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YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~ 髙橋強明さん


YOSAKOIソーラン祭りに関わったきっかけ


 ー自己紹介をお願いします。

 KproEvents¹⁾ の代表をやっています。高橋強明(たかはしかつあき)と言います。第8回YOSAKOIソーラン祭りの時に学生実行委員会²⁾に入って4年間所属して、大学卒業と同時によさこいの仕事をされているステップス³⁾という会社に入社しました。

1)KproEvents : 株式会社 KproEvents のこと。髙橋さんは代表取締役社長をされている。
2)学生実行委員会:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会のこと。
3)ステップス:有限会社ステップスのこと。北海道のイベントの企画運営を行っている。

ー実行委員会の経験がきっかけで今の職業を選んだんですか?

 もちろんイベントの仕事なのでYOSAKOIに関わったからきっかけは間違いなくあったかと思います。その経験があるのは間違いないと思います。

ー実行委員会に第8回⁴⁾から4年間いらっしゃったということは、SV⁵⁾まで修了されたのですか?

 当時はSVという言葉も退任的なものも無く、3年やったらどうというルールも無く、大体みんな燃え尽きて1年、2年で辞めちゃうから3年目までやった人が少ないし4年目といったらもっと少ない感じだと思います。

4)第8回:1999年開催された。
5)SV:スーパーバイザーの略。本来は管理職のことを指すが、ここでは実委の任期を終えた学生が団体に残り、現役メンバーをサポートする制度となっている。

ー今と同じですね(笑)

 今のSVの細かい動きは見てないけど、SVとしてやっていた事は一緒かもしれない。表立って班長やりますとか代表やりますとかは3年目以降はあまりしてなかった。

ー3年間は役職とかに就いていらっしゃったんですか?

 2年目(第9回)からは会場班長⁶⁾をやって、3年目・4年目はそれこそSVみたいな感じだったと思います。ちょっと忘れちゃいましたね(笑)3年目は困ったことがあればって感じで。4年目の時は組織が崩壊しちゃって大変だったんだよね。代表がいなくなったりとか、代表副代表が一気にいなくなったりとかでOB達が立て直さないとみたいな感じでしたね。

6)会場班長:西8丁目班の中で、主に本祭時の観客やチームの対応を行う会場部門の班長。

ー私たちの認識では3年目の人が役職(代表、副代表)につくイメージだったので意外でした。3年目と4年目は結構いたんですか?

 3年目になる人はほとんどいなかったかな。4年やる人もいたけどどうだったかな。大体、世代的には2年目の人が役職をやってたかな。

ー経験が少ない2年目が中心となっての運営ですか?

 そう言われてみればそうですね、経験は。だけどそんなに経験はいらなかったんですよ。どっちかというと本祭の経験より組織を運営する力の方が大事でした。寄せ集めで同じ年頃でも色んな人がいて、衝突や葛藤があったりとかっていうのは今の皆さんと一緒ですよ。なのであんまり経験とかはいらなかったかな。

ー考え方が違いますね。

 経験が大事とか、僕自身も20数年間学生さんとやり取りしてるのでやっぱりみんな口を揃えてそういうことを言う。「去年どうだったんですか」、「今までどうだったんですか」みたいな。多分自分たちは、ほとんど言った事がなくて。不安だから(前例を)聞いちゃうんだけど新しい事やりたいっていう8回9回の時期、色々とYOSAKOIソーラン祭りが進化している最中だったので固定概念に捕らわれる事はほとんどなかった。どんどん何でも果敢に攻めていこうだったりとか、何でその人たちがこういう事やったんだろうみたいな事って、まあ今はプロの世界にいるから余計に思うんだけど、正解かどうか分からないし、間違ってはいないと思います。それと同じ事をやっても仕方がない。もちろん良い所は真似していかなきゃとは思うけど。例えば西8⁷⁾の警備員の数だったりフリースペースの運用方法とかは昔からあって、そのやり方を去年どうしたとかはあまり気にせず「今回はこうやってみよう」みたいな感じで。当時人数が多かったからみんなで考えて。西8だけで100何人。当日ボランティアはいなかった。当時は自分の班だけでもかなり人がいたね~。

7)西8:YOSAKOIソーラン祭りのメインステージがある西8丁目会場のこと。

ーすごい。そんなに人数がいたということは組織を運営する力が試されていたんですね。

 当時は班長がいて副班長が二人、さらにグループリーダーというのが4,5人くらいいたかなあ。班長の時は、人が多くて新しい班員を全然知らなかった。緑のジャンパー着てるから学生実行委員なんだろうなぁみたいな。自分の班だけでもそのレベルだから他の班の人はもっと分からない。

ー2年目の時に班長をやっていたと聞いたのですが、嬉しかった事や辛かった事はありますか?

 嬉しかったのはかけがえのない仲間が出来たこと。今年札幌駅南口会場⁸⁾の管理をやらせてもらっているんだけど、そこに来たMCさんは当時のMCさん。西8丁目班の進行で私が舞台監督をやった当時、ファイナル⁹⁾をしゃべってくれた人。今はお互いに良い歳なんでそこ札幌駅南口会場でミニファイナルステージって感じで。当時やっていた人たちが20年たった今でも集まってくれることが嬉しいですね。辛かった事は、皆さんが経験したコロナよりは大した事ないと思ったけど、第9回に爆破事件¹⁰⁾が起こったことです。僕はあの年の人です。最後まで出来なかったんですよね、好きなことが。金曜日の夜に事件が起きて、当時皆さんと同じ19歳の自分は会場責任者、班長みたいな状態でした。大人たちがわーわーやってる最中に、自分は何が出来るんだろうとか考えても何も出来ず、そのまま身を任せて。自分が組み立ててきた色々な資料、当時はパソコンとかもなく手書きの物がいっぱいあったんだけど、資料がどれだけ無駄になったか。一生懸命準備してきた物がたった一瞬でなくなって、もう無駄になった資料がどれだけあったかっちゅうくらい無駄になったね当時は。やっぱ辛かったです。でも何とかこうしようって着地点見つけた時も、周りのみんなが本当に寝ないでひたすらやってくれたなっていう風には思うしね。まぁそれがあって達成できてなかったわけだから3年目やろうって思ったし。まぁ4年目は正直あんまやりたくなかったけど、頼りにしてもらったし何とかしようっていう気持ちの方が大きかったかなと思いましたね。まぁコロナも大変だったよね。

8)札幌南口会場:札幌市内会場の一つ。JR札幌駅南口にあり、アクセス抜群で買い物や食事の合間にも楽しむことができる。
9)ファイナル:祭りのフィナーレを飾るステージ。今年の祭りで各賞を受賞したチームが登場するほか、セミファイナル審査・ファイナル審査が行われ、「もっとも観る人の心を動かし感動を届けたチーム」としてYOSAKOIソーラン大賞が決定する。
10)爆破事件:第9回YOSAKOIソーラン祭り(2000年)、6月10日(土)夜、西6丁目公園のごみ箱が爆発し、当時の実行委員会の学生が被害を受けた事件。

ー爆破事件は聞いててすごい怖いなあって。

 怖かったよね。怖かったっていうかよく分かんなかった。何でそんな事が起きたのか。確かに人気がないって言い方はあれだけど、YOSAKOIソーラン祭りに対して良く思ってない人がすごいいた。ただすごい楽しみにしてる人もいたしっていう。ちょうどその意見がきれいにぶつかり合う時なんだな、っていう風に思ってたね。でもまさかそんな事が起きるなんてっていう。ただバーンっていって事件が起きるだけだったらいいんだけど、本当は人が死にかけてたから。だからそこに死者が出なかったのは本当に不幸中の幸いだったんだろうなって思いました。なんせその時、うちの第9回の代表も事件に巻き込まれて、本当に血を流して最後の挨拶立った。包帯巻いた状態で立ってるんですよ。そんなこともあったりしました。僕自身はすごい遠くにいたので何もなかったんですけどね。二度と起きないことを祈るばかりだね。

YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会に入ったきっかけ


ー実委に入ったきっかけは何ですか

 きっかけね。今こそ関わってないっていう言い方はおかしいですけど、コロナ前までは元々パレード班¹¹⁾で鉢さんがやってる役割をここではやってました。

 アルバイト情報誌に載ってた学生実行委員会の広告をふらっと見つけて。もうゴールデンウィーク明けくらいかな、五月の中旬くらいに電話をして「まだやってもいいですか」って言ったら「締め切りとかはないんで」って言われて、電話したその日にそのまま事務所を訪ねて、入りますみたいな感じになった。色々悩んだんだけど札幌の大学生にしか出来ないことってYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会だなって思った。ここでしかできない。多分東京や大阪に行ってもYOSAKOIソーラン祭りはない、まぁ同じようなイベントのサークルみたいなのはあると思うんだけど。これだけの規模で学生がやっている実行委員会で、今しか出来ないものって考えたら相当魅力的だなっていうのが一つきっかけだった。今もそれに対しては自負を持ってるし。多分それが一番の理由でした。今は本当に色んな物があるから何かと比較したらあれかもしれないけど。興味を持ってやろうと思ったら何でも出来ちゃう環境下にいて、みんな目の前のことに不安になるだけで終わっちゃうからダメなんだけど。当時僕らの時はほんとに何でも出来たし果敢に攻めてったし何でもやったね。お金もなかったけど時間と人はいるっていうのを武器にして、何でもやった本当に。

11)パレード班:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会を構成する班の1つ。主に大通南北パレード会場の運営を担当する。

当時の活動について

ー「果敢に攻めてった」っておっしゃっていましたが、例えばどんな事をやったのですか?

 例えば、ステージのデザインって今はもう決まっちゃっているけど当時は我々学生だけで決めていたんですよ。それこそ組織委員会¹²⁾の方とも協議した上でああでもないこうでもないって作ってたんですよ。デザインするってなるとそりゃお金かかるんだよ。でもこれだけ良い物作った。紙ベースだったけどこれだけのものが作れたんだっていうのがあった。お金がないとか言いたくないみたいな。床を装飾するのにあと30万円くらい足りませんっていう時に、協賛活動も大体落ち着いちゃってどうやっても出ないよってなったから、当時のステージ屋さんに頭を下げて。原料や材料とかもステージ屋さんに用意してもらうんですけど、「塗りに行く作業の兵隊だけはいっぱいいます、それ以外の倉庫のお手伝いとかゴミ拾いとかなんでもするので」って言って、一週間日替わりで学生実行委員会が毎日倉庫に行ってひたすらベニヤ板を塗ってた。少しでも経費を軽減できるようにって向こうの道具の整理とか、ほぼバイトみたいなことを無償でずっと一週間ぐらいやってるうちにステージ建設する方もそれで看過してくれて、じゃあいいよって言ってやってもらった。

12)組織委員会:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会のこと。

ーすごいですね。

 時代に合っているか合ってないかは分かんないですよ。ただそういう事もしていた時期でしたっていうのが伝えたいところで。

YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会のあるべき姿

ー自分たちでお祭りを創っていくっていう意識の低下も結構あって、目の前の仕事ばかりに捕らわれて不安とか忙しさとかに目がいって2年目で終わっちゃうっていう現状かなって思っていて。

 なるほどね。それこそ、パレード班の管理とか色々やってた時に、4月ぐらいから年明け早々だったかな。2月3月くらいに今年こういう事やっていきましょうって色々やって、実際やる事あんまりないんだよ。3月くらいまで協賛活動しかなくて。で4月以降どういう事やるってなった時に、どうやって運営するか、新しい事どうしていきましょうとかシュミレーションしましょうとか。確かにその通りなんだけど、つまんないんだよ正直。新しい事しなきゃいけないし何かしなきゃって。作業する時にその作業をずっとおもちゃって呼んでいたの、新しい子たちにおもちゃをあげないとつまんないから、とにかくおもちゃ作ろうって言って、ひたすらおもちゃ作りを考えてた。何の作業させるか考えて、合同パレードとか色んなやつがあったんだけどそこのプラカード作ろうって。ただ、どういうのが良いですかとは聞くな、と。どういうテイストでどうやったら良いのか考えるのがしばらく新1年生たちの作業。スーパー行って段ボールもらってきてテープでバリバリ汚く貼ってでその上に模造紙貼ってどういうデザインにしようかみたいな。それを無残に使い終わったら、本祭の日曜日に綺麗にビリビリ破いてゴミ箱に捨てる。だってそういう儚いものだからね、っていう。記念に取っといても絶対良い事ないからって言って。誰も得しないからって。捨てよう捨てよう、っていうのをやったりとか、本当考えた。ただ、仕事が忙しいのは、あれこれやることを新1年生に共有できる人が上の班長をはじめなかなか少なくて。新1年生の知識が足りないからだと思うんだけど意外にそんな事なくて、教えたら一日二日で出来ることもいっぱいあったりとか。どこまで気持ちについてこれるか、ついて来てもらえるか、こっち側に入ってもらえるかだと思うんだけど。そんなの会社組織でもないし、難しいじゃない、正直。熱意を伝えるのって。

ーそうですね。

 もうね、大事なのはどっちかっていうと、人間としてみんなが互いに好きになれるかどうか。もう少なくとも実行委員会の時、やっぱり好きな人だいぶ居たもん。ほんと、当時は原始的な作業何でもあった。今はエクセルでこうやって並び替えてって簡単に出来るけど、当時は並び替えるのも原始的だった。こう一枚一枚並べて、「さっきはあったのにね。」みたいな事とか本当にあった。「何番のチームどこいった。」みたいな。窓開けて風でビューっと飛んで行って、「あー。」って。本当にそういう事があった時代だったから、そういう作業しながら楽しかったんじゃないかな、と。それでやってたら自ずとこっち側に引き入れられたし。ただ仕事が大変だからとか、作業が大変だからってのは、まあ上の人達は実際にそうなんだけど、これは多分言い訳で、それに伴う仲間たちを作れてないのが多分一番の悩みなんだと思います。傍に一緒にいてそれを共有できる人が居るだけで、大概のことは乗り切れるんじゃないかなって。僕はそうだったし。そう思いました。

ー確かに。

 今までの実委の人達、それこそパレード班の子達にしても、そういう事に関してだけは動けていなかったりして。今までこの作業を何日までにどうしましょうみたいな課題を課してたんだけど、そんな事よりも仲間内の揉め事や互いに連絡を取ってなかったりする事に関しては、「みんな集まれ。」って言って本気で怒ったね。

 今はそれこそLINEとかで繋がってたりするのに、「今、この子は何の仕事で悩んでいるか知っているか。」「いや知りません。」「じゃああなたはあの人が何やってるか知っているか。」「知りません。」って。すげえつまんねえ事やってんなっていう感じで怒った事があったりとか。一人で悩まないで欲しいっていうのもあった。その悩みの矛先は、大体悩み自体を与えていた僕なんだけどね。やって欲しいことがあったら、そうやれるギリギリラインの壁を渡してたし。でも一人じゃ無理だろうなっていう所を、結局一人ずつみんなに分散させてやらせてたっていうのが結構多かったから、そういうのはやっぱり良くないなとは思いながら。

ー確かに。

 実際ね、その壁自体もあまり大したことないんだよ。やんなくていいよってすぐ言えるくらい。うちでやるよって言ってるスタッフもいたし。本当にそういうのを何の感情もなくやらせられる人間もいたんだけど。皆にとってみればやっぱりプレッシャーもあっただろうし、さっき出てきたオモチャというものを違う形で渡してたわけ。ただ、やってもらわなきゃ困るっていう気持ちもあって色々考えながらこちらもやってたけど。そんな感じだったから、終わった時は友情が生まれたりとかはあったんじゃないかなって思いますよ。当時から思って。まあ自分はすごい嫌われてるかもしれないけどね。「あのときのあの言い方。」とか、たまに会うと怒られたりするしね。

ー勉強になります。

 それが当時のやり方だったしね。でも今の子はあんまり人に興味持ってないなと思う。自分の班員や仲間にもっと興味持てば良いのになって思う。合理的に考えちゃうと分かんないよね。今思えばそこで出来た仲間たちというのは自分自身の一生の財産だと思うし、20年経った今でも連絡取り合って、なんかあったらYOSAKOI手伝ってくれてみたいな。

周りを巻き込んだ活動

ー昔の実委の方がたくさん人がいたと思うのですが、皆を巻き込んで引っ張っていくコツを教えて欲しいです。

 何だろうね。さっき言ってたおもちゃ作りはとことんやっていたので。いきなりぱっと入ってきた人に、実委がつけてるIDカードを明日までにあと一万枚作るのを手伝ってもらうとか。それで皆ではさみをチョキチョキやっていた時代だったんだよ。作業するから集中するよね、終わった後に達成感もあったし、一緒に作業した仲間っていうだけでほんとに仲良くなったりしてたな。何もない状態で、一生懸命何かを組織を作っていきましょうとか精神的なこと言ったら、ほぼ宗教団体に近くなっちゃうから。そこまでの力は自分にも皆さんにも無かったんですよ。そうではなくて、目の前にある作業というおもちゃをどれだけ分散させて皆にやる気を出させるかという気持ちの方がデカかった。

 その時もよく言っていたんだけど学祭の準備はみんな楽しかったと思う。日が落ちて電気がいっぱいついている中、先生に「早く帰れよ」って言われることがあったと思う。でも今はどうか分かんないけど、当時は携帯なんてなかったし、今逃したら誰に連絡とればいいか分からないみたいな感じでだらだらコソコソしながら作業したりするのが楽しかったと思う。それって今皆さんがやっている事とあんまり変わんないと思う。そういう物をずっと毎日やっていると思いながら実行委員会の活動をやってほしいなと思っているし、20年近くこの業界の中で若い子に「運営のお仕事ってどんな感じですか。」って言われたら「毎日学祭の準備やってます。」って言える。そしたら楽しくなるよね、楽しいと思える業界だし魅力があるだろうな。ほんとに毎日学祭の準備をしてる。辛いことの方が多いけど。地味な事もあるんだけど、作業追いつかないときはアウトソーシングの時代だから色んな事できちゃうんだけど、それでもやってる事は変わらないわけで、20何年間学祭をやってるね。中々終わらない学祭なんだけどね。(笑)

 これは僕の言い方ですけど伝えてもらってもいいと思うんです。大学生になってほんとに今まで何にもしてこなかったですって人はあんまりいないと思っていて、部活だったりとか何かの団体に入って一緒に何か目的をもって活動してきた事がある人達だと思うんで、そこでの経験を生かしながらその時の感情を思い出しながらみたいな感じだと思う。

―グッときました。

 そんないいこと言ってないですよ。(笑)こんなまじめな話したら伊藤さん¹³⁾に怒られますけれど一応後輩にあたる実行委員会なわけで。だけどこれだけ僕真面目な事言ってるけど、未だに言われるよ。本祭中みんな真面目に仕事してると思うんだけど、当時僕は自分が一番偉い奴だと思っていたの。この舞台作り上げたのは俺たちみたいな。

 今どうやってやってるか分からないんだけど、おもちゃ作りが大事。班っていうか自分の組織として絶対大事だと思ってたんで、司令塔は一人しかできなくて、今は違うんでしょ?何曜日とか分かれてない?

12)伊藤さん:一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会部長、伊藤耕作さんのこと。第13回、14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会代表も務めていた。

―ないですね。

 ない?いつも司令塔は二人だけ?同じ人が本番中だよ?水木金土日って同じ人がやってる?

―曜日じゃなくて時間毎でやってます。

 当時は、ずっと一人でやってたの。司令塔や警備以外の役割をとにかく色んな子に一回はやらせようと。スロープ係は今とあんまり変わらないのかな。なんせ班員のことあまり覚えてないし色んな子がローテーションして副班長とかもやらせてたから、「変わりました。」とか言われてもこっちは忙しくて誰が誰なのか分かんなかった。

―今と昔でお祭りや実行委員会に違いなどありますか?
 
 お祭りは10回くらいからはそんなに変わってないと思ってる。まぁ新しいものやろうとして、観客動員数や経済効果が右肩上がりだったりってのはもちろんあったけど。それがずっと横ばいかちょっとずつ上がってるんじゃないかなってずっと思いながら。そんな中で今まで簡単に許されてきたものが、許されなくなってるのが現状でもあるだろうと思う。一般のお客さんからも、なんでここタダで見れたのに今は見れないんだとか、やらない事に対してもやる事に対しても悪いみたいな言い方、意見が出てきたり。これって、YOSAKOIソーラン祭りが文化に等しくなってきているんだと思う。「YOSAKOIソーラン祭りって何ですか」って言われて悩んだ時代から、今では「YOSAKOIの時期が来たね」って言われる時代になったということを思ったら、やっぱりそこは違うんだろうなって。それぞれの課題がそれぞれにあったと思うし。だから今がいいとか悪いとかっていうのはよく分かんないし、今は今なんだろうなって思う。そこに良い悪いはもちろん存在しないんじゃないかって僕自身は思ってます。

 それに合わせていった学生実行委員がどうだっていうことに対しても僕は良い悪いを言うつもりはあまりないんだけど、ただ、ちょっと殻に籠もってるなっとは思うね。さっき言った「文化」に飲まれてるんだろうなっていう感じ。固定観念が強く植え付けられてそのままになっちゃってる人たちが多いんじゃないかなっていうのは最近感じる。そうなっちゃうと他の事も同じ考え方で処理できちゃう。つまんなくなるよね。毎年色々頑張んなきゃいけないのはこういうこと、人集めってこういうもんだからみたいな。そんなわけないんだよ絶対。どんなことも毎年変わるし、そもそもここに集う人間が毎年違うのに。そんななかで今やるべき事はちょっと違うんじゃないかなとは、ちょっと思う今日この頃でした。でも今みたいに人の話を聞くっていうのも一つの手法だと思うから、何かを知るというか、現状を知るという意味で、それは良いきっかけなんじゃないかと思う。自分たちにあと何ができるかっていうのは後で考えればいいし。きっと何か答えが出るんだとは思いますよ。それが何なのかは僕にもわかんないですけどね。

―たしかに、例えば会議やるにしても、「何をしたい」からじゃなくて「会議はやるもんだ」からになってます

―全体会議も、班会議は基本集まるんですけど、全体会議の出席人数が少なくて。でも鉢さん¹⁴⁾が言ってたみんながそれぞれ好きになれるか、人に会いたくて来るっていう団体ってなったら本当に良いですよね。

 文明の利器がよろしくなく作用してるとは思うんだよ?LINEで済む事だらけなわけじゃん。それに対してみんなも合理的に思うよね。「明日〇〇を持ってきてください」っていう連絡をするためにみんな集まる、みたいな。それは今だったらLINEひとつで好きな時間に連絡を受けて、終わるわけじゃない。難しいなとは思いながらも、それでもやっぱり集まってほしいよね。顔を見に来てでも良いし。何かもっとふざければ良いのになってくらい、当時はふざけてないなっていうのは、今となれば思うしね。今事務所に、トランプとかボードゲームってないよね。

14)鉢さん:有限会社ステップス代表取締役社長の鉢 直人さんのこと。本祭では主にパレード会場に関わってくださっている。

―カードゲームとかはあるんですけど、

 ある?めっちゃやってたもん。麻雀とか、プレステとか。もっと言ったらギターもあったし、本当にみんなが歌って、ギターを弾ける人がいてね。何本かでひたすら酒飲みながらとかそういうのが。

―いいなあ。

 本当にそういうのやってた。その当時の仲間たちで楽しいこと絶対あるはずだしね。そりゃ毎日だったら大変だけど、俺がやってた時は毎日だった。よく分かんないくらい。知らない人同士がなんか酒盛りして、毎日歌ってたな、みたいな。

―なんか、雰囲気が堅い団体になっているっていうのは感じます。

 堅くはないと思ってるんだけどね。誰も、堅くしようとはしてないんだと思うよ。どんどんやっていけば。それが良くないんじゃないか、怒られるんじゃないかみたいな固定概念がどんどんついてるから。

 それこそ、これから夏休み入るのに地方大会とか色んなもの行ったりとかすると思うんだけど、それ以外もやっぱり、めっちゃ色んな人と色んなとこ行ったね。思い立って、行こう!みたいな。天然露天風呂ツアーとか勝手に決行して。全員絶対入ること!みたいな感じで行ったね。もう運転手以外みんな飲みながら、べろべろになりながら、みたいな感じのやつを弾丸で行ってたりしたね。楽しかったよ。当時は当時で。まあそういうのをいっぱいやれればっていうのは思う。

―メリハリある、にしたいですね。

 僕もまだ関わることはあると思いますし、どういう形になるかは分かんないですけど。色んな人とお話聞いてみてもらえればと思いますね。


取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海学園大学1年 花岡采南
北海学園大学1年 本川花帆

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