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YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.1 山崎栞(やまざきしおり)さん

(第29回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会代表)

実委¹⁾に入った経緯

 踊りはやってないです。あんまりYOSAKOIソーランのことは知らなくて、本当にやったことはなくて、でも大学、市立²⁾に入学した時に、皆さんと同じように新歓を受けたわけ。

 そこで新歓パンフレットを配っていて、市立のいろんなサークルと一緒にもらったのを1枚1枚見てから、あんまりインカレのサークルが北大みたいにたくさんあるわけじゃなかったのと、割と異色な感じで、ここが。
 なんかちょっと気になってはいたんだけど、見学に行こうとか連絡しようとかってことは、その時はしなくて。数週間経ってから、友達、そこでできて割と話してた友達が「もう入ろうと思う」みたいな話をしてきて、私もちょっと気になってたから、「一緒に行ってもいい?」みたいな。市立の実委興味あるメンバーで、一緒にここに見学に来たのがきっかけです。

―友達と一緒に、みたいな感じいいですね。
 コロナ前だったから、入学式も普通にあって、入学式のときに、パンフ配ってる。うちはエントランスに入学式終わったって思ったらそこでみんな配って、それをもらうみたいな。北大はね、もっとすごいよ。

1)実委:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
2)市立:札幌市立大学

見学でどう思ったか

 まず行く前から、新歓パンフにメンバーの写真って載ってるじゃん。それ見て、「わあ、なんかいろんな人いるなあ」みたいな(笑)。めっちゃビビり散らして行ったけど、なんかしっかりしてるなあっていうイメージだったんだよね。

 あと普通に先輩たちが優しかった。私が行ったのは火曜日だったから、総務と審査の班会議をやっていて、総務班の班会議に参加したんだよね。
そのときにいためっちゃ頭が良くて、しっかりしてる先輩が班会議仕切ってて、なんかよくわからんこと言ってるわ、みたいな。「お弁当の発注が~」とか「物品が~」とか。4月末、GW前くらいに行って、私が入ったのがGW明けだったから。割と本当に本祭の準備しなきゃぐらい。真っ只中って感じになったんだけど、でもなんかみんな和気あいあいと人がいっぱいいたし。て、感じでした。

―見学行って、もう入ろうと?
 いや、ならなかった。いや迷った。何かもう忙しいんだろうなっていうのが、パンフレット見た中でも分かったから。私、大学入ったら普通に「バイトしたいな」とか、「いろいろしたいな」と思ってて。でもボランティアがしたかったんだよ、大学入ったら。市立ってめっちゃなんか辺鄙な場所にあるから、何か「こんな狭いところで4年間終わりたくない」とは思っていて、いろんな大学生いる、っていうのはいいなと思ってたんだけど、忙しさとか、やっていけるかな、みたいな部分で結構悩んで、だからGW明けぐらいまで引っ張ってんだよね。なんかしょっちゅうLINEとか来てたんだけど。「新歓来ない?」みたいな感じとか。まあ新歓イベントとか行かないで入ってるんだけど。

 でも楽しそうだなっていうのはあったから。一緒に行った市立の子もだいたい入ったから、っていうのもあって、迷った結果入りました。

 「何かいろいろイベントあるな」みたいな感じだし、こういうのはだいたい忙しいみたいなのはなんとなく分かった。ゆるいサークルでは絶対にないと思って、一生懸命やってるのが伝わってきたから、「あー、きっと大変ではあるんだろうな」みたいな感じで思って入った。でもその分、何に重きを置くかってことを考えて、「いや、ここで頑張りたいからここで頑張ろう」みたいな感じで。

 でも色々やろうとは思ってたし、入ってた。ぶっちゃけ。大学のサークルの方にも入ってた。別に忙しいからそっちを疎かにしたんじゃなくて、私はこっちの方が居心地が良くて好きだったから、そっち(大学のサークル)を蹴った。''忙しい''っていうのが、単に業務がみたいな話ではなくって、いろんなイベントに参加しているとか、そういう意味で多方面にいろんなことをしてるなっていう意味で忙しそうだなっていう。

一年目の時の本祭について

―当時の代表は?
 ダイキチさん、(本名は)ゴトウコウキさんっていう人がいたんです。私はあんまりダイキチさんとは関わりがあったわけではないんだけど、そもそもあの人、北大水産だし。本祭の時期来れるときにリモートで、とか。代わりに紗和さんが全体会議することもあったし。(北海道大学水産学部はキャンパスが函館にあるため、3年生になる段階で函館へ引っ越す)
 だからあんまりね、リーダー部がとかっていうことは覚えてないの。班³⁾とか部門⁴⁾って感じだね。
 私が入った時にはもう、同期がソーランナイト⁵⁾書いてた。私ちょっと入るの遅かったんだよね。進行の同期たちは本当に先輩と一緒になってやってる感じ。だからすごいなと思って。「私も負けたくない」ってわけじゃないけど、作業とかやってるところがすごい楽しかったの、先輩とか同期とかと。だから、読み合わせをすることも別に苦じゃなかったし、終わってからちょっと終電まで手直ししようみたいな。なんかすごいブラックみたいなこと言っちゃってるけど、実際にそういうことがあってね。そういうのもついてったの、私は進行じゃなかったけど。JRで帰る子もいたから一緒に帰りたくて。会場の仕事も手伝ったりとかして、やっぱり当日クタクタだけど、結構準備に参加してた気がする。自分で言うのはあれだけど。


3)班:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会は仕事内容によって西8丁目班、パレード班、審査班、総務班の4つに分かれている。
4)部門:西8丁目班は本祭のMCや台本作成を行う進行部門と観客やチームの対応を行う会場運営部門に更に分かれている。
5)ソーランナイト:本祭3日目に行われるイベント。前年度の受賞チームを中心に、海外からのゲストチームなどが次々に登場する華やかなステージ。(下写真)

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―楽しかったから続けられた?
 そう。めっちゃ楽しかった。割とこういうの嫌いじゃなかったから、準備も楽しくて。うちらの時は会場とか少なかったのよ。人数でギリギリでやってたから。しかも、引き継がせるためにさ、下級生にいろいろやらせるじゃない?だから経験もできて、例えばF2⁶⁾の裏マス⁷⁾とか、裏マス補助⁸⁾とかもやらせてもらえたりとかしてて。
 だから、「1年生だから」とかなくて、「1年生だけどチーム担当やってみて」みたいな感じとかもあって。初めてでバタバタしたけど、でもそれもすごく私は楽しくて。印象に残ってるのは紗和⁹⁾さわさん。紗和さん副代表だから、MC¹⁰⁾だけじゃなくて、いろんなとこ見てて。西8¹¹⁾とか特に。裏にも来てくれて、ちょくちょく「どう?」ってめちゃくちゃアドバイスしてくれたりして、会場としての動きもそこで学ぶことができたというか。運営するのがすごく楽しかった。


6)F2:本祭のファイナルステージ第2部のこと。その年のYOSAKOIソーラン大賞が決まるファイナル審査等が行われる。
7)裏マス:本祭時にステージ裏の現場を統括する役割。
8)裏マス補助:本祭時にステージ裏と進行との間を取り持つ役割。本番時のスケジュール調整等も行う。
9)紗和さん:第27回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会副代表。西8丁目班進行MCを務めた。後日聞き書きの投稿予定!。
10)MC:西8丁目班進行部門はさらに本祭の進行を行うMCと台本を作る進行に分かれている。
11)西8:西8丁目班のこと。

―片付け、結構大変だと聞きます
 本祭の最終日に少し片付けして、帰ったのよ。夜中にわざわざ親を呼び出して帰るっていう、すごい甘ったれた感じのことをしたんだけど。夜中帰ってきて、寝たら、次の日の午後3時で(笑)。本当は翌日も片付けが午前中からあるんですよ。あるのに、寝ちゃって、気づいたら3時。「はっ!やばい!」って思って、急いで焦って大通公園まで向かい、ゴミ拾いだけして帰るっていう、1年生。シンプルにやっちゃったっていう(笑)。
 結構なんか会場って本当に動くから、それこそちょっと人が足りなくてですね、休憩があんまり回らなくて。ひどいときは1、2回しかプレハブにいなくて。お昼食べない。24時間ずっと動いてるみたいな感じで。朝ごはんから何も食べず、みたいな。

 2年目のときはちゃんと朝から行ったんですけど、でも、昼間に限界が来て、寝た(笑)。原っぱみたいな草のとこで。ちょっともう無理寝るわ、みたいな(笑)。

 大体はね、翌日には綺麗にしないといけないから、何もなくなる。ちなみに、なんか私が一年生のときは結構夜中まで片付けをしてたんだけど、2年生のときは、反省を生かして、めっちゃ早く終わった。プレハブの掃除も終わって。あれ、すごい。早いじゃんみたいな。

 そういえば私、2年目のときはウィークリーマンションを1週間ぐらい借りてたので、めっちゃ楽。超楽。走れば数秒?今聞くと、「え!?」みたいな感じで思うかもだけど、実際にやってると、まあまあいけちゃうよね。もう、アドレナリンずっとって感じ(笑)。でも私は、もう1人と最終日ぐらいはもう3人でいたかな?とかでいたから、何か余韻が、あったので、ベラベラ喋りながらアイス食べて。普通にね、楽しい。うん。

―本当に、本祭楽しみです。
 いや、本当に、これがあるからやめられないんですよね。

 1年生はね、あんまり達成感が感じにくいっていうのはあるけど、でも今年は、お祭りまで活動してる時間が長いから、だからなおさら感じられるんじゃないかなと思う¹²⁾。私は割とそうだった。その達成感みたいな、なんかそういうのもあって、なんか楽しかったし辞める理由がなかったから、2年目は続けた。全然人好きだったし、活動楽しいし、みたいな感じで1年目から2年目は割と本当すんなりだった。

12)取材日は2021年8月11日であり、この時点では本祭は「延期」となっていた。この後に本祭の中止が決まった。

―その中でも人によってはそこでやめちゃう人もいるんですよね。
 そう、だってやってること特殊じゃん?だから合う合わないは割とはっきりするのかな、と個人的には思っていて。だから別にあんまり気にしてないですね。そりゃ最初はボコボコ(実委に)入るでしょ、っていう。でもどれだけ多くの人に楽しんでもらえるかとか、楽しく活動できるかっていうのが、課題。合わないのはもうしょうがないけど、合う幅を広げていくっていうのは、大事だと思う。無理にその人に合わせる必要はないかなと思っている。

二年目へ

 二年目のときは会場部門長をやったので。人もいなかったから、私も同期で部門長やってたんですよね。私と同じ2年目のタイミングでやってたから、多分班長は3年目よっちゃんさんでしょ?で、会場私、進行田坂さんみたいな。広報にも1人同期。ワオドリ班長も同期。って感じで、割と班長部門長に2年目はいた。代表はろっきーさん¹³⁾。

13)ろっきーさん:第28回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会代表の高田裕生さん。後日投稿予定です!

―それだと安心ですね。
 そう安心だった。会場部門長は誰がやっても大丈夫で。だから引き継ぎ会議¹⁴⁾とかも参加してたの、1年目だったけど。自分がいなかった時期が多かったじゃん?1年目って。協賛活動してないし普及振興¹⁵⁾活動してないし、準備もちょっとしか参加してないから、それを引き継ぎ会議で実委がこの1年間で何をしているかっていうのがなんとなくわかった感じだった。超長かったけど(笑)。でも、聞いてて「へぇー」って知り、何かいつの間にかリーダー部決まってた(笑)まだよくわからないもん。本当に会場部門長内ぐらい。あとせいぜい西8。あんまり分かんなくて。

14)引継ぎ会議:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会内で行われる代替わりに向けての会議。統括や班長等の一部の人が参加する。
15)普及振興:学生実行委員会が行っている、YOSAKOIソーランを普及させる活動

部門長で楽しかったこと

 本祭準備がめっちゃ近くなってから部門長は忙しかった。いや、部門長がじゃない、会場部門が。それまでは普通に2年目をしていた。慣れてきたし、それなりにね。だからいろんなところに遊びに行ったりとか、遠征も行った。私はね、神栖¹⁶⁾と安濃津¹⁷⁾には行ってて、どま¹⁸⁾は行ったことないです。2年目のときに初めて行って、何かいろいろ刺激を受け取って楽しいなって感じ。安濃津は割と大変だったけど、普通に楽しく終わって、で、ちょっと大変だなって思ったのは新入生が入ってきてから。私あんまり後輩と仲良くできなくて。

16)神栖:9月に茨城県で行われている「神栖舞っちゃげ祭り」のこと。毎年学生実行委員会がお手伝いをさせていただいている。
17)安濃津:三重県津市で例年10月の体育の日に合わせて行われる「安濃津よさこい」のこと。祭りの主催者は「安濃津よさこい組織委員会」だが、大枠の概要以外は学生実行委員会が企画、運営を担っている。
18)どま:愛知県で行われている「にっぽんど真ん中祭り」のこと。例年実行委員会がボランティアという形で参加している。

―そう見えないですけど(笑)
 本当にそうなの!今は慣れたの、後輩しかいないしさ。だけど最初はどう接していいのかよくわかんなかった。めっちゃ頑張ったけど。あんまり仲良くなれなかった。残念。純粋な1年生、女の子2人と、あと、3年生と4年生っていう先輩が入ってきたの。その二人(3,4年生)はずっといたんだけど、でも新しい1年生があんまりうまく馴染めなかったのか、なんなのかよく分かんないんだけど、本祭前の一番最後の班長部門長会議に辞めたいですとか辞めますみたいな連絡が来て、ぴえんみたいな。これぴえんも書き起こされるのか、やば(笑)。そう、辞めるってきたから、めっちゃ号泣して終わった。先輩に慰められて。あんまりいい具合に仲良くなれなかった。あっちもね、なかなか輪に入れなかったのかなと思って。割と同期でガシっといた感じだったかもしれない。

 あと結構忙しくなってきたから、何かたまに愚痴を言いながらみたいな感じで。何か自分の部門のこともそうだし、班全体に関しても、なんでこういう風にならないんだろうとか、不信感が出始めた時。同期とか。うん、そう、いろいろ知ってきたからこそ、「え、何で?」みたいなことが多かった感じ。私はね。

 でも良かったことは、やっぱり1年生のときはスーって終わったから分からないことが本当に多かったんだけど、1年生で経験したからわかるじゃん、「もっとこうした方がいいよね」っていうのを。しかも自分が部門長だから、自分の代で考えられたっていう感じ。割と好き勝手やってた。例えば出陣式¹⁹⁾も、チームを座席に入れるのに時間かかったけど、もっと座席をわかりやすくしたり、「準備の段取りをこうしたら、もっと早く準備できるじゃん」みたいなことを考えて、当日もそれをやるみたいな。私はそういうことを考えるのが嫌いじゃないから、自分で考えたこととか準備したものが本祭で生かされるっていうのはすごくよかった。達成感とかに繋がるだろうなと。自分が尽力したっていうのが体感できたのが良かった。何か多少ね、嫌なことあると思う。いろんな人もいるし。でも結局、そこに行き着くというかその楽しさとかがあるから頑張ろうかなって思えた。

19)出陣式:正式名称は学生合同出陣式。毎年5月ごろに学生支部のチームを対象に行われている。(下写真参照)

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―準備が忙しくなってくると意見の衝突とかでバチバチしましたか?
 うーん。なんかそこまで面と向かっては言わなかったかもしれない。その時は。裏でぐちぐち言ってたかもしれない(笑)。女子特有なのかなこれ(笑) 。先輩のこととか同期のこと尊敬はしてるしすごいいいやつだと思ってるんだけど、でも「こういうとこクソだな」って思うこととか(笑)。全部出すのはあれだけどね。言い合えた方がすっきりするし。でも、お祭りに関わることは面と向かって言ったかな。だって普通に企画ってなかなか通るものじゃないから、優しめに言うよりはきつめに答えたりとかして。祭りのためにかけた時間、労力みたいなのも、無駄ではないかなあって思える。むしろそれに参加してたほうが、当たり前だけど達成感を感じるし、良かったって思えると思うから、私はそっちの方がいいのにな、どうせやるなら、とは思ってる。

 2年目の本祭もめっちゃ慌ただしく終わったんだけど、結局(役割など)ぐるぐる回して、「私は星澤幸子²⁰⁾弁当が食べたいんだ!」と。わかる?わかんないねあなた(笑)。どさんこワイド²¹⁾観なさい(笑)。その人監修のお弁当が来るので、一年生のときお弁当とか食べれなかったから、「食べたい!」と思って。だからちゃんと休憩まわして、ちゃんとご飯食べたよ(笑)。「私は反省を生かしていきたいんだ」と思って。私だけじゃないけどね、そもそもシフト作ったの私じゃないし。私シフトつくるのめっちゃ嫌いだし、やらせた(笑)申し訳ないけど。

 実委の中でもさ、あるじゃん。あんまり活動参加できないみたいな子とか、めっちゃこの人は出てるみたいな。西8はね、結構もう、めっちゃやる気!みたいな人が多くて。同期は特に。だからすごい自分のモチベーション高く持てたと思って。もちろん活動してない人が悪いとか全くないんだけど、自分だけがやるよりもみんなで一緒に、の方が私は好きだから。割とね、フッ軽が多くて、実委コミュニティが好きみたいなことも(同期は)言ってた。

20)星澤幸子さん:星澤クッキングスタジオ所属のクッキングキャスター。本祭では審査員として参加してくださっている。
21)どさんこワイド:北海道で放送されているニュース番組。番組内の「奥様ここでもう一品」という料理コーナーに出演している。

―でも大学はバラバラですよね?
 そう。何人か市立の人入ったけど結局みんな班バラバラだったもんね。パレード行ったり、広報行ったり。

 本祭も、慣れもしないし、初めてのことばっかだったから、いろいろテンパったりしたところは先輩に助けてもらったりとかしてなんとか終わったんだけど、でもやっぱりうまくいかないこともあって。詳しく説明するもんでもないからあれだけど、ファイナルの運営があまりうまくいかなくて、なんかすごい悲しいことを言われたから、泣いて終わったんですけど(笑)
でも楽しかったよ。終わって、「よかったー」みたいなのもあったし、「なんだこの野郎!」みたいなこともあって。同期と泣いて、その様子を人に眺められるっていう(笑)。
 
 まだわかんないことが多いから、結構完璧にはできなくて。でも何か始まる前からガヤガヤしてるわけなんだけど、午前中とか。そのときの高揚感みたいなのがやっぱすごいあるかな。

―うまくできるか、不安になってきました。
 でもね、何とかなるし、説得力はないけど、結局時間は過ぎて終わるから、ね。どうせ時間過ぎて終わるんだったらね、「どうしよう」じゃなくて「やってみよう」で終わりたい感じしない?割と思うから、結構アイディアを出してくれる子がいて、「これやったらいいんじゃない」みたいなのを言ってくれたらもうその場で。例えば「サイン作ったらいいんじゃない?」ってなったら、その場でパソコンで打ち、その場で印刷して、そのままラミネートして当日から出すみたいな。結構その場のノリで。私も結構あんまり考えないタイプだったから、もうノリで。でも変に「うーん」って悩んでやらないよりは、ノリで「やろう!」って言った方がうまくいくことも多いなって。

 しかもボランティアさんもたくさんいて、決断しなきゃいけないのはこっちだから、あんまりそこで悩んでたらさ、ボランティアさんがね、分かんなくなっちゃうのが一番良くないので、もう自信が多少なかったとしても「いいよいいよ」って言って。それで違ったら謝ればいいんだよ後で(笑)。 

 人事とかもそうだし、西8もボランティアさんいっぱい取るんだけど、1年目と2年目で大きく違うのは、自分のことだけじゃなくて、人のことも見ようと思ったことかな。ボランティアさんを大事にしたい精神をもって。声掛けとかね。第28回(のお祭り)ってめっちゃ天気よかったんだ。でね、休憩あるけど、立ちっぱだったりとか。当日来てさ、いざ「やれ」って言われると分かんないじゃん、不安じゃん。友達と同じポジションになるわけでもないし。ていうのもあったから、結構声掛けしたりとか、できるだけ名前を覚えようとか、飲み物をとか、暑い寒いとか、何か困ってないかとかっていうことは、ちゃんと見ようと思ってやったのは1年目と大きく違うところかもしれない。

 1年目は仕事を失敗しないようにしようとかばっかりだったけど、2年目は弱点が大体わかってるから、それをどう人に教えて、どう周りがやりやすく運営できるかとか、それがね、チームさんの迷惑にならないとか安全にできるように、円滑に回すことの理由の一つになるから。そこが大きく違ったかも知れない。

―1年目は自分のことでいっぱいいっぱいですよね。
 そう。でもそれって、運営者1年目だろうが2年目だろうが3年目だろうが一緒だから。だからできるだけ、なんだ。その辺は頑張りたいって思っていた。コミュニケーションめっちゃ大事だし。中には何年も来てくれてるような人とかもいて。「去年も会ったよね」みたいな。「今年もよろしく」とかって言って。その人はベテランだからさ、結構やってくれるわけ。めっちゃ助かるし、普通に仲良くなるし。だから、運営をしやすくなるっていうか。すごい良い。

 あと、単純に何か伝えるっていうのも仲が良い方が伝えやすいじゃない。そういう意味で良いし、相手も楽しく運営してほしい。「大変だったー」だけで終わって欲しくなくて。「楽しかったな」って思って欲しくて。だからできるだけフラットにね、年上だろうが年下だろうが、フラットに話したりとか、名前呼ぶようにしたりとかは、むっちゃ思ってた。YOSAKOIソーランを知るきっかけにもなるじゃん、ボランティアって。なんか普及振興とかいろいろやってますけど、一般ピーポーの中で一番身近に私達とか、私達のお祭りのことを知ってくれるのはボランティアさんなのかなと。だから悪いイメージを持って欲しくないし。それを呼んでる人として、同じ学生ではあるけれども、1個先に行った振る舞いはした方がいいと思って。全く知らないって人も割と来るんで。結構友達呼ぶからさ、「○○の友達で来た」とか「あんまりよく知らないけど来た」っていう人もいるから、そういう人が「あんまり今まで知らなかったけど、こういう感じなんだね」みたいなのが、プラスに動いたほうが嬉しい。

三年目、代表へ

 代表を決めるとか、そもそも来季の学生実行委員会をどうしていこうとかって、2年目会議²²⁾っていう会議、話し合いみたいなので決めるのね。で、うちらがその存在を知ったのが、先輩と全体会議の終わりに4人、私と同期1人と先輩2人ぐらいでご飯食べに行った時。
 「うちら代表どう決めるんですか」みたいな話になったのかな。で、「そうやって(2年目会議で)うちらは決めたよ。」っていうのを聞いて、「え、じゃあうちらもやんなきゃじゃない?」って本祭終わってる6月末くらいに。

 私のもう1人の同期が結構一生懸命やってる子だったから、「やろうよ」ってなって、私ともう1人誘って2年目会議を考える側にいたの。2年目会議でどういう話をしていこうかとか、どういう話の手順で代表を決めていこうかっていうのをね、考えるんだよ。自分で考えて自分たちで開くっていう感じらしいんだけど、それをしたんだよね。

 で、もちろんその前のリーダー部にも手伝ってもらいながら、考えてやったの。「理想の3年目は何か」「先輩って何だろう」って話から入り、「リーダー部ってどういう人がなったらいい?」みたいな。素質みたいなところから話してみたり、うちらはどうなんだろうって話して、1人1人のことを分析して、っていう過程を何回か踏んでいって。リーダー部の要素がこれだけあって、これに当てはまる人の名前を書いてって何パターンか用意するみたいな。候補がざーって黒板に書かれたりして、ていうのがね、1ヶ月くらい?

 その1ヶ月間の中で、めっちゃやったのよ。考える側にいたからもちろん喋るし、うまくいくように話すじゃん?ってなると、なんかちょっと良いように見えるじゃん、そういう役回りをした人って多分。私そもそも部門長とかやったりしたから、結構名前が挙がったんだよ。リーダー部にいた方がいい人みたいな感じでね。

 なんか、そんなに続けようとしてる人がいなかったりとか、「私時間ないし」みたいな、全然決まらない感じ(笑)。決まらない要因として、うちらの代ってわかりやすいリーダーみたいな人がいなかったんだよね。みんながみんなそれなり、って感じで、リーダーみたいなポジションの人がいなくて。誰かが「やる」って言わないとっていうのもあった。割と夜遅くまでやったりとかしてたからもうそろ決めなきゃと思って、私、「(リーダー部)やります」って言って。言ってから、何人かやりますって言ったり、やろうやろうって言って引き入れて。最終的にやることになった4人で話し合って、班長とか持つものの兼ね合いとか、その人の性格とか状況とか話して、誰が代表やる?ってなったときに、私は会場部門長をもう1人の同期に任せるって感じにできるし任せたいと思ったし。班長をやるやらないもあったんだけど、班長は、もう1人のリーダー部の子が代表をやらないで班長を兼任して、じゃあ私が代表やろうみたいな感じのバランスになった。そういういろんな細かい話し合いをしたのよ。協賛統括とか普及振興統括は性格とか向いてそうだよねみたいな話をして。ていうので、「やるね、代表」みたいな感じで。

22)2年目会議:実行委員会の2年目が行う会議。主に代替わりの際に次の代での役職等を決めるために行う。

―会議の進行側に立つとどうしてもリーダー部とかになりますよね
 それもあまりよくないんだけどね(笑)。っていうね、反省みたいなのがあったから、開く人を毎週変えてみたり、毎回変えてみたりっていうのを香月の代²³⁾はしてるんだよ。ただね、向いてる向いてないはあるからね。環境とかそういうのをさ、考えたくないって思って話しているのと、考えようとして話してるのって質が違うと思っていて。でもね、「結局お前らなるんだろ?」みたいな風潮になるのは、嫌だなと思います。

23)香月の代:香月さんは第30回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表。

―しおりさんはこれまでリーダーの経験とかは?
 高校のときね、新聞局に途中まで入ってて、割と私もその新聞局楽しかったから、いろいろやってたら、副局長にはなって、副局長って次の局長になる人みたいな感じなんだ。でも、途中でやめました。っていう感じ。そう、そこでちょっと経験して、会議進めたりとかはちょっと経験したけど、でもこんな大きな組織のリーダーとかあんまり前に出るタイプじゃないし。

―代表になって、自分変わったと思うことありますか?
 なんだろう、、。考えが深まったりする。で、それをどう相手に伝えるかみたいなことを考えることができて、それを相手に言う力がついた気がする。別にこれ言わなくても生きていけるようなことでも、実委としてだったらやった方がいいなあって思うことを見て見ぬふりしないで言う、っていうことは、今生きてる感じ。後悔してることとかたくさんあるから、それでまた後悔したくないので、できるだけっていう。

―代表になって気づいたことなどありますか?
 まずこの団体のことを一番考えたり、知ってる人ってリーダー部であり代表だったなって。班長部門長会議²⁴⁾とかね、2年目から出てたけど、これまでの過程がわからなかった。何がどうなって決まって、何でこれをしてるの?みたいな仕組みがわからなくて。それを一生懸命考えてやってた人だから、3年目やリーダー部なんかは北極星²⁵⁾で泣いてるんだろうなと思って。2年目のときは別に私泣かなかった。その、過程って一体何なんだろうと思って、不思議で気になってたから、(代表を)やってみようかなって思ったのが1個理由でもあって。だからその過程を、もうドーンって知った感じ(笑)。あ、こんなこともしてるんだね、こんな経験もあるんだっていう。本当に多岐に渡る感じ。

 結局さ、班会議とか全体会議とかも、考える側にならないとなんでこう言ってたんだろうとかが全て理解できないなあと思っていて。

 私は別にそれを知らなくても生きていけるし、実委やっていけるけど、私は知りたいなと思う側だった。全体会議を組み立てるとか、会議を組み立てるとか、遠征をするとか。何かやろうとしたり、進めたりしてるときが一番代表なんだなって感じた。自分が担当していなくても代表って全て知ってなきゃいけないし、全てに噛んでなきゃいけない。だから、なんか結局全部どうするどうするって来るわけ。だからそういうときに私って代表なんだなっていうのを実感することが多かった。

 でもさ、個人的な意思では動いちゃうのは、あんまり良くないわけ。代表だから何でもできるわけじゃないし。むしろ代表は、他の人のいろんな意見を吸い上げたりして、結果的にこうしますって決めることを発言するだけであって、自分の個人的な意思を出してくっていうわけじゃないのかなって私は思っている。ワンマンな人もいるよ?それでうまくいくこともあるけどね。いろいろ経験含めて自分で発言することもあるけど、結果決めるのはさ、班長部門長会議開いてるように、いろんな人の意見があって、じゃあこうしましょうって。

 組織²⁶⁾との関係性を築くっていう面でも代表なのかなと実感しました。主に耕作さん²⁷⁾だけど。やっぱり副代表と代表は違うし、他のリーダー部と代表は違う。代表は代表でしかなくて、もうグーンって差がつくわけ。だから(代表になる人には)代表としての器になってほしいし、それを1年間で達成しなきゃいけない。結局代替わりしちゃうから。その1年間できちんと団体をお祭りが迎えられるまでになるのが代表だし、期待されるのも代表っていう。だって2年目会議であれだけ労力かけて決めてるんだから。それに見合うようにならなきゃだし、みんなで決めた代表だし。だからみんなも一生懸命頑張ろうっていう、そういう話。だから、それだけ期待されていて育て上げられるっていうポジションであるっていうことにもなるわけ。育てられてるんだなっていう実感は、めっちゃいろんなとこ連れてってもらえるし、いろんなこと教えてもらえる。代表だから行ける場所ってあるし、支部長会議とか、絶対いるじゃない。集まりとか、用意してもらえるからっていうよりは、何かいろいろ自分から行こうとも思った。

24)班長部門長会議:各班の班長、部門長が集まって行う会議。
25)北極星:YOSAKOIソーラン祭り組織委員会が作詞作曲を手掛け、向井成一郎が歌唱している楽曲。YOSAKOIソーラン祭りでは毎回YOSAKOIソーラン大賞のチームの演舞が終わった後、学生実行委員会の学生が全員でステージへ上がり、全員で歌っている。
26)組織:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。
27)耕作さん:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会部長、伊藤耕作さんの事。第13回、第14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表も務めていた。

コロナ禍での活動

―Virtual²⁸とかはやっぱり達成感が?
 全体としては、来た人はすごく一生懸命やって、コロナがまだ流行り始めだったから、結構自粛自粛って感じで。外出れない子もいたから、なかなか全員が参加できたわけじゃなかったんだけど。オンラインのイベントを6月のね、本祭当日の5日間の時間でYouTubeライブをするってことをしたんだけど、来た子は一生懸命やって、それなりの達成感だったり、まあ大変だったところもあったけど、全体的にはワーッと感動的に終わって、ぱあーっとアウトかセーフなのかわからない打ち上げをし(笑)。でも歴史振り返ること普段できないから勉強にもなったし。

 あと機材ね。スーパーライブでさ、めっちゃすごい機材あったじゃん。あれみたいな感じで用意してもらって。羽二生²⁹⁾さんもいたし、高橋さん³⁰⁾っって人がいるんだけど、その人も台本見てくれたりとかしながら、結構大規模な感じでやったりして、普段より準備期間とか短いし、労力も本祭よりは、っていうことをした。

28)Virtual:第29回YOSAKOIソーラン祭りの中止を受けて行った初のオンラインイベント。
29)羽二生さん:株式会社スクランブルの代表。ライブ中継等の我々の活動の際に機器の貸し出しをはじめ様々なことを行ってくださっている。
30)高橋さん:株式会社KproEventsの代表取締役社長。学生実行委員会のOBでもある。

―そもそもいつ中止の話が出たんですか?
 雪まつりあるじゃん。それは普通に行ったの。マスクとか配られたけど、大変だなみたいな。したら雪まつり終わってからめっちゃ増えたじゃん北海道。

 ギリギリまでやろうやろうみたいな感じで準備をしていって、4月入ってもなんか、厳しい、と薄々わかりながらも。でもね、組織の人も「無理かも」みたいな空気を出してこなかったの。もう、はっきりと伝えられるまで。何なんだろうな、なんかすごい売り込む感は出してこなかった。でも、4月1日にみんな集められ、集まって、星野会長³¹⁾から直々に皆に伝えられて。その日ちょうど水曜日で、全体会議があったんだけどそこに耕作さんも来て、ご丁寧にご説明が。私(事前に)そこまで聞いてなかったんで。なんとなくわかっていたりもしたけど。(東京)オリンピックがね、延期になった時点で危ないわけ。3月とかかな。なんかオリンピックは世界から集まるけどうちはそういう感じはない。そういう感じではないし、みたいな話もしてたけど、でもやっぱりなかなか難しい、札幌市とか。だから結構泣いちゃった子とかいた。

31)一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会会長の星野尚夫さんのこと。

―それでVirtualやろうってことですね。
 Virtualやるやらないとか、オンライン、YouTubeライブを使って、みたいな案は、中止ってなった次の日とか週末とかに出た。そもそも学校やってないし、丸一日休みだったから。割と3年目はさ、もう何も考えないみたいな感じになってたんだけど。2年目の香月かな、がどうしようっていうのを先に考えてたっていうのは後から知って、それがそのYouTubeライブとかのイベントをやるってこと。それも含めて、この先何をしていくかっていうのを考え直さなきゃいけなかったの。本祭に向けてやってたものを、何をするのかとか、結局班は何の活動していくのとかね。それを考えるのに、ゴールデンウィークの時間とかめっちゃ使ってた感じ。だから、総会³²⁾で立てたものをもう一度考え直すみたいな作業してた感じになってて、その中の1個にオンライン。結構バタバタ、やることはあった。特に上級生はね。下級生にはさ、ある程度整えないとやりますって言えないから、でも何かをしなきゃっていう焦りもありながら、考えることが多かった感じ。

32)総会:学生実行委員会が年に2回行っている会合。単年度の活動方針や目標の共有、活動結果報告を行う。

―新歓も影響ありましたよね。
 そう。オンライン新歓とかね。やったけどあんま来なくてっていう感じではあったかな。でも結果二人入ったのそれで。まだね、あんまりオンライン新歓っていうのも浸透してなかったから。そう、うちらもどうしよう、っていろいろ路頭に迷った。活動はしてたけど、ふわふわっとした、明確なものがしばらくなくて。いろいろと迷いながら、Twitterとかインスタとか使って。おうち時間のタイミングだったから。(インスタ上で)塗り絵をね、作ってみたりとか、YOSAKOIソーランの映像をSNSに投稿してみたりとか。そういう小さなことをずっと。果たして意味があるのか、みたいな活動を。なんかもう、それが私の中では割とそれが大変で、Virtualもいろいろ考えなきゃと思いながら、それこそLINE通話とかzoomとか使いながら話し合いをしてたんだけど。自分は、香月と、田坂っていう私の同期の人とかが一緒に話していって、Virtualもその人たちメインで。

―Virtualってやっぱり難しい?
 んー、なんか結構難しいことも多かった。技術面とかはそれこそめっちゃ手伝ってくれたっていうか、本当にそんな感じ。Virtualで学んだことって、「うちらだけでやってるわけじゃないんだ」っていうのが、すごいひしひしと伝わってくる。困ったときに、無条件に手伝ってくれる人、手を貸してくれる人がいて、技術もね、無償でだし。いろんなアドバイスをしてくれてとか。ただ学生実行委員会っていうだけなのに、中に誰がいようとも、その年の学生がいれば、評価してくれる人がいて。チームさんもね、いろいろ大変じゃん、動画を作ったりとか。何回も電話かけても優しく対応してくれたりとか。スーパーLIVEでも分かったと思うけど、本当にそうなの。しかもスーパーLIVEは2回目だけどVirtualは初めてでしょ。みんなわかんないけど、番組に出演してくれたりとか、本当に協力してくれてできたし、コメント欄もあったかいしっていう。こうやって支えられてお祭りってできてる、うちらだけが頑張って台本書いてとかそういうわけじゃない。本当にみんなで作ってるもの、っていうのはすごく実感できたし、きっとみんなそれを知る機会になったんじゃないかと思ってる。本当によかったと思う、それは。

 普段お祭りしてたらさ、あんまりチームの声ってダイレクトには伝わってこない。最後に「お疲れ様」とか「ありがとう」とは言われるけど、本当に何か細かいところまでは伝わってこないし、うちらも運営にいっぱいいっぱいになってるから。だけど、今回はそうじゃなくて本当にいろんな声を直接聞いたり、いろんな言葉をいただいたり、っていう内々だけでやってないよっていう感じだった。今まで普通にやってたら経験できないことができたっていうのは、良いこと。せっかくなら良いことって感じで印象付けたいじゃん。いや本当に別に悪いことじゃなかったけどね。中止ってのはあれだけど、まあしゃあない。

次のお祭りについて

―第30回のお祭りはどういうお祭りにしたいですか?
 今年のお祭り。まずは参加する人たちが(コロナ禍という状況に)合わせた中でも楽しく、安全にお祭りをすることが一番だから、そこに全部捧げたい。そこに関われるじゃない?私達は。コロナ禍だし、なかなか流れ的にもうまくいかないこと多いと思うし、全部が(コロナ流行以前の)28回とか27回と同じようにできるわけではなかったりするでしょ?

 マイナスの方向ではなくて、それが第30回のお祭りで、その中で良いお祭りを作れるように考えることができる団体だと思うから。そこに対して自分も考えられるようにしたいのと、自分だけじゃなくて、結局自分だけが考えてもしょうがないので、後輩がそれをできるような環境を整える方に、シフトをしたいなと。

 あと、お祭りはみんな(=1,2年目)初めてだと思うから、そこで「やってよかった」って思ってもらえるようにしたいし、個人的には、まだ見ぬ後輩に会うために続けたっていうのもあるので、その子たちと最後まで一緒にやるっていうのは1個自分の中では持ってる。ただVirtualで知ったことのもう1つとしては、「お祭りだけじゃねえぞこのYOSAKOIソーランは。」っていうのがある。なかなかご時世的に難しいこともあると思うし、うちらはお祭りのために一生懸命頑張るし、本当に目標じゃん、おっきな。だから、なかなかね、気持ち的には「無い」とか「延びちゃった」っていうのはすごい難しいんだけど。でもそれだけじゃないから大事なのは。
 
 結局自分の代だけじゃなくて、下にどんどん続く団体だから、たとえ「無い」とか「延びる」とか「普通にやる」とかっていう判断や未来は、進んでってしまうので、そこに対して、「じゃあこの団体が続いていくためには、どうしてったらいいんだろう?」だし、「自分たちで続けていくためには何があったらいいんだろう?」とか、「お祭りが続くためには何があったらいいんだろう?」っていう方向にできれば早めに切り替えられるようにならないとなっていう感じ。

 (私が)3年目じゃないから、っていうのが大きいかもしれないけど、下の子がじゃあどうやったらお祭り運営できるまでの、YOSAKOIソーランの気持ち作れるかなとかさ。そういうことを考え始めちゃうな。それくらい自分の代だけでは終わらない、続いていくから、そういう部分の責任があると思う。何の責任だって思うけど、「うちらの代だけじゃないんだよ」っていう感じ?ずっと続いていくために、後世に残すというか。お祭りとしてもちゃんと続いていくために、誰かがそれをしなきゃいけなくて、その誰かが耕作さんだけだったら、絶対にこのお祭り終わるので、それを学生実行委員会も一緒にやらないといけないよね。

 だからお祭りがあるないとかも、もちろん大事なんだけど、それ以前の問題というか。YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会として続いていくように日々生きている感じです。まあでも大学生だからさ、仕事じゃないんで難しいんですけど。別に逃げたとしてもさ、お給料もらってるわけじゃないからね。何に一生懸命になるか。そのタイミングとか、バランスを作ってやってくっていうのがあった。その方が楽しく活動できるし、変にストレスにならないのかなっていう。

―しっかり後世のことまで考えてるのですね。
 第29回がある程度、自分でもすごい特殊っていうか。いろんな意味でね。中止とか、そうじゃないことも含めて特殊だと思っている。繰り返していいこともあれば繰り返しちゃ駄目なこともあるからたくさん。そこに対して、ある種罪悪感を感じつつ、でも人は好きだから、同じ思いをして欲しくないなっていう気持ちもあります。

―4年目でも残ろうと思った理由は?
 Virtualの話でもしたけど、私あんまり代表としてVirtualで動いてなくて、ていうかなんかあんまりやってなくてっていう。何もしてなかったなっていう後悔と、まあ香月達に対する罪悪感諸々込めての気持ちと、単純に会場も人いなかった、私以外誰もいなかったから、誰かにやらせるぐらいだったらやろうみたいな。うん、運営好きだから。人が好きだから。同期誰か残すためにはまず私が残らないとなっていう気持ちも。で諸々考えた結果、じゃあ4年目で会場残ろうっていう決断に至りました。

―残っていただいてありがとうございます(笑)
今日はありがとうございました!

 ありがとうございました。

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YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学2年 市川裕次郎(取材時)
北海道大学1年 川村菜月(取材時)


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