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退屈な大人の日常

大阪に戻ればそれはまた辛い大人の日々の連続だった。
埼玉に住んでいた時は池袋シケブクロで働いていた。
埼玉人サイタミスト池袋シケブクロを埼玉領と言っているが、あの街の汚さ、混沌さは大宮駅の東口とよく似ていて、本当に「巨大な埼玉」を感じる街だった。

そして大阪での勤務は難波になったが、難波の汚さや混沌さもまた、池袋シケブクロとよく似ていた。
大阪のイメージを作り上げたのは難波かと思うが、少なくとも私の属する業界は典型的な「大阪人」は多くない。
多くが他府県の出身だし、北陸出身者や九州出身者は少なくなかった。

私自身は元は伊勢崎線沿いのとある工業高校を卒業した。
小中学時代に同級生の女生徒から虐めを受けていたため、女子の少ない高校に行きたかったのだ。
卒業後は埼玉東部の工業団地で働いていたが、そこでの仕事が合わずに辞めてIT業界に進むことになった。
結局、エンジニア志望で入ったはずなのに気付けばコールセンター部門に異動ついほうされ、苦手とするコミュニケーションを仕事にせざるを得なくなった。

なぜ追放させられたのかはわからないが、そうして左遷とばされた先が難波のコールセンター部門だった。
私がやっているのは自社のIT製品に関する契約と機器のサポート部門だ。一応SVという肩書は付いているが、商材の専門知識は経験の長い契約社員のオバさんの方がよく知っていた。

一日中ひっきりなしに電話が鳴り、オペレータの声が入り乱れるから、オフィスワークとは言っても到底お上品なものではなかった。

「あれ、新庄さん、来てへんわ」

「また飛んだんとちゃうか? あんまり仕事ついて来れへん雰囲気やったしねぇ」

また1人飛んだ。
こんなことはコールセンターにある日常の光景だった。
尤も、契約社員や派遣さんが短期で辞めていくのも仕方のないことだった。

弊社ウチの契約社員は交通費が出ない。
客から架かってきた電話が滞留すると待ち呼マチコが付いているとSVから囃し立てられ、或いは客から「ソフトの使い勝手が悪い」だのとクレームが来る。
それでいて時給は1230円なのだから、やってられないだろう。
「責任者出せ」と客から言われて交代する責任者SVもまた、大半が契約社員だ。彼らの時給も1465円と、お世辞にも良いとは言えず、残業は増えるしで、よく退職ヤメないものだと思う。

こんな環境だから、働く人1人1人がとてもきとしている。
挨拶しないオペレーター、高圧的なSV、揚げ足を取ってくる客、窓の無い部屋、その一つ一つが絶望スバラシいほどブラック部署の様相を表わしていた。

オペレーターは電話の回線が閉まる19時になると皆退勤するが、SVはだいたいそこから1時間の残業がある。と言っても開発部署と比べると残業は少ない方だと思う。
そして残業が終わったら家に帰ってコンビニ弁当と宅飲みをするのが月曜日から木曜日までの日課だ。

大阪には埼玉に本拠地を構える餃子店が存在する

今住んでいるところの近くには埼玉に本店を構える餃子屋さんがある。
そのおかげで金曜日は埼玉の郷土餃子を食べながらビールを飲むのが週慣ぎしきだった。
こうした退屈な日常を過ごし、悪戯に時間ばかりが過ぎ去り、歳を重ねていく。
気付けばもう35歳、言葉に出来ない危機感や焦燥感だけが鬱積していた。

転職することも考えたが、目立ったスキルもなし、やりたいこともなし、何より求人は大阪勤務が多く、かと言って東京に帰りたい気持ちもない。
今と差し当たって何かが変わるようにも思えなかった。

❖登場人物


埼玉県出身。
大阪で働いている。

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