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復活の前奏曲(プレリュード)

ホンダ・プレリュードが復活するらしい
80年代、デートカーなる新語が生まれ、その頂点に輝いていたのがプレリュード。でもシビックを土台とした初代はあまり脚光を浴びずに文字通りのイントロダクションで終わった感があった。
当時の売れ筋は日産のシルビア。先代の二代目シルビアがあまり格好良くなく初代の栄光を汚してしまったためか日産もデザインには力を入れたようだった。技術的にはシングルアームのフロントウィンドウワイパーとブラックカラーのボディに派手な炎のデカール(当時のフィアーバード・トランザムの人気アイテムだった)が目立つ程度、でも好調な910ブルーバードの余勢をかったか月販4000台を維持するヒット商品に。

そんな背景をバックボーンに二代目のプレリュードは大変身を遂げていたのだ。ラヴェルの名曲ボレロのBGMと共に登場した新型は前輪駆動ながらもフロントサスにダブルウィッシュボーン機構を採用してみせ、アンチロックブレーキもオプション採用。CMで見せたスローモーション映像ではワン・アームのワイパーが雨滴を跳ね飛ばす様子がドラマチックに映し出されていたのが印象的。
初期型こそ無粋なフェンダーミラー装着を余儀なくされていたが、ドアミラーの認可とともに、その低くフロントエンジンとは思えないノーズの低さやリトラクタブルのへッドライトと相まってシルビアをかわしてデートカーNo.1の販売成績を残した。

そして迎えるのがバブル景気の時代
プレリュードの87年のモデルチェンジではさらに世間をあっと言わせたのが初の4輪操舵。しかも電子制御に頼らずリンク機構だけで舵角に応じた同位相、逆位相を実現して見せたのはホンダならではの腕の見せ所。この頃にはアイルトンセナがホンダエンジンを武器にチャンピオン街道をひた走るようになってゆく。日経平均株価が3万8千円台後半をつけ、その後の30年あまり破られない記録を作ったのも、このプレリュードの時代だった。

あれから34年
バブル経済は頂点を過ぎて坂道を転げ落ちるように衰退
それはプレリュードの販売成績にも反映されてしまった。
3ナンバー化してガラリと顔つきの変わった4、5代目プレリュードにもはや昔日の輝きはなく、人気の主流は短い間4ドアハードトップに移行した後、ミニバンブームの到来とともにデートカーの存在そのものさえ人々の記憶から遠ざかっていった。

日経平均が再び史上最高値水準に!
と言っても昔とは銘柄も違うわけでタクシーを捉まえるのに万札ヒラヒラでもないこの時代、デートカーという言葉を口にする世代も子育てを終え、パーソナルな時間をもて余すようになる・・・・・そんな時代を見据えてか?タカアシガニみたいなSUV風EVばかりのマーケットに2ドアクーペの旋風を起こしてくれるのか?・・・・マーケットにそんな需要は果たして残っているのか?

どうやら重いバッテリーを積むEVではなくハイブリッドで登場するらしい。運動性能を考えたらやっぱり軽い車重のハイブリッドに分がある、というか電池を下敷きに背の高いプレリュードなんてゴメンだからね!

元EーAB型二代目プレリュード・オーナーとしては食指のうごかないルックスなんだけれど・・・・

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