私が欲しい幸せって幻想かもしれない
写真と同じように、私の欲しい幸せって、物語のようなもの、ディズニー映画みたいな現実離れした、すごく単純化したものなのかもしれないって、思い始めてきました。
幸せで思いつくものってなんだろう。笑顔、おしゃれ、会話、きれいなお部屋、ゆとりのある時間。モデルルームでは生活できないとわかっているのに、私の想像する空間はモデルルームみたいだね。どこかの旅行会社のCMにでてくるような家族の笑顔だけのシーン。荷造りもするよ、疲れたりもするよ、予定のお店が閉まっていることもあるよ、そんなときは、削られている。私のイメージは、作りこまれたものをパッチワークでつなげたようなものなのかな。
一部分を切り取れば、幸せだけにみえる。一部分を切り取れば、つらいだけに見える。だから、インターネットの世界でみえているものは、すべてじゃないんだよね。ずっと笑える人なんていない。ずっと泣いている人なんていない。そのバランスが、半分ずつであれば、それでよいのかもしれない。シャボン玉のような気持ちを、消えてしまう気持ちを、存在を感じられることができればよいのかもしれない。
それにね、幸せになりたいって、「人よりも」幸せになりたいっていう意識があるかもしれない。捨てたいと思っている競争意識が、ちらちらと、姿を変えて見え隠れしているの。ほかの人よりも、会話が多い家族、笑顔が多い人間関係、ほかの人よりも、広く美し部屋。あいまいな言葉なのに、なんだか、正しいこと、みたいな、勝ちたいでしょみたいな、変な力を私は感じてしまう。きれいになりたい、も、これと同じ感じをうけるのです。
現実的じゃない、幸せのイメージしか持てないのは、私が人とかかわってこなかったからだろうな。人と話してこなかったからだろうな。もちろん、親友がいたとしても、そのすべてを知ることは難しいだろうけれど、それでも、CMよりは現実に近いはずだもの。雑誌の中の写真よりは、現実に近いはずだもの。人とかかわって、現実をしらないと、たぶん、先に進めないんだ。私は、いつから、人を大切にしないで生きてきたんだろう。これからは、変わっていかなくちゃ。
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