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【日記】落とし物? 死んだ者?


11月30日 晴れ
今日すれ違った犬:ボーダーコリー



 半年前、良い文章が書けなくなった。そんな時は一旦離れるに限る、と再開できる日まで筆を置こうと決めて気が付けば11月になった。16万字の未完成はあと4割のところで時が止まり続けている。

 端的に言えば、大きすぎる壁が立ちはだかっている。もっと厳密に言えば、2年前のような文章が書けなくなった。家に籠っていた2年前と社会に出た現在とで私が見ている世界は何もかも変わってしまったのだ。創作者のいわゆる「環境が変わって作風も変わってしまった問題」に読者ではなく創作する立場の私が実感してしまった。1990年代のアニメ・映画版エヴァンゲリオンと最近公開された映画版エヴァンゲリオンと全然違うよね、みたいな感覚。

 私は世界で一番最初の自作のファンなので、現状をどうしても許せない。ただの強烈な自画自賛だが、醜い世界の中でも数少ない美しい部分を見つけ、縋り、それをいかに鮮明に残そうとしているか――そんな表現力に心を奪われる。でも今はそれが無い。何を描こうとしても独りよがりで、美しいものよりも人間がいかに独善的で、打算的で、そして周りに目を向けないのか、尖った物語になってしまう。道端に咲いているオオイヌノフグリの可憐さと打たれ弱さに目を向けず、自然に発色した紫と青色の中間色という絶妙な色合いに感動すらせず、空の色や雲の形すらどうでもよく、肌を撫でる風の優しい感覚すら忘れ、自分が歩いている道しか見えていない。今の私の物語にいるのはただの人と人。つまらない現実を描いているだけで、心の底から気持ちが悪い。個人的な拘りだが、空想は心の拠り所であるべきだし、空想は現実と寸分違わないが、それでも現実よりも0.1ml優しさで溢れていて欲しい。スマホか地面しか見ない現代人の中でも、自然が美しいと思ってくれる感性を持った人間がこの世に1人くらいいてもいいよね、という希望を捨てないで欲しかった。でももうそれが書けない。水晶の鉱山はいつの間にか入口近くまで崩落を起こしていた。

 創作は生きるモチベーションだった。ずっと死にたい消えたいと唱えていた私を救ってくれる唯一の、残りの人生60年以上生きるための必須項目だったのに。私は何度も自分の物語で救われた。私の中にある【面白そうな何か】が形付いていけばいくほど、この世はまだ捨てたものじゃないと思えた。死ぬまで創作したい、文字を書いていたい。けど今は私が好きになった文章がどこにもない。【面白そうな何か】だけがそこにいるのに、今までのように視覚化するだけだったのに、いつまで経っても泥団子が泥団子のまま。私の胸にすら響かない言葉、展開、キャラクター。アレンジすら出来ず人の形をして表情を浮かべている。

 こんなもの私が望んでいる作品じゃない、と何度文章を消したか。プロット通りではあるものの理想通りにはならず、過去の私が書いた6割とこれから書く4割は何もかもが異なるため、読んでいて違和感がある。地の文章が4行程度だったのに、突然1行や2行で終わってしまう。個性がない。ただの説明だけを洪水のように書いている、プロット未満。文字の群体。時間の無駄。こんなもの読ませてしまってごめんなさい。

 





 とここまで書いたのが昨日。
 そして今日落ち着いてから書くのがこの下。

 恐らく16万字というラノベ1冊~2冊分相当のアウトプットをしてしまったせいで、インプットが超・枯渇している。こんな時はラノベや小説、映画、外に出る、等、感性を刺激し続けるのが吉だろう。

 確かに以前みたいな文書は書けなくなってしまったし私の作品の最初のファンである私も悲しんでいる。が、ここでファンを降りて未完成品をそのままにして永遠に日の目を見ない方がもっと嫌だ。それなら不格好でもいいから完成させて、後からゆっくり修正すればいい。マイペースにやればいいのだ。商業作家が締め切りに追われたりコンクールに出すわけじゃあるまい何度だって上書きしたっていい。私の好きな感性が戻ってきてくれるまで、ゆっくり。

 どうせ死ぬまでの付き合いなのだから、そのくらいの距離感と扱いがちょうどいいのだ。

こんなところ読む暇があるなら今すぐヘルシングを読んで下さい。