長考=感動
つい先日、倫敦大法廷殺人事件に参加してきました。
ゲームの逆転裁判のファンでもあるので、非常に没入感ある、完成度の高い公演だったと思います。
今回は、それとは関係なく、ひとつ思っていたことについてです。
それは、
「考える時間が長いほど、解けたときの喜びが大きくなる」
ということです。
誰しも経験していることでしょうが、案外、自覚することはないのかもしれません。
十分な時間があれば、たとえ大謎で10分20分律速して駄目だったとしても、解説でものすごく悔しい「あーっ」っていうため息がでると思うんです。
(もちろん、ちゃんとした謎であった上で、ですが。。。)
なので、スタッフとしてかかわれるときには、なるべく早めに大謎に到達できるように暗躍できたらよかったなぁと今更ながら思います。
あと1分、とかで大謎に到達してわけわからないまま終わっても、あまり楽しくなさそうですし。
残されたステップが多ければ多いほど、こんなの無理だよ、っていう感想になりそうですし。
やっぱり、あと一歩、という地点が一番楽しいような気がします。
そして、この流れで行くと、
謎クラスタにとっては、小問レベルだと瞬殺になり、楽しくないなあとか感じることがあるんじゃないでしょうか。
逆にいえば、初心者の時には、頑張って考えて答えがやっとわかった時にはとてもうれしかったんじゃないでしょうか。
その差が、謎解きの楽しみを分けているものじゃないかと思います。
つまり、「経験が感動を奪う」って感じでしょうか。
そのため、謎クラスタは、楽しさが減った分、他で補おうとします。
謎の美しさだとか、解法のエレガントさだとか、演出だとか。。。
もちろん、そこを突き詰めても面白いんでしょうが、若干、粗探しっぽくなっているような気がしなくもない。。。(あくまで個人の感想です)
と、まあ、こんなことを考えたりしました。
僕は3年弱で30回しか参加していませんが(それでも一般人よりは参加しているでしょうけど)、まだまだ純粋に楽しめている分、幸せなのかなぁと思います。
(終)
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