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震災から建築史を学ぶ

 今年は、関東大震災(1923年9月1日正午頃に発生した地震。死者・行方不明を含む10万5000人が被害を受けた)がおきてから丁度100年の節目。神奈川大学みなとみらいキャンパスにて7日、同大学・非文字研究センターが主催している『関東大震災から100年・震災復興を振り返って』のイベントが開催された。同団体は昭和に残された文章がない写真のみのが多く残っている中で、文字のない資料をどう表現をしていくのかの研究をする団体である。

アーガイルモーターズ社(スコットランド)ゴールデンカムイにも出てくるかのようなキリンの宣伝カー。実に面白い。

 当日は、建築学部建築学科の内田青蔵氏、東京都慰霊協会の小薗崇明氏が講演。前半は関東大震災の概要・被害実態、震災直後の同潤会とはどのような団体かの説明があり、後半は震災当時の写真をみて当時の様子や、焼失した遺品などを解説する内容だ。
 同潤会は大正13(1924)5月、日本で初めての公的な住宅供給組織として設立。設立後、18年の間に小規模な戸建て住宅の供給、そして都内13か所、横浜に2か所に及ぶ鉄筋コンクリート構造だった。住宅の供給だけでなく、震災によって怪我をした方、失業者に向けて立て直しをさせて一人立ちをさせる職業の再教育機関という二つの柱があった。
 又、この関東大震災は都内(当時、東京市)では消失が多く、神奈川県では倒壊が多かったという。

浜町公園。当時陸軍があったこともあり避難場所ではなかった

正午頃に起きたので火を使っていた家庭が多かったとされる。同潤会が設立する以前、つまり震災後の2年から3年はバラック小屋(公園や道路、学校など)に建てられた。
 震災後しばらくして大まかな概要が明らかになった。焼失の被害が大きかった日本橋は、ほぼ100%が焼け野原に。その他浅草や神田など計6区に集中していたことが分かった。この未曾有の危機にある中で、後藤新平(医師・官僚など 名古屋大学卒)は『帝都復興計画』を出し、佐野利器(としかた)らとともに小学校や鉄道関連、都市計画に大きく貢献し尽力された。小薗氏は次の100年に向けて写真や文献など多様な資料をさらに分析を続けるという。

同イベントは14日も開催され、同大学建築学科の姜明采特別助教が報告する。

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