自殺未遂者の独白
〝死にたい〟ってどんな気持ち?
知らない。
一概に私の死にたいが他人と一緒かというと
それは有り得ない。
だって、苦痛は当人のモノサシで当人が測っているもので、物(者)が変われば測量の結果も変わる。
ただ、私の〝死にたい〟は
なかなか面白いものだと思う
本当に死にたいかと聞かれたら
わからない し、
生きていたいかと聞かれたら
それは 否 だ。
だから、本気で自殺しようと思っている方々から見たならば、私は【半端者】なのだ。
私の〝死にたい〟は嫌ガラセ
喧嘩した相手に罪悪感と後悔を植え付ける為
私の〝死にたい〟は逃ゲル道
「お前のせいだよ」と自分の短所から目を背ける為
全部、一時的な感情で我儘な妄想
それで満足してるのは、死ぬ勇気が無いからだ
こわい、つらい、いたい、
こんなの、誰が望んで体験したがる?
それも、この1回で全てを終わらせられるのに
終わらせられるなら、まだやり残した事がないか
探してからでも悪くないかなぁ……なんて、
こんなんだから私はまだ《ここ》に居る
生憎、自分を変えようと思う程前向きでもないし
だからと言って、自分は使えないから死んだ方がいい とも思わない。
ただ、死ぬ前に場所や道具を整えたり、
死体が綺麗かなどを考えて死に方を選んだり
遺書だの、自分の思い残す事があるかだの
そんな事を考えてる時間が
勝手に自分を生かしているんだから
可笑しな話
“死ぬ為の時間”は“生きている時間”
これは、なんの皮肉だろう
もし、相手がいて、その相手に関わった事でそう思うのなら、解決策は簡単だ
その場で自分の手で首を絞めるなり
相手を殴り殺すなりすればいい
これなら道具も時間も“生きている時間”もない
でも、こんな事を言ったら
「そうじゃない、そういう事じゃない」
と言われてしまう
なんにも知らないくせに!なんて
知らせるつもりも わかって貰う気もないくせに
よく言うよ
頭の中で反芻しては笑っている自分がいて、
なんだか不思議な感覚に陥る
なんだ、死ぬのも生きるのも変わんねぇわ笑
どっちも難しいし、どっちも簡単
でも、どっちを選ぶかは大違い!
なら、第2の人生まで時間はまだまだあるんだし
もう少し手放しで探ってみても悪くは無いか
とか、これを書いている時点で
私に死ぬ気は無いんだなぁと
つくづく思ってまたやめるんだ
まぁ、どうするかは自由さね笑
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