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YOSAKOIソーランの軌跡〜想いを繋ぐ〜 大島隆二さん


YOSAKOIソーラン祭りに関わったきっかけ

 ー実行委員会¹⁾の時もそうですし、どうしてYOSAKOIソーランの曲を作るという形で大人になってからも関わるようになったのかなっていうのをお聞きしたいです。

(1)実行委員会:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会のこと。

 僕は第1回、第2回と学生実行委員をやったんだけれども、初代の創設者の長谷川岳さん²⁾と同級生でゼミも一緒で絡みもあって、当初の立ち上げメンバーの1人としてスタートしたんだよね。第2回当時は音楽班みたいなのがあって、ステージ周りの細かいとこをやってて。企画とはまた別なんだけどあの物理的なステージの。
 もう一つは第一回目は初めてなのでみなさん参加してくださーいって言ってもね、今みたくどうやって曲を作ったらいいものなのか、どうやって踊りを作ったらいいものなのか、どうやってやっていくっていうのが全くないので第一回に限って曲と踊りを学生実行委員会の方で10チーム提供してこれを踊ってくれる皆さんを集めてっていう感じでやったのね。そのときのステージと曲の取りまとめ、あと地方車も全部学生実行委員会で作って。要は中身を全部作って、これでとりあえず人集めてみなさんで練習してくださいっていうとこから始めて、2回目からはそれぞれで用意するよう言われたんだけれども曲、10チームなので10曲必要だったんだよね。その取りまとめと、あと地方車³⁾制作、音響があるので地方車における、地方車は地方班っていう別の班があったんだけれども音響までやる体力はないのでそれもステージをいれて全部ひっくるめて取りまとめをするっていうような係をやってました。
 でその中で一部自分で曲を作ったチームがあって、それが最初なんだけども第2回第3回といろんな作ってくれる方々が出てきて、で、第3回からは単なるOBというか、社会人になったので社会人をやりながら一応曲を作りながらで、8年間かなサラリーマンやってて、8年経って独立して今に至るって感じかな。

(2)長谷川岳さん:YOSAKOIソーラン祭りの創設者。現在は参議院議員。
(3)地方車:パレード会場で音を流すトラック。チームによって個性があふれている。

楽曲制作に関わるきっかけ

ー学生やってた時、YOSAKOIに将来も関わりたいなとか思ってましたか?

 その当時はこうやって音楽で仕事をしようってのが前提になかったので。長谷川くん⁴⁾と同級生なんで別に音大を出ているわけでもなんでもないんで。で普通にサラリーマンだったのでただちょこちょこっとお付き合いのあるチームの曲は作っていければなーぐらいだったけどいつの間にかひっくり返ってしまって。

4)長谷川くん:長谷川岳さんのこと。(2)参照。

ーじゃあ会社員の時もちょこちょこと何チームか関わりのあるところを作ってたんですか?

 その独立する前は趣味のようにやっててそれでも十数チーム作ってて。

ーじゃあ結構多いですよね…。

 うん。

ー一曲作るのってどれくらいかかるんですか?

 その内容とかによるかなー。当時と今ではまた違うし。今だったら一週間ぐらいとかあれば作れるんだけどあくまでベースだからそこからチームさんとやりとりをしながらもう少し磨きをかけてって最後に歌入れてとか仕上げ作業をひっくるめるとやっぱ最低でも2ヶ月くらいはかかるかなあ。特に数を多くやらせてもらっているのであの今パっとやれって言って一週間後にできるかって言ったらそれはできない。順番でやっていくので。だから普通に言えばあんま忙しくない時期だったらオーダー出てから1ヶ月くらいで最初のその土台ができてみたいな。

ー仕事と一緒に10チームもやってたのすごいですね。私は会社員やったことないけどイメージすごい忙しそうだなーっていうイメージがあるので。

 あーそうねーどうだろ。そんなに夜中まで働く仕事ではなかったから。
それでもなんかもともと音楽が好きだったから。時間削ってやってて。別にそんなに苦労はしてない。逆に今の方が仕事になる。仕事でなければ苦ではないから。

ー会社員から音楽の方にメインに変わっていったきっかけはなんだったんですか?

 なんか、流れというか運命的な部分かな。ほんとその12年前くらいまではこっちにいったことがなくて。そこまで自分が関わるとは思っていなかったので。なんとなく安定してチームさんが毎年ついてきていただいたことと、あとはたまたま働いていた会社がちょっと傾きかけてきて希望退職みたいなのを募って、それでのっかってぽんとやめてしまった感じ。それがなければいまだにサラリーマンだったかもしれない。お世話になったチームだけやらせてもらうみたいな感じでやってたかもしれないね。

当時の学生実行委員会

ー実行委員会の昔の資料とか見てたら西8⁵⁾とかパレード⁶⁾とかの班が今と違ってなんでだろうなって思ったんですけど、そういう制作の裏側が違ったからなんですね。

 そう、裏側が違うっていうのと当然ノウハウがないので学祭の延長みたいなところから始まって話がどんどんどんどん大きくなっていたから。あんまり最初のうちはそういうちゃんとした体制にはなってないので、最初北大祭⁷⁾ぐらいなスタンスでやろうと思ってたけどそれが創始者の長谷川くんが色々あっちこっちを回って話をしている間にどんどん話が大きくなっていったていう。当時は当時だから最初だし全て自分たちで考えなきゃいけないし大変な部分はあったけど。今はもちろん規模が大きくなったから違った大変さがあるけど今と違ういろんな大変さがあったから当時は。

ーお祭りの話になっちゃうんですけどそのチームっていうのは初めからそういう団体があったんですか。

 いや、多少前もって目処つけてたところはあるけどあとはもう公募みたいな感じで。でもどっちかっていうとある程度目処つけてとりあえず交渉しにいった。

ー個人的にですか?

 そうだね、個人というよりもいろんな、代表だった当時長谷川くんのつてでもちろん探したところもあるし、もうだからすごくいろんな学生たちが今みたく担当がはっきり分かれてないので、もう金集めにしても拠点にしてもみんなでとりあえず資料当たってみるとか、すごい学生らしいアバウトさというか全てがそんな感じだったんだよね。だからあんまりはっきり私は何をやってますとか区切れない。手が空けばほか手伝うし、みたいな。で、ちゃんとした仕事とかのノウハウがないから、やってみたら意外と楽だったからほかのとこ手伝おうかみたいな感じでどんどんヒントが広がっていくみたいな。

(5)西8:主に西八丁目会場を運営する学生実行委員会内の班。
(6)パレード:主に南北パレード会場を運営する学生実行委員会内の班。
(7)北大祭:北海道大学で毎年6月に行われる大学祭のこと。

楽曲制作について

ー本業になってから関わっていくチームさんって増えたと思うんですけど、自分から本業になったので、といった感じでお願いした感じですか?

 基本はチームが、ファイナル⁸⁾行ったり大賞⁹⁾とったり活躍されてそれで曲作ってるの誰だ?と探していただけてることが多くて。評判が評判を呼んで数増えて仕事いただけるようになった感じですかね。

(8)ファイナル:本祭五日目に行われる。一次審査の各ブロック1位チーム及びセミファイナル審査1位チームの中からYOSAKOIソーラン大賞を決定する。
(9)大賞:YOSAKOIソーラン祭りで、「この年に、最も観る人の心を動かし感動を届けたチーム」に送られる賞。

ーYOSAKOIソーランという特別な種類の曲を作るのは難しいことのように思うのですがどうなのでしょうか?

 普通のポップスみたいにAメロBメロサビってなるわけではないから。それはもうチームさんによってバラバラだしチームさんのこうしたいっていうのを基本にしてどうやったら形になるかなと、約30年やってきた経験とかを元にチームさんの要望からこんな風がいいんじゃないかなとやり取りしながら完成させてくっていうスタンスですかね。チームによってバラバラだし。例えば長年やってる夢想漣えさしさん¹⁰⁾とかはああいうスタイルだし。藤北¹¹⁾とかだとまた全然違う感じだし。チームのカラーをなんなくこちらとしても曲で引き出せたらなと。例えば和をベースにしたチームがあると思うけどロック入れてみたりとかもっと民謡強調したりだとか、オーケストラを強調したりだとか。ジャズを取り入れてみたりだとかいろいろと選択肢はあるので。長年おつきあいをしてくことが多いので長年かけて一緒にそのチームカラーを作っていけたらなと思ってやってます。

(10)夢想漣えさし:枝幸町と札幌市を拠点に活動しているチーム。第28回YOSAKOIソーラン祭りではYOSAKOIソーラン大賞を受賞している。
(11)藤北:藤・北大&ホンダカーズ北海道のこと。藤女子大学と北海道大学の合同よさこいサークル。

ーチームごとで曲が違うというか、具体的なチームさんの違いを聞いてみたいです。

 藤北がやっぱりほかのチームとは差があるかもね。昔で言ったらJAL極楽とんぼ¹²⁾とか。まったく和から離れたチームがあるし。和をベースにしたチーム…これは結構民謡を大事にしていたりとか。室蘭百花繚蘭¹³⁾とかはもっとリズム的な、、、。(音楽かけながら)

(12)JAL極楽とんぼ:札幌市に拠点を置いていたYOSAKOIソーランチーム。2010年解散。
(13)室蘭百花繚蘭:北海道室蘭市を拠点に活動しているYOSAKOIソーランチーム。

ー同じ人が作ってると思えない!

 リズムをこうやってアピールするような感じだし、例えば…まっことええ¹⁴⁾だとジャズっぽくしてみたり。(音楽かけながら)

 研究してる時間はないのでなんとなくこんな感じかなっていうので手っ取り早く、それっぽく聞き取るようにって感じで(音楽かけながら)

ー凄い…。

 難しい場合もあるよね。一番大変だったのはおかみさんソーラン¹⁵⁾。タンゴを使ったラテンの、それでおかみさんソーランな感じでって言われて。全くYOSAKOIソーランらしくないでしょ。歌詞だけはこんな感じで。不思議な(笑)。歌ってるのは北極星¹⁶⁾歌ってる向井君¹⁷⁾。

(14)まっことええ:江別市を拠点に活動しているYOSAKOIソーランチーム、江別まっことえぇ&北海道情報大学のこと。
(15)おかみさんソーラン:岐阜県を拠点に活動しているチームであるバサラ瑞浪の演舞曲。
(16)北極星:YOSAKOIソーラン祭り組織委員会が作詞作曲を手掛け、向井成一郎氏が歌唱している楽曲。YOSAKOIソーラン祭りでは毎年YOSAKOIソーラン大賞の演舞が終わった後、学生実行委員会の学生が全員でステージに上がり、全員で歌っている。
(17)向井くん:北海道新冠町出身男性シンガーソングライター。北極星を歌唱している。(16)参照。

ーこんな勢いよく(曲の雰囲気が)進むことあるんですね。

 すごいめちゃくちゃな展開するでしょ。これ全部生で録音してて、ドラムから何から何まで。このバンドネオンみたいな、アコーディオンみたいなタンゴで使う楽器なんだけどこれも全部録音してるんだよ。不思議な曲でしょ。

ー一度聴いたら忘れられないですね。

 これはどうすればいいかなかなか苦労したなぁ。

ーこの曲は歌詞は向こうから来たんですか。


 歌詞は振付やってる吉澤ゆがさんって人が。おかみさんソーランの振付してる人ね。

ー歌詞もチームによって、チームさんからこんな感じでって来るんですか?

 歌詞は基本チームさんに創っていただく。というのは、歌詞を作るとまた別途お金がかかるというのもあるんだけど、なるべく余計なお金をかけてほしくないっていうのと、プロに頼んで作ってもらった曲じゃなくって、自分たちで作ってもらった曲、自分たちも作った曲って認識を持ってもらいたいから。なるべく歌詞は、良い悪いは別にして自分たちで作った言葉で組み立てて、曲の一部にしたいなって思いがあってなるべくチームさんに作ってもらってる。一部、こっちで完全に作ってるものもあるけどね、夢想漣えさしなんかは、最初からもうこっちで作ってるからまた違うけど、普通のチームは…特に学生チームさんなんかは、余計な金使うぐらいだったら、旗の一本でも買いなさいって。

ー学生チームって結構毎年メンバ―変わっていくけど、でも雰囲気って一緒じゃないですか。それは毎年要望は違うけど、ベースは同じって事ですか?

 そうじゃないかな。藤北なんかは毎年テーマ全然違うのにやっぱり藤北だっていうのがあるでしょ。全く違うことやってもやっぱり根付いたキャラっていうか、カラーがある。

ーチーム側が引き継ごうみたいな感覚で要望が来ることが多い?

 先輩から話を聞いてっていう場合もあるし、チームとか代によってもバラバラなんだけど、上下のつながりが強いなぁって感じる。鯱¹⁸⁾もそうだし、北海道医療大学っていうチームが練習のたびに帯が受け継がれるみたいな、凄い上下のつながりが強いチーム。だから強豪チームでいられたんじゃないかな。

ー私はチームのカラーって何で決まるんだろうってよく考えることがあって。

 雰囲気じゃないかな。曲ではないし、多分踊りでもないし、積み上げてきた雰囲気というか。また藤北が例に上がっちゃうけど、たまに行くことあるけど、あまり輪にこだわらず、見る人たちみんなを楽しませようっていう気持ちがカラーを作るんじゃないかと思うけど。夢想漣えさしなんて究極の一体感なんて言葉があるけど、そこがベースにあるからカラーが出来てくるんじゃないかと思いますね。チームによってばらばらだし。なんかそういう根本のチームその年その年じゃなくて根本のチームのコンセプトみたいなものがチームカラーを作るんじゃないのかな。

ーなんとなく曲の雰囲気なのかなって思ってたんですけど。

 曲の雰囲気はもともとチームにあるコンセプトから、僕らとそのチームとのやり取りを得ながらっていう感じだから。曲は全く違うし、例えば曲作る人が変わったってチームの雰囲気そんな変わらないっていうのがあるでしょ。まぁ結構変わるけど(笑)。

(18)鯱:名古屋市を拠点に活動している学生チーム。

チームについて

ー話変わるんですけど、30年学生チームとして関わって曲作る側としても関わって、全体的にYOSAKOIソーランのチームの雰囲気で変わったなっていうのはあるんですか。

 どうだろうね。昔ながらのチームは、元気なおじさんとかおばさんとかが引っ張っててるチームが多かったけど、特に学生や若いチームはそうでもないかな。ちゃんと上手く引継がれている。学生はいつまでも(チームに)いるわけにいかないから。絶対的に引っ張ってきた人がいなくなったらその次はおしまいみたいなことにはなってほしくない。上手く受け継いでいく体制を作っていってほしいな。

ーチームの人と話しているとすごいなって思うのは、積極的なチームや、たくさん活動しているチームではそうなんですけど、ただ踊る団体じゃなくて、地域のためにも何かしたいと言っていて、結構実行委員会とか組織¹⁹⁾と関わりがあってお話しするチームって多いんですけど。

 地方のチームにはそういうチームは多い。そもそものきっかけが、故郷をアピールするためってところも結構あるんですよ。そういうのも大事な気がするよね。我々は支部としてやっているけど、チームはお金を払ってやってる訳じゃん。何かこう得られるもの、ただ踊って終わりだけじゃないよね。そうじゃなくて、自分の故郷をアピールしたいとか、そういう貢献したいとか、そう負うところにお金かけて、時間削ってやってる満足感を得ているんじゃないのかな。

ーわりと地方のチームだったら、できたときからそういう気持ちを持っているところもあるというか…。

 多いよね。受け継ぎとか、ちゃんと作っていくところはやっぱり長く続くのかな。札幌のチームがそういう貢献とかを考えていないとかそういうことではないけどね。スタンスが違う。ただ、基本的にはただでお金払って作って見てもらう桟敷席²⁰⁾とかは別だけど、一般的にはただで見てもらって喜んでもらいたいって気持ちだから、何かしら関わる皆さんにはそういう気持ちがあるのかもしれないな。

(19)組織:一般社団法人YOSAOIソーラン祭り組織委員会のこと。
(20)桟敷席:大通南北パレード会場の5,6,7に設置される有料席。無料の立ち見席とは違い、座った状態でパレード演舞を間近に見られる。

ーチームもお祭りを作っていくという感じで結構動いてくれるのが、他のお祭りの運営をしたことはないけど、地元である大きなイベントとかと、他とは違うのかな。学生時代に戻るんですけど、初めの時からそういう、初めからチームの人も作る側というか、巻き込んでやっていこう見たいな感じやイメージはあったんですか?

 1年目はもう完全に、踊る側を巻き込まなきゃいけないから。学生実行委員会側から与えて「やりませんか」と巻き込んだ。巻き込んでしまったらもうあとは…逆に全部学生実行委員会から用意してっていうのはその1年くらいだけだから。2年目以降は、全部自分で、どんどん増えていった。1年目に成功したから。

ー2年目から自分たちでという風にしたのも、この今の雰囲気に繋がっているのですかね?

 今は百何十チームとかでてているからね。だからカラーが出ている。1回目の時は、何をやりたいかりをやりたいというか、チームさんも、YOSAKOIソーラン祭りというのがどんなもんかを知らないから、でもなんか、楽しそうだからなんかやってみたいみたいなスタンスで入った方ばかりだから。

ー今は、YOSAKOIソーランってなったら、お祭りから知るとか、お祭りがあるからYOSAKOIソーランというものを知っていたりするんですけど、1回目を開催するにあたって、それ以前にYOSAKOIソーランの熱意というか…そのようなものはあったんですか?

 ゼロゼロ。高知²¹⁾の、ビデオとかでこういうのありますよねとかいちいち説明しなきゃいけない。

ー高知のもまた結構違うじゃないですか。

 でも1回目は違うも何もないから。とりあえずそれを参考にしていくしかないでしょ。でそれをまた札幌では、学生の人たちが受け継いで、また違う雰囲気を作り上げてったから。Made in Sapporoだよね。生まれたのは高知だけど、Made in Sapporoのお祭りになってきたということじゃないのかな。皆さん学生実行委員を中心とした人たちの力でしょう。

ー1回目や2回目で方向性が決まったというよりは、何年もお祭りをやっていく中で徐々に定まった感じでしょうか?

 1回目2回目で決まった…何回目なのかねそれは…ちゃんと分析してみなきゃわからないけど例えば1回目2回目でこういうスタイルになってって、4回目5回目JALとか他と経路の違う人たちが出てきて、そして今の形が出来上がってきみたいなスタイルになってきてるから。だから言ってみりゃ、今のスタイルは、31,32回目でつくってきたものじゃないのかな。

ー初めからなんでもOKじゃないですけど、鳴子とソーラン節があればみたいな自由さでいこうと決めていたものだと勝手に思ってました。

 自由な方が幅広いからということで、もちろんそういうことで始めたんだけど、でも結局なんか輪になるでしょ。ルールなくしているのに染まりたがるみたいのがある。だから、あえてなんか違うチームを、実行委員の力で新しい風入れたりとか。振り付けの三浦先生²²⁾とか、ああ言う人たちを入れて、またこうもっと幅のあるものが作りたいって言って、今に至るみたいな。だから皆さんの31,32回の代があって、それがあって33回目と、34,35って受け継がれて違うというかまた新しくなっていくのではないのかな。50回になったら、50回になってまた違う形になっている。決して毎年同じことをやっているわけではないじゃないかな。皆さんたちのちょっとした気づきとかで、積み重ねてこう形つくられていくもんだから。だから面白いのかもね。踊る方は楽しいだろうけれども、作る側はそんな楽しくなかったりするもんだけど。何となくやっぱりこのお祭りに限っては、バックアップする方としても楽しいでしょ。それはそういうことじゃないかな。自分たちで考えて作っていけるから。社会人になる前の勉強みたいのはあるけど、それだけじゃ続かないでしょ。自分たちのやるものがたくさんあるだろうし、それが身になっていくところが、関わった人たちも成長していくもんなんじゃないかなと思います。

ーありがとうございます。メインでステージに立つのはチームさんのはずだけど、やっぱりチームのためだけにやっていると思ったら、多分みんな続いていないし、自分が楽しいから続けてるってのが、なんか面白いなと思います。

 チームさんも自分勝手して踊ることばっかり考えているわけじゃないでしょ。

ーすごく感謝してくれます。

 そういうところはお互い様なんだよ。

ーYOSAKOIソーランっていう文化もだけど、そういうお祭りを出る側も裏側もみんなで作っているという繋がりというか…。

 言葉ではよく言われるけど、別に垣根はないから。

ーなくしたくないなーって。やってて思いましたね。

 運営から離れたときはみんなもはじけて踊ればいいし。最初の方は学生実行委員が動かすでしょ。今度実行委員が中心になってチームとして高知に行くっていうスタイルだったんだよ。みんなでどっこいしょチーム²³⁾みたいなやつの高知版がある。基本運営で苦労してきた学生たちが今度は楽しむ番だって言って高知に行くの。それが始まりだった。

ー高知ちょっとしか行けてないです。安濃津²⁴⁾はみんなで行ったんですけど。

 安濃津もどっちかっていうと運営側か。

ー私たちがこんなに遠く離れた地でお祭りを動かしていいんだろうかってくらいメインで動いて。でも、また全然YOSAKOIソーランとは違う緩さで、それはそれで面白くて。

 どまつり²⁵⁾はどまつりでまた違う色があるし。

(21)高知:高知県はよさこい発祥の地。
(22)三浦先生:三浦亨さんのこと。振付師であり、YOSAKOIの楽曲も多数手掛けている。
(23)みんなでどっこいしょチーム:さぁさみんなでどっこいしょのこと。札幌市を拠点に活動しているYOSAKOIソーランチーム。現在本祭に第一回から参加している唯一のチーム。
(24)安濃津:安濃津よさこいのこと。三重県津市で例年10月の体育の日に合わせて行われる祭り。主催者は「安濃津よさこい組織委員会」だが、大枠の概要以外は学生実行委員会が企画、運営を行っている。
(25)どまつり:にっぽんど真ん中祭りの略称。毎年8月に愛知県名古屋市で行われる祭り。例年YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会がボランティアという形で参加している。

チームとYOSAKOIソーラン祭り

ー普及振興活動²⁶⁾として、高校生の参加料も無料なので、もっと巻き込んでいきたいみたいになって、ダンスクラブとか、チアとかがあるんですけど、そのチームの踊りの個性を魅せながらYOSAKOIソーランにできるよというのを伝えたくて…。どうすればいいんでしょう。

 もともと自由なんだから、ダンスとYOSAKOIソーランは別物だよみたいな感じの雰囲気があるでしょ。でも、普通のダンスにソーラン節が入ってどっかで鳴子使えばいいんじゃない?とも思うし。

ー見せればいいのかな、いろんなチームを。聞いてくれるところは聞いてくれるんですけど、でもやっぱり北海道って鳴子をもったソーラン節とかよっちょれ²⁷⁾とかが運動会で広まっているからこそ、YOSAKOIって聞いたらあのイメージ。

 もっと自由なはずだったのにね。

(26)普及振興活動:学生実行委員会が行っている、YOSAKOIソーランを普及させる取り組み。
(27)よっちょれ:YOSAKOIソーラン祭りの総踊り曲。「よっちょれ」自体は「寄って、どいて、道を開けて」という意味の土佐弁。

ー私もYOSAKOIソーラン祭り知らないで実行委員会に入ったので…

 ある意味似たようなもんだけどね、知らなかったから。当然。僕たちもビデオで見た高知のお祭りしか知らなかったから。

ーこんなにチームがあって、こんなに自由でいいんだ、って。どうすればこれが伝わるんだろうっていうのが、すごく難しくて。

 特にこういう時期、人が集まらなくなって、チームも減ったり、新しいチームももちろんいるけど、人数がいてなんぼっていうスタイルが…。元のスタイルはそれで大事にする必要があると思うけど、そうじゃない。5人だけいればいいよねみたいな、それで見せる方法を考えていければいいかな。5人でパレードもっていうのは難しいから、小さいステージでみせられたらね。そしたら高校生ダンス部とかも出やすいんじゃないかな。少ない人数をみせられるようなシステムを考えてあげればもっと幅が広がる気がする。

ー会場自体の提案の仕方もありますね。

 ステージ²⁸⁾とパレードだけが舞台じゃないから。いろいろとあるでしょう。そんなことを考えて、もっと垣根を低くしたらいいかなって思います。

 100人で見せるのは確かに素晴らしい。けど、それだけがYOSAKOIソーランじゃないよねっていうところをね。ダンスコンテスト部門みたいな審査を新たに作ってもいいかもしれない。

 U40²⁹⁾は始まったころはすごい盛り上がったけど、それもそれでこうじゃないと勝てないっていうか、かえってメインの審査よりもっとかしこまった、ハードル高いものにしているよね。もっとちっちゃいジャンルのものがあってもいいのかなと思うよ。

(28)ステージ:大通西八丁目会場にあるメインステージのことで参加全チームが演舞を披露する。
(29)U40:本祭の審査区分のうち、祭りに40人未満で参加するチームを対象とした枠組。

ー審査でYOSAKOIソーランって大部分が決まっちゃいますよね。

 本来審査で決まるもんじゃないんだけどね。審査受けたい人はやって、あとは楽しみましょうっていうのが本来のスタイルではあるんだよ。でも審査がないとまたね。切磋琢磨しないから。ただ楽しんで「わー」って騒げばいいっていうのとはまた別だし。

ーお祭り自体を楽しみにしているわけじゃない、知ってるくらいの人が、「審査あるじゃん。お祭りじゃないよね」って、協賛³⁰⁾とか行っててもたまに言われたりします。でも審査があるからの良さもあるし…。

 審査はあくまで部門で受けるものだからっていうのを伝えてあげるのがいいかもしれないね。審査は最初から受けないという前提で申し込むチームもたくさんあるでしょ。基本踊りたい、街中で踊りたい。そもそもステージで踊る機会がない人が自分を見せたい。そのなかで審査を受けて優劣を決めたい人もいれば、単に自分をアピールしたいっていう人もいるし。人によって様々な大きさなものを持つお祭りであれば、審査だけではないと思われないよね。テレビ放送がされるのが審査だけであるからそう思われても仕方のないものでもあるけど。

 だからワオドリ会場³¹⁾みたいなものが欲しいよね。あそこじゃなくてもなにかできないのかなと思う。いきなりは無理かもしれないけれどゆくゆくは5丁目から9丁目までかけたワオドリとか。良いよね。

(30)協賛:YOSAKOIソーラン祭りの大通公園西8丁目のステージ建設費及び学生実行委員会の活動費は企業からの協賛金によって支えられている。毎年学生実行委員会が企業を訪問しご協賛してくださる企業を探すことを協賛活動と呼んでいる。
(31)ワオドリ会場:大通会場の一つ。チームに所属していない人でも飛び入りで参加をして一緒に踊ることができる。

ー気軽に踊れるような何かがあればいいですよね。私たちが運営しているパレード会場が第二のワオドリという意気込みはあるんですけど、形にするのは少し難しくて。してきた人たちはすごいなと思います。

 一回ソーランイリュージョン³²⁾というものがあって、地方車がなくて、装飾だけぶら下げて5から10丁目にすべてにスピーカーをつけてパレードするっていうのがあったんだよね。北海道で2つ、札幌で2つ、合わせて4つぐらいのチームを作ってそのエリアの何十チームも集めたんだよね。1チーム1000人とか2000人とかいたのかな。もっといたのかな。15年ぐらい前かな。全ての丁目にスピーカーをバーンと置いた。それができれば地方車なくてもできるね。

(32)ソーランイリュージョン:2011年に行われた第20回YOSAKOIソーラン祭りで大通南北パレード会場を総踊りでパレードするという企画。

ー他の方の聞き書きでも地方車の制作費が高くて、作るか作らないか毎年難しいと聞きました。

 作ろうと思ったら2、300万いっちゃう。音響だけでも最低5、60万かかっちゃうから。某チームでスピーカーとかを買うのを手伝ったこともあるけど、600万ほどかかったね。参加費15万円払った方がはるかに安い。トラックもレンタルをしなくてはいけない。積んだり装飾したりに本番2日間のためでも一週間ほど借りなきゃいけない。撤去も必要。最低でも4日。4日じゃむりかな。発電機借りるだけでもそうなる。

YOSAKOIソーラン祭りの印象的な出来事

ーお祭りで印象的な出来事ありますか?

 1年間が無駄になったわけではないけれど、水を差された感じがある。他に言えば、第1回もそうだし、第2回は学生実行委員会だったけれど前夜祭企画というものをやっていたんだよね。有名な人と高知と札幌のダンススタジオとダンススタジオマインド³³⁾との合同のやつと、もう一つ北海道交響のフルオーケストラとを一つにまとめた前夜祭をやった。曲とか演出から何からやったことがあって。8丁目のメインステージの反対に一回り小さいステージがあって、片方でヴァイオリン、こっちでダンスそしてこっちでオーケストラ。そうしないとオーケストラのセットなんかできなくて。

(33)ダンススタジオマインド:札幌市を拠点に活動しているダンススタジオ。

ー小さいステージも自分たちで費用を集めたんですか?

 集めました。メインステージも今ほど大きくないんだけど。当時は100人前提じゃないから、ステージももっと小さい。100人じゃない、150人かな。あとはね、そうだな、4回か5回あたりか、さっき言ったようにJAL極楽とんぼ³⁴⁾とか、いままでのYOSAKOIのイメージを覆すような、チームが出てきたのもこの年かな。それがあってものすごい幅があって、それと同時に、あ、こんなのもあるんだっていうのを見て参加者が増えて、その辺から一気に100チームとか来るようになったんだよ。その辺もおっきな転機だったかもしれない。

(34)JAL極楽とんぼ:札幌市に拠点を置いていたYOSAKOIソーランチーム。2010年解散。

ー極楽とんぼとかは、実行委員会とか組織の方から声かけてできたんですか?

 いや、こうゆうのを作りたいってやったのは、長谷川君だね。って言うのも、今のような常識を覆すようなチームを作って、参加者もっと増やすなら増やしたいっていう。三浦先生わかる?振付の。

ー名前だけ、わかります。

 あの人が中心となってやってたんだけど。もともとアイドルとかいろんな、芸能人たちの振付をしていた人なんだけど、その人が場当たりから関わって、JAL極楽とんぼだったり、新しい風を吹き込んだ一人ではあったんだよね。時たまね、これ言っていいかわかんないんだけど、組織委員なり、学生実行委員からこんなチームを作ってちょっと、刺激を与えたいみたいなのが、昔はちょこちょこあったの。

ーこっちからチームイメージを言うって思ったこともなかったです。

 いやね、今見たことないようなチームって言われてもなかなか、ほとんど出てるからね。当時はまだね。

ー今は大体出てるみたいな。

 あとないって言ったらなんだろうみたいな。

ー社交ダンス?(笑)

 いや、でもなんかそういうのもありかもしれないよね、ここまできたらね。それこそ、さっき言った少人数部門とかね。でも僕はね、ダンサーが何人かで極めたり見せれるんだから、見せ方はあるような気するけどね。

これからのYOSAKOIソーラン祭りについて

ー主観的な感じでいいのですが、これからのお祭りがどうなっていってほしいとか、自分が関わっている人だったらどうしていけたらなって思ってるとかあったらお聞きしたいです。

 お祭り自体が、続いていってほしいので、続けるためには、今までのスタイルだけにこだわってちゃ難しいと思うんだよね。さっき言ったような、少人数でみせるもの、もっとダンスとかをメインにみせられるような舞台があってもいいし。もっと多様性を持たせるような道を開いてあげるべきじゃないかなとは思う。今まで以上に。なんかYOSAKOIって自由じゃない?

ーはい。

 鳴子をもって、まあこれも別にどまつりではもう持ってもいないし。でもソーラン節くらいは守ったほうがいいとおもうけど。それらさえ入ってればあとは自由だっていうのが、逆にこれYOSAKOIじゃないよねみたいな、例えGARAN43/35°³⁵⁾っていうチームがあるじゃない。下畑君³⁶⁾がプロデュースしてる、あれすごいダンスに特化したチームだけど、でも何となくあれはYOSAKOIじゃないみたいな、受け入れないような雰囲気が、何となく感じるんだよね。そんなことないし、だって踊りすごいうまいしさ、ああいうチームもっと全然出てきていいなって思うし。だから、YOSAKOI、自由なのに、なんでこれがYOSAKOIじゃないみたいな、自分たちで壁作ってみたいなところが若干あるので、もっと、学生実行委員、組織委員、耕作³⁷⁾とかとも相談して、自由な場をとかも考えてあげたらいいかなって。門戸を広げて、表現の場をもっと。大きくしなくていい、表現の幅をもう少し広くもって上げたらいいのかなと思います。

 あとは、チームさんは特に結構、新しいチームもできてるけど、なくなってるチームもやっぱ多くって、全般的にやっぱ人は減ってるでしょ。何となく、それで商売している人間が言うのもなんだけど、毎年新しい曲を作んなければいけない、まぁ大変だよね。新しい振りも作って、毎年新しい衣装も作ってって。特に人数が減れば減るほど。例えば製作費300万掛かるっていうのも、100人いれば一人3万で済むのが、30人しかいなかったら一人10万かかるわけで、それってやっぱすごい大変な話だから、例えば、曲にしても、1回しっかりしたものを作って、それ3年使えばいいじゃない。多少のマイナーチェンジはするにしても。って負担をなるべく少なくして、続ける方向性を考えてほしいなと思います。この間、あるチームが30周年で、お祝いに行ったんだけど、そん時もこの話をして、ファイナルに行くこととか大賞を取ることとか、すごい大事なことだけど、すべきことなんだけど、僕は、それよりも長く続けていくことの方が大事だと思う。そこが賞賛すべき内容だと思うし。大賞5回とりましたっていうより、30年続けましたって言う方が、僕は賞賛すべきことだと思う。そういうのもう少しなんか、全面に押し出せるような、何周年の表彰ぐらいしかやることないんだけど、実行委員がね。大賞何回取ったよりも、僕は30年、35周年続きましたっていう方がすごいと思う。それをなんかもうすこし皆さんわかってほしいというか、そういう認識をもってほしいなと思います。そうしていけば、続くんじゃないかな。とりあえずもう、続けることが大事。増えやしない。

(35)GARAN43/35°:下畑さんがプロデュースを担当し、東京を拠点に活動しているチーム。
(36)下畑くん:C-ASH支部長・グラフィックホールディングスpresents倭奏総代である下畑浩二さんのこと。
(37)耕作:一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会部長、伊藤耕作さんのこと。第13回、14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表も務めていた。

ーよく毎年衣装変えてるなって思います。

 だってそうやってね、まぁ例えば毎年ファイナルとかいって、しのぎを削ってるチームならそれはそれでよかったねって言うのがわかるし、余裕があるからいいんだろうけど、全部が全部そうある必要はね。特に今年は、そういうのが多い。曲が。前の使ってるのもそうだし、前、例えば去年一昨年作ったやつを、ちょっとだけ変えたりとか。最初だけ変えて、ちょっと雰囲気を変えたりとか。例えば、歌とか取り直したりしなければ、そんなにおっきな変更じゃないから、割と安くできるし。そういうちょっと、お金かけない工夫をして、負担なく、無理なく、続けていけるような体制をしてほしいし、もしどうしたらいいだろうって相談受けたら、そんな話もしてあげてほしいなと思います。ちょっと雰囲気変える。例えば、イントロ変わるだけでちょっと曲の雰囲気も変わったりするから。


取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
藤女子大学 1年 伊藤 莉子
北海学園大学 2年 原田 悠里
2023年 2月 22日


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