって言うから、それなら「わくわく広場」にしてくださいって言って、わくわく広場にして、内容は子ども食堂なんだけども、子ども食堂とは謳わずにやってるんですよね。遊びに来てね。澄川地区会館でやってます。昔、私が南支部長⁴²⁾だった時に支部会議⁴³⁾とか支部の総会⁴⁴⁾は澄川地区会館でやったんですよ。今誰が支部長やっているのかしら。踊り手の方はあんまり知らないでしょ。

42)南支部長:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のさっぽrp南支部長。
43)支部会議:支部の各メンバーが集まって開催する会議。
44)支部の総会:支部の各メンバーが集まって行う会合。年に1〜2回開催される。団体活動の進捗や計画を共有することが多い。

ーやっと2年目になったのでなかなか関わらないですね。

 平岸天神⁴⁵⁾の中井さんっていう人がオーナーさんで、たいして私と歳変わらない。最初のころは奥さんが法被やなんか手作りなんかして、衣装をそろえたりして。 

45)平岸天神:札幌市豊平区平岸を拠点に活動をしているチーム。過去大賞10回、準大賞10回の最多受賞チームである。

ー平岸天神も昔から変わらない踊りというか、波が平岸天神というか。伝統があっていいなって。 

あれが入ってないと天神⁴⁶⁾らしくないっていうかね。自衛隊の人がいて元気いっぱいの人たちが大賞かなんかをとったら入りたいと思ってくるから、元気いっぱい。波が入るっていうのも楽しみだもんね、観客の立場でもね。天神は曲も独特だよね。澄川と平岸はとなり合わせだけどチームは全然違います。 
 なんかありますか?これは聞いとかなきゃってもの。

46)天神:平岸天神のこと。

ー色んな話聞けて普通に面白かったです。 

 皆普通に来てください。ここには家のものも来ないから割とみんな気楽に来てくれるんだ。だから、高校生もくるし大学生も来るし。私がおしゃべり嫌いだったら来ないと思うんだけど、なんか一人でしゃべり倒してるかもしれない。人と会うの嫌いじゃないので。

ー私も学生実行委員会に関わっていなかったら1人暮らししている中で、同い年の人以外と関わる機会なかったから面白いな。大学かサークルかバイト先くらいでしか人に会わないので。バイト先にも学生多くて、同い年の子がいて。

 子ども食堂でお弁当作ってるから。一個の冷蔵庫に120人分くらいの鮭の切り身を北見の方から、常呂漁業から取り寄せて、切って冷凍して、当日か前の日くらいに解凍して、当日にホットプレートかなんかで焼いて、詰めるだけにするんだ。結構楽しみながら。でも、お魚だけだったら小学生とかは物足りないから、生姜焼きも入れてあげようとか言って、マカロニサラダととかなんかいろんなことを考えながら。年寄りだったら魚だけでいいかもしれないけど、子どもたちはお肉ほしいよねーって、色んなこと考えながら楽しんでやっています。

地域とのつながりと本祭の変化


ーやっぱりなんかあったときに、続けていくためにも地域のつながりって大切なんだなって、いろんな人を巻き込んで認めてもらう団体になることが大切だなって改めて思いました。

 本当にこういう団体があったらこそ、地域でも踊りで呼ばれることがあったりして。防災訓練で倒壊家屋の下敷きになって瀕死の状態になってる人の役をやって。チームのメンバーが大丈夫ですか、大丈夫ですか、って声かけても死んだような反応してね。人工呼吸やなんかされて生き返ったような演技したりとかね。そういう場面に呼ばれて行ったりしてね。なんか結構いろんなところでね。お互いにできる範囲内で助け合いながら二十何年ですね、考えてみたら。

ーいいですね。地域とつながりがあるって。実行委員会の活動も、もっと周りの人と関わっていけるようにしていけたらいいなって思いました。ありがとうございます。

 頑張ってね。チームと連絡とって当日迎えるって結構大変なんだろうなって思うよね。若いグループが結構多いしね。

ー昔から携わってくれている方は「一緒にお祭りを作る」とか「チーム一丸となってみんなで演舞を作る」という雰囲気でしたが、今ももちろんそう思ってくれてる人もいっぱいいるし、応援してくれる声も聞いて嬉しいなと思うんですけど、やっぱりお客さんとか大きくなりすぎて、運営側と参加者と観客の距離がすごく遠くなっているなって…。こうやって過去の話を聞くとすごく感じているので難しいところではあるんですが…。

 そうかね、ある程度踊り・お祭り自体が確立した物が出来てきているからそういう風になっていかざるを得ないってところもあるよね。まだ私たちが立ち上げたころはお祭りも始まったばかりで、どういう風なお祭りにしていこうかって話し合う場面が割とあった気がしますけれども。私も今はチームの代表をやっているけども、もしもそういう機会があっても他の人に行ってもらったりしてるから、なかなか他のチームの人たちと話し合う機会もなくなっているっていうのもあって、自分のチームのことだけっていう感じになっているんですけども、昔は南支部⁴⁷⁾だったら南支部だけのお祭りをやったりとか、そんなこともいろいろやってましたよね。チーム間の交流っていうか。私たちが年取っていったからそういうところを避けて通っているのか…。実際問題よくわからないけれどもコロナっていうのもあるのかわからないですね。

47)南支部:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会 札幌南支部のこと。

ーコロナっていうと、自分のチームだけでも集まるの大変なのに他のチームもってなったら人数も規模も膨らみますよね。YouTubeに載ってる過去の本祭映像とか見るともう今の感覚からしたら恐ろしいくらい人が密着してる。お客さんの距離もそうだし、踊り子さんも近いし。それがなんともね、今まで何とも思ってなかったのにこの2年で人の感覚が変わってしまったなって思って。今年お祭りやれて、また来年もやるってなっても、前みたいなのは絶対できないと思ってます。だからこそ新たな舞台開幕がテーマなんですけど。

 そうだね、時代に即した形に変えて。変えて変えて長続きしていくってことだよね。

ーそれこそさっきも言ってたSDGsの観点とかも取り入れてやっていけたらなって。

 いやほんと、SDGsって最初、何?っていう感じだったのがこうやってテレビでも言ったり、新聞でも見たりしていたら、だんだんなんとなく「あ、持続可能な…」

ーサステナブル。

 サステナブルね。カレンダーにもサステナブルなんとかって家に書いてあるのがあって。こういうところにもサステナブルって書いてあるんだと思って。

YOSAKOIソーラン関係者の行動力


 YOSAKOIソーランやってたら普通のおばちゃんは経験できないようなこと経験できて。楽しみながらね。だからみんなの中から議員さんになってく人もいるんじゃないかな。それこそあの立憲民主党の代表になった泉さん48)は京都から衆議院議員に出ているんだけども、石狩の人なのね。それで京都の学生をYOSAKOIソーランに連れてきて、学生実行委員長はやってないけどもYOSAKOIソーランに結構関わってる。それが今立憲民主党の一番偉い人。党首になって。若い人だよ、まだ四十七、八だからね。やっぱよさこいに関わって、やるぞと思う人は結構そうやって出世していくんだなーと思って。

48)泉さん:衆議院議員・第2代立憲民主党党首の泉健太氏。

ーやっぱ行動力が違いますよね。

 まとめる力が強いっていうか。きっとそうなんだろうなーと思う。ほんと結構いろんな人と会ったね、考えてみたら。
 最初の頃はね、会場立ち上げて警察にも届出に行かなくちゃいけなくて、おばちゃんが行ったら警察官の人にすごく馬鹿にされてね。だけどこっちだって、担当で行ってるんだから馬鹿にされて引き下がるわけないしょって感じで。2年3年続いたらだんだん認められたけどねぇ。他の責任者はいないんですかとか言われてね。もうそれこそ二十五年も前だから。そしてやっぱYOSAKOIソーランもそういう機関には今ほど受け入れられていなかったんだと思う。人手が多い雑踏警備もしないといけないし、なんせゴミの問題とか色々あってあんまり歓迎されてなかったんじゃないかなーとか。札幌市も最初の頃全然関わってなくて、今は結構札幌市も関わってるでしょ?だからだいぶそういう意味では認知されて動きやすくはなってるのかなぁとは思うけれども。

ーその分逆に言うと制限が多くなるって言うのはありますね。昔の話とか聞いてると自由だなって感じるときもあるし。

 それはあるかもしれないね。

ーやっぱお祭りが大きくなったら制限がかかるのは当然だと思うし、その中でやりたいことを表現していくっていうか。昔の人は0から1にする大変さがあったと思うんですけど、今は30年間の歴史を引き継ぎながら外との関わりを見つつ、その中で自分たちのやりたいことを実行委員会目線で表現していくっていう大変さがあるのかなって、こうやって昔の話を聞くとすごく思いますね。そんなこと今やったら許されないだろって話とか時々出てきたりします。

 そうだねぇ。ましてや学生さん一年二年やってまた次の人っていったらそれはそれで大変だよね。みんなそれぞれ。

ー学生チームでは、YOSAKOIソーランを大学で始めて、まだ始めてすぐの人がすぐ上に立たなきゃない。でも社会人チームは何十年もの大ベテランが上にいる。その中で勝負していくっていう大変さもあるし、そんな状態なのにファイナルとかに学生チームが食い込んでくるのはすごいなって純粋に思います。
 
 学生さんはやっぱ元気があるからね。見ててもほんといいよね。

 また聞き逃したとか、なんかあったらいつでも連絡ください。

ーありがとうございます。

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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学2年 川村菜月(取材時)



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