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【日記】日記は永遠の写実


10月20日 快晴
今日すれ違ったわんこ:茶色のダックスフンド ほぼ赤子


 朝歩いている時にふと地面を見て、私を見ている私がいることに気付く。私を見ている私の景色は白黒同然で、どこか今の現実と世界の終わりを同一視している。世界が今この瞬間に終わるとしたら最後の光景はこの2色のタイルだと、頭の中でイメージを勝手に浮かべてくる。けれどやがて木々の影が映る藻が付着した石畳を美しいと感じて、やがて永遠に残したいと思うようになった。

 視界は写真に残すことが出来るが、感性は投影できない。だから写真家を筆頭に芸術家はその想いを一瞬見ただけで理解してもらえるように、作品に削った魂を込めていく。だがその才能のない私には、写真に残すか、こうして思い出しながら雑記として置いておくしかない。私は自分のこうした感性が好きだ。だが完璧に、100%を理解してもらうにはひどく難しい。言語化が困難であり、そして同時に自分のこの感性が他人に理解された実績が全くないため、どうしたらいいのかが分からないのである。

 それでも試しにnoteにこの落書きを刻んでおこうと思ったのは、その美しいと思った一瞬を捨てたい気持ちより、誰かに見てもらいたい、吐いておきたい思いが勝ったからだ。私はこんなにきれいな「もの」を持っている――高級腕時計をさりげなく付ける芸能人みたいに。けれどそれだけ自然は美しかったし、その美しいと思える私の感性も私から見れば美しい宝物だった。

 話は変わるが私は電車のボックス席が好きだ。ボックス席に座って景色を眺めるのが、そこにある人間の生活や変な看板や自然が生んだ産物を目に収めるのが大好きだ。都会にある横並びの席では首を向ければ異常者に見られるのでなかなか味わえない非日常感もポイントが高い。そしてみんながスマホを真剣に見つめている中、私だけが今この世界を独り占めしている特別感が堪らない。こんな広くて疲れてしまう場所に、私だけが降り立った。そんな嬉しい孤独感だけで、生きていると感じられる。その瞬間どう考え、何を思ったのかを残せないのがただただ惜しい。あの時間、あの空間だけは、私の感性をフルに働かせることが出来る最適なところなのに。だからここにそれを置いておくことで、いつかビスケットでいっぱいになったポケットみたいにパンパンになってくれたらいい。私を知って欲しいという感情が、常時胸中に滞留する死にたいという欲望に勝るその日まで。

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