『福増』ものがたり 2

このnoteでは『福増』とその母牛『かつき5』を血統的な観点で解説し、和牛の育種の方法を考察します。そしてこの育種の方法を応用して各地の固有の系統を改良され、多様性が保たれることで、100年先も和牛肉が世界最高に美味しいお肉であり続けることを期待して公開することにしました。

最高の子牛をつくる

ではなぜ予測出来たのでしょう?
その前に私の畜産の経歴を書きます。
我が家は父が酪農を2頭から始め、最大で搾乳25頭、育成10頭まで飼っていました。
そして、和牛の繁殖を徐々に増やしており、肥育も少し飼っておりました。
その中で就職をどうしようか悩んでいたとき、牛飼いも1つの会社だよな。と思い就農することに決めました。
父は酪農を30年してきましたが、和牛は酪農の片手間に始めたものですから、私は和牛の研修に行くことにしました。

(平成9年)に北海道・南富良野町・串内牧場で(近くの空知川でカヤックをする為じゃなくて)放牧技術を、鳥取・東伯農協繁殖センターで繁殖・種付けを、鳥取で最高の肥育農家の山下卓雄氏から肥育を学びました。

各4ヶ月でしたが、串内牧場では放牧の電牧の張り方、牛の扱い方、発情の発見の仕方を学びました。しかし、後に私が放牧場の管理をすることになるとは思いませんでした。また、放牧場での管理の仕方がわかっていたので、県営の放牧場を就農当時鳥取では3農家しか利用していませんでしたが、私は積極的に利用しました。そうしたら同じ地域の皆さんが「放牧場どうよ?」と聞きに来るのでその効果を伝えたら、今では夏場では400頭もの利用がされるようになりました。

旧東伯農協繁殖センターでは哺乳・保育・育成の流れを学び、種付けも直腸検査から始まり種付けも80
頭位しました。もちろん最初から出来る訳ではなかったですが、家の牛の種付けを含め200頭位したときにはどんな牛にも種付け出来るようになりました。

師匠の一人である東伯の山下卓雄さんのところで研修するまでは肥育には特別の技術・秘技があって、その技術を盗んで帰ろう!と思っていました。
月齢ごとのの乾草・ワラ・配合飼料の量をメモるはもちろん、師匠の言うことをどんどんメモをしました。今でも迷う時にはそのメモを見て初心に返ります。
しかし実際にやったのは、病気の早期発見・早期治療、餌をどれだけ多く食べさせるかでした。研修中には病気の発見もなかなか出来ず、いつも指摘されました。
それでもわからないので、餌やりの開始前にきて仕事を早く終わらせ、師匠が牛のどこを見てるのか、後ろをずっとついていってストカーしてました。笑
牛がコンと咳をすればすぐに捕まえ、何頭も何頭も捕まえては体温をはかり、獣医さんに見てもらいました。

そして、研修が終わりに近づいた時、師匠に「何か聞きたい事はあるか?」と訪ねられた時に、「牛がトラブルになってないので、トラブルの対応の仕方がわかりません。」と答えたら、「トラブルにならないように飼ってるのに当たり前だ!」と言われました。

牛飼いには特別な技術はなかったのです。
病気にさせないように元気に育て、もし病気になれば早期に治療するだけでした。

そして、研修最後の日には
「持って帰れるものはあるか?」と聞かれ
「(牛を見ることは出来ていないので)牛飼いの理論だけはわかりました。」
と答えたら
「合格だ。頑張れよ!」と言われました。
それでも、研修が終わっても牛の見方はわからないので3~4年は毎週のように通っていました。 

当時、家では自家産子牛のみを肥育していたのですが、研修先と同じように乾草・ワラを与えるのですが同じ量を食べませんでした。ワラも乾草も研修先と同じ飼料会社(ロットは違うけど)から仕入れても食べませんでした。スタートからつまずいては同じ成績にはなりません。ずっと悩みながら、師匠の牛舎に通いましたが原因がわかりません。

が、ある時鳥取の子牛市を師匠と一緒に下見をした時、気付きました。師匠は血統も体型も最高な子牛を買っていたのです。
子牛の出来が違うから乾草・ワラを食べなかったのでした。これを研修中に知っていたら、学ぶところ、質問するところが違ったのにと思ったのは後の祭りでした。

最高の子牛とは何か?それは誰が飼ってもBMS11番・12番でる子牛。(と当時は思いました。)こんな子牛を作れば(経験のない)自分が肥育しても5等級のBMS8番は出るだろう。と考えました。

子牛を立派に育てるのは普及所や家畜保健所に相談し 血統を学ぶのは仕事の終わった夜にしました。
また時期的には少し後になりますが、鳥取全共の時には子牛の巡回に付いて行き、県下の主だった繁殖農家を見せてもらって、どんな餌をどれだけやったら、その牛がどんな姿で子牛市場に出てくるのか調べました。

血統は当時、『安平×隆桜×糸秀』『安平×糸秀×隆桜』『北国7の8×紋次郎』『安福165の9』とかが全盛期でした。
『安福1659の9』の精液があればいいのですが、そんな資金はない。
『北国7の8』も滅多に回ってこないし、高くて手がでない。
宮崎に牛を買いに行く手段も知らない状況でした。

○鉄板の組み合わせは他にないのか?
○鉄板の組み合わせに共通項がないのか?
を考え続け、
肉牛ジャーナルや養牛の友、たまにやってくる各地の共励会の成績など、とにかくBMS11・12の血統を書いては眺めていました。

同時に色んな人に会って、話を聞きました。
○鳥取の牛の中での相性の良い組み合わせ。
○岐阜から鳥取の市場に子牛を買いに来られている方からは 『安福』の相性の良い組み合わせ。
○ お会いしたことはないけれど 静岡のSさんは自らの肥育成績をHPに載せられており、勉強させてもらいました。
○肥育牛を出荷しては枝肉を見て反省し、同時に上場していた県内外の枝肉を見ては勉強しました。

こうやって、最高の子牛つくりの挑戦は始まりました。


続く。