見出し画像

死に引っ張られる

noteで日記を書き始めてみようと思います。

理由は、文才はいくらあっても困らないから。たぶん初めの方は拙い文章で皆さんの表情を曇らせるでしょうし、いつまで経っても拙いままかもしれませんが、誰かに読んでもらってたらラッキーくらいに思って毎日文章を書く練習をしていきたいと思います。
あとは過去の自分が何を考えていたかを振り返りたいからです。結構面白い。大抵自分の過去の文章って気持ち悪いけど興味深い。

初めの挨拶はこのくらいにして本日の日記を書いていこうと思います。

今日はお友達とゴッホ展に行きました。

この展示会はざっくり言うと3つのエリアに分かれており、でっかいスクリーンにゴッホの作品と名言が映し出されつつクラシックが流されるゾーン、チームラボみたいな電球がたくさん垂れ下がっているゾーン、絵の解説が書いてある博物館的ゾーンがありました。

入り口すぐに博物館ゾーンがあるので、1番優等生的な巡り方は博物館、でかスクリーン、チームラボの順だと思うのですが、どこから巡っても構わないような作りになっていまして。
わたしたちが入場するとスタッフさんが「ただいまから奥のエリアで40分間の映像が始まります」と言ってらしたので、せっかくだったらキリのいいところから見たいと思い、まずはじめにでかスクリーンエリアへ。

このエリアにあるゴッホの名言は、日本語と筆記体で書かれた英語の2言語で表示されており、日本語の周辺にはたくさん人がいたので、空いている英語エリアの方へ。
一応ついこの間まで受験生として英語を学んでいたので読めなくはありませんでしたが、声に出さないとなかなか理解できなかったのでGoogle翻訳みたいな和訳をずっと口にしていました。

しかし博物館エリアを通っていないので、全然名言も絵も意味がよく分からず。
もちろん良いこと言っていて絵がうまいのはわかるんですけど、何にどう注目したら良いか分からず、連動して流れているクラシックを体を揺らしてノリノリで聴くことしかできませんでした。絵心のない元吹奏楽部員だから仕方ない。

結局一生懸命英語を読みながらクラシックを聴くだけで数十分経過し、映像は最終章に差し掛かります。
名言が全部「死は云々」というような話になってきて、あ、ゴッホがそろそろ死んでしまう、というのは勘の悪い私でもわかりました。
眩しく太陽を照り返す麦畑の上をカラスの群れが飛び交い、「私は、愛のために生きるしかないのだ」という言葉が添えられた絵画が大きく映し出されてからしばらくすると突然、ばん、という大きな音がして、辺りが真っ暗になり。

おそらくゴッホは死んだようでした。
少し前の章で療養が云々と言っていたので、わたしは彼が喘息か何かを患っていて、最後に大きな血が混じるような咳をして死んだのだと思いました。全然知らないけど。
よく分からないねぇと言葉を交わしながら、チームラボエリアを通過し、最後には博物館エリアへ。

ゴーガンとの共同アトリエを設けようとしている1888年の絵から解説が始まります。これがうまく行かないんですよね。絵も300フランとかで安く売られるし。当時のレートとか全然わかんないですけどそのあと1700万ドルとかで売れるからそれに比べたらすごい安い金額だと思う。
わたしは博物館美術館でかなり説明文をゆっくりしっかり読んでがっつり感情移入するタイプの人間なので、こんなに踏んだり蹴ったりだと凹んできます。そりゃあゴッホだって左耳を切り落としたくなりますわ。左耳を切り落としたらうずまき管とか剥き出しになるんでしょうか。

個人的に1番切なかった絵はゴーガンの椅子と称してふかふかで素敵な燭台が乗っている椅子の絵と、それと対比して描かれたゴッホの椅子という質素な木製の、タバコとかが乗った椅子の絵です。ゴーガンに対し劣等感を抱いているのが如実に現れていてすごく切なくて。わたしは受験生の間永遠に劣等感を抱いていたので共感してしまいました。

ほっこりする部分もありました。絵が売れてウキウキのゴッホとか。かわいい。たくさん絵を買ってあげたいです。今となっては価値が高すぎてわたしは買えないですけど。
あとは甥っ子が生まれてウキウキのゴッホ。かわいい。甥っ子のことが大好きな男に悪い人なんていないから。自身と同じく「フィンセント」と名付けられてウキウキなのもとても良かったです。甥っ子の父であるゴッホの弟の名前はテオらしいですね。テオくん‼️頑張れ‼️

そして最後に見覚えのある麦畑の絵が登場します。テオに向けてゴッホは手紙を書き始めますが、書き終わらないうちに麦畑へ散歩し、そこで何と自らを拳銃で撃つ。
これが先程のばん、という音の正体だったんですね。
よろよろの足で帰宅し、2日後、弟の腕の中で息を引き取ったようです。

いやーーー。

しっかりゴッホに感情移入していたので本当に凹みました。まあ、19世紀の画家だから今も生きているはずはないので、何らかの形で亡くなっているのは当然なんですけど。
喘息で、ベッドでそっと息を引き取ったのだろうと思い込んでいたので。拳銃自殺か。天才なのに。まあ、左耳切り落とすタイプの人だから不思議ではないはずなんですけど。すごーくわたしはショックでした。

「死」に気分が引っ張られる。

わたしたちはもう一度、あの麦畑の映像を見直したいと思って、でかスクリーンゾーンに戻りました。

そこではちょうど最終章あたりが流れており、再びゴッホの死生観の名言が連なっていました。
もう一度見ると一度目とは違ってすっと内容が入ってきます。名言も、絵も、完全に理解したなんていうのは烏滸がましいだろうけど、どんな意図なのか、裏側が何倍もはっきりと見えたようでした。

そしてまた麦畑の絵が現れる。

わたしは息を呑むようにしてカメラを構えました。
麦畑をカラスが飛び交い始める。
ばん、という音。
高度を落とすカラスたち。

先程の辛さが、幾分か緩和されたような気がして、わたしたちは展示会を後にしました。

わたしは国立志望として受験生をやっていたので、2月25日に第一志望校を受けたのですが、その前日に母方の祖母が息を引き取る、という出来事がありました。

動揺はしたんだけど、一応1年間2月25日のために勉強していたので、わたしはその「死」を塞ぎ込んで、さも何事もなかったかのように受験を終わらせました。死に気分が引っ張られないように。

母もそこそこ辛かったでしょうけど、普段通りに振る舞ってくれていました。本当にありがたい。父は能天気すぎるくらいでした。ちょっとやりすぎだったかも。

わたしはどうにか26日まで耐えなければならなかったので、わざと他人事であるかのようにその死を飲み込んで。でも一度そうしてしまったら、通夜でも葬儀でも、あまり本当のことのように思えなかったです。全然ずっと、他人事のままで。

だからわたしは冷たいのかな、と思っていたんだけど、今日は、会ったこともないゴッホの死に心を痛めて、悼むことができたから、何だか、本当に大事なものはちゃんと失ってないんだ、と思うことができました。
とっても良い日でした。



このまま初回日記をしんみり終わらせるのが嫌なので。

この展示会をやっていた建物、寺田倉庫G1ビルというんです。
わたしは最近、寺田寛明という芸人さんにハマっており、17日に初めてトークライブに行った感じの新規ハイオタクなんですけど。

すごくないですか。ライブ初参戦の次の日に行く建物が『寺田』倉庫って。
そんな被りますか?寺田って。佐藤とか鈴木ならわかるんですけど。すごくないですか?何らかの運命だと思う。本当にすごい。

すごくないですか?本当に

というわけで建物名だけで20分くらい暴れ回ってました。こういうのを許容してくれるのが本当にいいお友達だと思う。ありがとう。また遊んでください。

結構きついですね日記って!毎回こんなうまくまとめられるかしら。毎日は無理だと思います。でもサボりたくないからみんな日記書けよお前って言って欲しい。よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?