YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.6 佐川一平(さがわいっぺい)さん

(第15回YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会事務局長)


最後列右から4番目が佐川さん

実委に入るまでの流れ


 大学のクラスメイトから「手伝って」って言われて手伝いに来た。手伝いに来たら大変そうだなって。札幌出身なんだけどね俺ね。(祭りのことは)知ってたけど見たこともなくて。「やってるなー」ぐらい。
 なんかさ、北大祭って6月にあるじゃん?それが終わって、クラスメイトに「手伝って」って言われたら「まあじゃあやるか」みたいなそんなノリだよね1年生の時は。ほんとに何だろう、変な団体だなと思ってさ(笑)。「普通の大学生活を謳歌しよう」と思ったって感じだよね1年の時は。
 夏かな、実委¹⁾の遠征とかも何個か行っていて夕張に当時お祭りがあって夕張に行ったときに「この団体に来てみない?」って言われてたまにはいいかと思って行ってそこからは踊り子の人とかも含めて仲良くなってさ、こういう世界もいいかなと思って(実委の活動を)やり始めたのがきっかけだね。あんま何も考えず。実行委員会の力になれるんだったらいいやって、そんな感じ。そしたらそこからイベントの頻度が増えてってあれよあれよって感じでいつの間にかメンバーになった感じかな。

1)実委:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の略

1年目の時の本祭での活動


 当日はねー、まず何だろう。金曜日から来たからソーランナイト²⁾かな。ソーランナイトから来て、ゴミ箱の前で警備をしていた。土日は審査かな。土曜日は審査で、地方車³⁾の高さ測ったりとか、「規定通りですかー」とかした。次はストップウォッチ持って「4分半以内ですかー」みたいな。これ4分半じゃなかったらどうなるんだろうなーって思って、「どうなるんですか」って聞いたら「どうもならないです」って(返ってきた)。測っている意味あるのかなって(思った)。そんな感じでやっていたかな。
 一応審査終わって西8⁴⁾の北極星⁵⁾上がって、んで、そっからはなんもなかったな。「打ち上げやるよー」みたいな、打ち上げなんか楽しそうだなみたいな感じで打ち上げ行ったらいやーすごい団体だね。
 なんか会議するってなってさ「会議かー」みたいな。んで当時(北)18条に事務所があったんだけど変な事務所だな~って(笑)。入っていったらなんかいっぱい(人が)いるし、その時は3,40人くらいじゃない。たぶん、「おーこんな感じか」って(笑)。しかも汚い事務所でさ、「こんな感じですか」みたいな。
 で、打ち上げ。打ち上げって普通居酒屋じゃん、「居酒屋行くのかな」って思ったら行かないでさ、「積丹行くぞ」みたいな話をしててさ「積丹?」みたいな(笑)。「積丹で打ち上げだ」ってなってまあそうかって、ということでまあでも居酒屋も行ったんだけどね。まあそれで積丹まではだから行ったかな。「打ち上げだー」って言って。
 んで積丹まで行ってなんか積丹でも祭り、積丹味覚祭りかな?の手伝いとかさあとキャンプしてさ、楽しいんだけど、まあでもそこで南中ソーラン⁶⁾を踊ったりもするんだけどね。「自分たちが踊り子の気持ちを分かろう」ってので毎年そうだね、積丹味覚祭りでは実行委員会は青の実Tを着て南中ソーランを踊るっていう毎年のあれだったね。まあ1年目はさ、わけわからず積丹に行ったけど毎年の積丹の打ち上げってのは大きかったね。「あぁ、積丹来た、1年終わったな」って(笑)。でもほんとにご飯もおいしいし、お祭り自体も運営もやるしね。踊りもするんだけどとても楽しく積丹で踊らせてもらったって感じだね。

2)ソーランナイト:本祭3日目に行われるイベント。前年度の受賞チームを中心に、海外からのゲストチームなどが次々に登場する華やかなステージ。
3)地方車:パレード会場で音を流すトラック。チームによって個性があふれている。
4)西8:YOSAKOIソーラン祭りのメインステージがある会場。参加全チームが演舞を披露することができる唯一の会場。
5)北極星:YOSAKOIソーラン祭り組織委員会が作詞作曲を手掛け、向井成一郎が歌唱している楽曲。YOSAKOIソーラン祭りでは毎回YOSAKOIソーラン大賞のチームの演舞が終わった後、学生実行委員会の学生が全員でステージへ上がり、全員で歌っている。
6)南中ソーラン…民謡歌手の伊藤多喜雄が北海道の民謡であるソーラン節をアップテンポにアレンジした曲を用いた踊りの通称名

2年目の実委での活動


 次の年はなんだろうな。協賛ってやつがまずね1年の後半から始まるじゃん。んで2年生になると会場班で警備やるんだけど。当時は西8班⁷⁾じゃなくて会場班だったんだ。まあ西8班しか会場(の運営)はやってなかったからね。「会場班で警備だ」ってなって。その後1月2月でも色々あって。まあ、1月2月協賛集めながら新歓どうするみたいな。
 新歓担当だったかな2年のその時。新歓担当で当時”縁”⁸⁾のやつらと一緒に新歓やったりするときもあるし、自分たちで新歓やる時もあんだけど新歓担当として1年の後期から考えていて、警備もやって。そこで2月か3月くらいに当時中越地震があったんだわ。新潟ね。もう一人警備班長の人がいるんだけどそいつが「何か企画したい」って言って中越に行って参加者を集めてこっちに連れてくるっていうプロジェクトをやって、、、だからそいつがいきなり2月か3月くらいからいなくなってさずっと新潟にいるんだよ、わけわからないでしょ。だしいろいろなこともあってね当時耕作さん⁹⁾も一緒にいなくなってね。そんなときもあって2年の新歓も俺やって人集めて当時も百何人集めてね。今の方が全然多いと思うんだけど当時も百何十人集める新歓をやりながら2年生は警備班長をもやってた。

7)西8班:西8丁目班のこと。主に西8丁目会場を運営する学生実行委員会内の班。
8)西8:大通り西8丁目会場のこと。
9)”縁”:北海道大学のYOSAKOIソーランチーム。
10)耕作さん:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会部長、伊藤耕作さんの事。第13回、第14回のYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会の代表も務めていた。

当時のコアボラと当ボラについて


 今がどうなっているかわからないけどごっちゃだよね。その集めた人も中心にいるし、当日ボランティアもいるしというところでごっちゃになっている感じかな(笑)。中心になってやってくれる人がいればいいんだけど、当日だけの人も別に当日だけで受け付けるしみたいな。
 まあ、コア¹⁰⁾でいうと3,40人だと思う。だから当時からやっていてあのコアと当ボラみたいなのないから色んなイベントに例えたら新歓だったらさなんか「バレーボールするぞ」みたいなとかやるじゃん。「バスケするぞ」とか。で、キャンプ行くのも全部一斉に、ハイキング行くのも一斉に誘っているからだから一色単にやってて会議とかにたまにその来てくれたりもするけれども「基本は当日だけです」(の人)もいるし、そうやっていくうちにあれよあれよとのめりこんでくる子もいるし、あんまり区別がなかったんじゃないかな。そう、当日は当日でね当日ボランティア募集とか言ってやるけど、あんまりないんじゃないかな。そういう区切りが。ま、逆にでもどんどん毎日増えていくよね。「ふーん」みたいな。それを名簿頑張って作っていた。(笑)そんな感じかなー。

10)コア:YOSAKOIソーラン祭り当日の運営スタッフは主に学生実行委員会のメンバーと当日ボランティア(当ボラ)で構成されるが、そのうち実行委員会に所属している運営スタッフのことをコアと呼ぶ。

新潟にも行った班長との関係とその年の本祭


  1.  新潟に行ったことに関して言えば、寂しかったとか全くないね。「行ってらっしゃい」みたいな。「大丈夫かな」ぐらい。班長とも仲良くなかったからさ(笑)。
     班長も本祭にはいて警備もたまにはやるけどその被災者の人も連れてきているわけじゃん?そっちにもつきっきりだから、大変ではあったね。1年生の時に警備やったことないしそこが分からないってのが大変だったけどどうだろう。今もそうだと思うけど安警¹¹⁾の人もいるから大丈夫っちゃ大丈夫だったかな。だけど、フリースペース¹²⁾が広い。
     今はちょっと狭まっちゃってるじゃん。今は(フリースペースが)広くて、チケットみたいなのやってるじゃん。そういうの当時はまったくやってないからさ。観客がうわーって感じ。それをこう「揉めそうだなあそこ」みたに見ながらやってた感じかな。

    -フリースペースが広かったらそこそこ揉め事もあったんですか…?
     揉め事…そうだね。2年生の時も揉め事あったりするし、(お客さんに)「あそこ取っておいたのにとかなんで今入れてくれないの?」(と言われて)、「いや今演舞中なので」(と言う)とかもあるし。一番すごかったのは俺が3年生の時、第15回の時が一番大変だったかな。テレビの、クレーンみたいな横に動くクレーンがバーッてあってファイナルの時だけ看板がビューって出るんだけどそしたら看板の近くの人が見れないじゃん。で、その看板が邪魔だ邪魔だってなって、(お客さんに)女の子が捕まっちゃったんだよね。だから「やばいなー」って思ってササ―って行ったりはしたね。

    11)安警:安全警備株式会社。公式ホームページ
    12)フリースペース:大通西8丁目会場に設けられている無料で演舞を鑑賞できるスペースのこと。

お祭りの中での印象深いこと


 お祭りの中で…。それは自分にとってか。自分にとっては第15回が終わった時が一番印象深いよね。北極星とか。でも北極星はあんまり俺…北極星もいいけどって感じかな。片付けの時間とかかな。
 やっぱりいろんな大人の人とさ、やってもらって支援してもらっているわけじゃん。だから、最終的には事務局長になってね、事務局長ってのは代表があって、各班があってこの横にいる感じだよね。だから代表と二人三脚でやって、でやっぱりいろんな人からのご支援もいただきながらやってたから、みんなもいてね、これは何か形になったなーみたいな。ほんとにいろんな人のお世話だったなーとかさ、みんなといいものできたなーってところの方が、北極星は感傷には浸れなかったかな。終わった後の静けさでみんないろんな人に「ありがとう」って言われたりとか、それが一番かな、やりがいがあったのは。

事務局長になった経緯と想い


 当時なんか立候補…。そうだねー、あんまり思い出したくないね(笑)。なんかやっぱり代替わりの時にさ、色々「あーでもないこーでもない」があってさ、うごめいているのがね、それこそどっか行ったんだよな。定山渓か富良野か行って、「○○の家で飲み会やろう」って言ってなぜかそこで来年どうするんだって話になり「おぉまじか」みたいな。みんなべろべろだよ。みんなべろべろの状態で決めたわけよ。じゃあ「事務局長やりますわ」、「代表やりますわ」って感じで。当時のその飲み会は伝説だね。変なことが起こりまくっちゃって(笑)。焼酎を1本飲んで最後は回し飲みだよね。「辛い!」って言いながら決めた感じかな。だからそこの部屋はやばかったね。学生の時にしかできないよね。そういう感じで決まったかな。
 勢いで事務局長に決まったけど俺自身実家勢でね、その当時北大生もたくさんいたからさ、帰りが遅いわけよ、「おっせえよ」みたいな。0時過ぎて「終電がなー」って。でも「ちょうど盛り上がっているところだし今日は終電逃すか」って、そしたらそっから10分とか15分とかして終わって「ふざけんなよ」みたいな(笑)。
 でもそんな感じでさ、コアでやる人が残っていくんだけど10人くらいしかいないわけよ。だからまあ、でもやっぱり新歓とかも通していろんな人の事情があるわけでさ、それをでもその人たちはYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会を知ってこの場を好きだったりとか面白いとか思ってくれる気持ちは変わらないわけよ。だからそれをその人たちがどんな関わり方でもできるような実行委員会にしたいなと思ったわけよ。だから何だろうな、「来た時にはお弁当はこういう感じで準備しよう」とかさ、「君には班長には毎回来てねって言われているけどこういう形でやってくれとか言っておくよ」、とかさ、そんな感じの調整はしていたよね。そういう風にしたいと思っていたからさ。みんな熱いからさ、「冷静になれよ」と。そんな夢物語みたいなこともあるし基本冷静な態度よ、だからそういうところは。夢物語もいいけど現実を見ようと。

-佐川さんもガッツある方かと思ってました。

それもあるよ。そういうところもあるけどでも基本的にはそういう夢を語る人たちはたくさんいるから「こいつらこう言っているけどなー。まあまあ」っていう立場。俺自身はこういう思いがあったかな事務局長としてこうしたいみたいな。

同期の仲間との関係


 仲は良いよ。今は仲いいけど仲が悪い時もたくさんあったしね。でも基本的には仲いいと思うよ。だけど喧嘩は何度もするよね。うちのメンバーはハルキってのが後期代表。前期代表と2期制でさ。決まっていたわけじゃなくて勝手にいなくなったんだけどね。
 まあでもハルキってのが代表としていてあとシゲってのがいたかな。福岡から来たね。会場班から入って前期代表やった子がいたな。そいつも頭よかったね。考えることがすごい。なんだろうな、今弁護士やっているけど天才肌って感じだよね。言ってること訳分からんみたいな。言おうとしているニュアンスは間違っていないこともある。YOSAKOIソーラン祭りは学生運動だ、みたいな結構右寄りの激しい感じだけど表現をする場であって、っていうところは間違ってないしアイデアマンだよね。
 あとはMCはタカさんってのがいてそいつも弁護士、法学部が多かったかな。審査班長のコマチってのも法学部だったしね。あとはそうだね、俺は理学部数学科なんだけどハルキもそうだしヨシキっていうちょっと変わっている子も理学部数学科かな。あとどうだろうな。専門の子がいたかな。あとは藤がちょこちょこいたりして、比較的みんな仲は良かったと思うけど代表とは何度も喧嘩したな。
 一緒にいる時間がとにかく多かったからそりゃ喧嘩もするよね、って。だけどYOSAKOIソーラン祭りに来るメンバーもちょくちょく来てるメンバーもいるけどあんまり来ないかなー。俺が福岡に行ったらシゲと遊んだりもするし、ハルキは滝川には遠いからいこうとしないけど(笑)。でも百何十人とかいるとコミュニケーション能力が鍛えられるよね本当に。「こういう人もいるんだああいう人もいるんだ」っていうね。だって大学だけだと好きじゃない人とは話さなければいいだけだけどここで顔を合わせて一緒の物作るとなるとね、ある程度こっちも明るく接したりさ、だから人間としての幅は広がったよね。社会に出るともっと広がると思うけど。社会に出るとほんと広がる。その一歩としてはほんといいと思うよ。

過去の同期との忘年会での1枚

実行委員会の外の人との関係


 変な人も多いよね(笑)俺なんか多分同期の中でもいろんなチームの人と仲良くなってた方なの。というのは夏とかいろんな支部長・支部会議、支部大会¹³⁾に回ったりもしたからいろんな大人の人と(仲良くなって)、今でも何かあったら電話したりするし本当に色んな大人の人に覚えてもらっているタイプなんだけど逆にそれが今でも励みになるよね。「こういう風になろう」とかさ。
 今自分会社の経営者でもあるんだけど会社の仕事ともう一つライフワークとしてここまで遊べる大人って面白いなと思うし、社会貢献としてやってる大人としてもほんとにすごいなと思うし。俺自身も田屋¹⁴⁾さんの還暦パーティーに出たときもほんとにこの人60歳になってもまだチャレンジしているんだなってのがほんと尊敬するよね。だからそうならないかんなって思う。学生時代やってたことが思いが伝わってさ、学生の時なんてこっちもお金ないからさすねかじりまくってだけど思いだけはあるからその思いだけでかわいがってもらってた感じだよね。

13)支部長・支部会議、支部大会:道内のチームの多くは支部に所属している。その支部の支部長が集まる会議を支部会議、支部所属のチームが集まり演舞を披露するイベントを支部大会という。
14)田屋さん:安濃津よさこい組織委員会専務理事。

今のお祭りと会場数もチーム数も多かった当時のお祭りを比べて


 どうだろうねー。違いを感じようともしてないし、違うと言いたい気持ちもないんだよね、正直。目線が変わるじゃん、大人になると。放っといても年取るわけだしさ。上の人に「昔はこうだった」とか言われても「知らんし」みたいな。昔の人が思っていた基準と今の基準はどんどん変わっていってると思うからそれをとやかく言うことはないかなって思うわけ。「違うな」とは思わないようにしてるし言わないようにしている。
 だけどこっから先に向かってどこに向かっていくのかなというのは考えていかないといけないなと思うよね。というのも皆さんが、というより社会的な状況も変わっているしどうあり続けるのがいいのかというのは僕自身考えたいよね。まあでも当時も盛り上がってはいたよね。
 僕自身もこのお祭りが長く続いてほしいというのは今でも変わらないし、学生を卒業してもずっと持ち続けようとしていたからすごくありがたいことではあるよね。なんかこう世代交代にもなってるんじゃないかなと思っているけどね最近。だからなんだろう、会場数が多かった盛り上がってた、今でも盛り上がっていると思うんだけどその各々では。各々では盛り上がっていて各々ではすごいエネルギーあると思うんだよね。それを表現したりとかぶつけられるステージをどう作るかとかお祭りをどう作るかとか仕組みをどう作るかとかってところがうまくかけ合わせればもっと盛り上がると思うんだけどね。

祭りを通して地域貢献を


 僕らがやってた時ももちろん地域貢献もあると思っているんだけど、そこまで考えてられなかったかな。だけど働いてみると教育という意味でもあるしね、町おこし。人が集まる場を作っているわけだし、そこで踊っている人の生き生きとしているところもあるじゃん、若者のね。だからそこのエネルギーとかを地域に活性化するという意味では地域貢献にはすごいなると思うんだけど、それがわかりにくいんだろうね今は。
 表現が今はいろんなコンテンツがあるからね。価値は絶対あると思うんだけど。当時は活動理念¹⁵⁾とか特になかったね。思いはあったけど。あれはいいと思うよ。会社も絶対作るのよ。ミッションというのを作るんだけど、何のために自分たちは存在するのかというのを作らないとうちも社員がついてこない。「何のためにこの会社あるんですか?」って時に「このためですよ」って。それが分かりにくくてもいいんだよ。でもそれがないとブレブレになっちゃうよね。ただの金儲けだけやる会社になっちゃうと人って残らないし、良い人材に育たないからね。
 その後にビジョンっていうのを会社だと作る。この2,3年でどうなっていたいかっていうのをね。どういう風なミッションがとか、どんな存在になりたいかとか、何のために会社があるかの存在理由をミッションとして作ってビジョンも作る、どういう風になっていたいかの。単年のでもいいんだけど。
 だいたいうちは3年くらいでつくってる。3年くらいで作って毎年の方針も作ってる。だからミッションの他にもミッションみたいなのを作っても面白いかもね。3年後に今参加していない地域から何チームくらい参加してもらいたいですとかあってもいいかもね。
 こういうなんだろうな、どっかの自治体から感謝されるためにやっているわけではないけど友好関係を築くためにも一個作りますとかどういう風になっていると自分たちはうまくいくのかなというビジョンがあればね。YOSAKOIソーラン祭りで自分たちが考える課題って何だろうなみたいなね。
 だけどアンチもずっといるからね…。どういう統計の取り方したらああなるんだろう。俺の周りの友達とか聞くと(YOSAKOIソーラン祭りに)反対(派)はいない。興味なしも割といるけど、別に反対ではないじゃんみたいな。だから何をもってあれがアンチとなっているのかはわからないんだけどそういう指標を出していってもいいかもね、自分たちで。まあ、日常に関係ないからってのはあるだろうね、参加してない人にとっては。だから興味なしは割と多いと思う。だけどアンチではないと思うんだけどね。だからなんでこんなにアンチが多いかはわからない(笑)。聞き方だったり統計の取り方によって違うと思うけどね。だけどアンチがいる思いが募ってさのっかってくる人もいるじゃん。良くないと思うけどね。

15)活動理念:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会は「YOSAKOIソーラン祭りを通して地域社会に貢献する」という理念を掲げている。

実行委員会の当時の課題とあり方


 やっぱりお金集め頑張らないとなって感じだよね。お金集め頑張らないと、っていうのが大きな課題だよね。まあ当時2000万くらいかな。学生実行委員会で集めないといけなくて「集めなきゃ―」みたいな感じ。
 あとは何だろうなー。課題だらけだけど、限られた5日間でどういう企画をしようとかは紛糾するよね。大きな課題は代表がいなくなるとかかな。大きな課題でしょ(笑)。そんな大きな課題とは思ってないから別にって感じで当時は困ったりもしたんだろうけど楽しかったなって感じだな、今思えば。
 あと実行委員会は体育会系団体だね(笑)。文化系サークルに見えるようだけど中身は体育会系サークルだっていう。見たらわかるしょ。そんな分類かな。サークルと学生団体の区別はなかったかな。サークルと学生団体でなんとも思ってないかな。「サークル何やってる?」(という質問)に「実行委員会やっていて…」となるからね。社会活動って感じかな。学生らしさってのはあるよね。
 協賛とかもね、ほんとに社会人っぽくやるならやるんだけどね、最後の最後は想いで取っていくしかないからね。今会社で営業もやって経営してるんだけどね、「ここにこう提案したらいいんじゃない」とかさ、どこの会社が業績良いとかわかんないじゃん。「こういう風に業績良いって出てるからここ狙って」とかさ、多少のアドバイスはできても学生なんだからそんなのは気にせずやったいいんじゃないとは思うね。
 当時もそうだったけど学生らしさ、ってのは一つあるよね。学生らしさではあるんだけども学生らしくやらなきゃいけない反面、チームや観客からの期待ってのは大きいわけで、「そこに恥じないようにしないといけない」っていうプレッシャーとか難しいよね。学生のただの遊びになっちゃダメなわけだし、そこらへんは常に考えていたかな。やっぱり社会と認められることは違うので学生らしくもありつつも行動はちょっと深く考えないといけないところも難しかったなって。
 その分会社に入ってから経験が生きる場面がめちゃめちゃあるね。ほんとに。会社で怒られてもへでもないもん(笑)。ほんとに仕事だからお金をどうするのか、お客さんからお金をもらうときにどういうことにしなきゃいけないんだとかいろんな技術的なテクニカル的なスキルはもちろんあるんだけど、だけどお客さんの対応したりだとかたくさんの大人の人たちと話した経験とか学生時代の考える力だね。能力じゃなくて、脳の力を鍛えることがこれからの社会にとって重要だと思うけどね。想像する力がないから変な犯罪も増えちゃうんだろうね。だからそこって何かって言われると「物事の本質って何だろうな」とか、「自分がこう行動したら相手はこう感じるだろうな」とかそういう脳の力が弱いところだと思うからね。そこを学生の時から鍛えられるのがいいよね。
 僕なんかは卒業するときに今自分会社で社会に出て働こうと思っていたから働いているけどYOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会に育ててもらったところだからそれに恥じないように生きようとは思っている。逆に大人の人たちも喜んでくれてるよね。会社に入って経営者になってるっていうのがね。「おぉあの一平がかー」って。会うと「でかくなったなー」、「太りましたー」って話をしながらね。

今の時代について


 ひとつ去年思っていたのは、YSOAKOIソーラン祭りの時期、初夏はさ、冬の厳しい寒さを乗り越えた北海道の人がエネルギーをあそこで爆発させるというのが、コロナで2年蓄えたのが来年とかどう爆発させるのかテーマであると思うけどね。そういう場所を作るのがいいと思う。


三重県津市での1枚



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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学3年 澤田理子(取材時)
北海学園大学1年 勘川凌雅(取材時)



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