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2020407-20210407、生後365日

2020年4月7日、一度目の緊急事態宣言が発令された。そのことを僕は一生忘れないだろう。カメラのフラッシュ飛び交うなかで安部総理がその趣旨を話した日から約半日前、我が家には新たな命が生まれた。
今年の4月7日が穏やかな快晴だったように、
昨年のこの日、病院の外の駐車場で見た明け方の空は今も脳裏で晴れ渡っている。

1歳になって、哺乳瓶、おしゃぶりが無くても眠れるようになった。あの頃の必需品は今ではただの付属品だ。
4月1日からは保育園にも行き始め、ミルクをやめて例外を除き離乳食へ完全に切り替え、同時期におしゃぶりも卒業した。
ヒナは川に流されるように自動的に保育園に預けられていたけど、最近は"勘付き始め"、よく知らない人と接すると「預けられてしまう」という恐怖と緊張があるようで、少しだけ警戒心が強くなっている。ここまで一ミリも人見知りしなかったヒナが他人や、祖父祖母に対してやや構えてる姿を見ると、これも成長の証かとなんだか複雑な気持ちになる。

4月9日には実家で一升餅を背負った。といっても僕たちは餅を買っただけだから正確には"背負って頂いた"が正しい。
一個一個バラにされた合計およそ2kgの餅。それをギチギチに詰め込んだ妻手作りのリュックは大人が持っても充分に重たい。これを背負って歩くのはかなり酷に思えた。
予想通り、ヒナは餅の重さに引っ張られてひっくり返る。イタズラで甲羅をひっくり返された亀のようだった。
その後、立ち上がらせるも、一歩も歩けず崩れ落ちる。その様子を少し離れたところからスマホのカメラを向ける。
罪悪感すら覚えるほど可哀想な光景だった。彼女が背負ってるのは餅の重さだけじゃないんだなとも思った。他の親たちは、泣き叫ぶ我が子を見て何を思ってるんだろうか。

改めて調べてみたら、転ぶことが大前提で、一歳前に歩き始めた発育の良い子どもに対して「そんなに生き急がなくても良い」という意味が込められているそうだ。もし僕がもう一度子どもになってやらされたら縁起物だとしても怒るし悲しくなるだろうと思った。

その数日前から若干鼻風邪を引いていたヒナはその後、39度の発熱を起こした。大人の事情に終始付き合わせてしまって情けないし申し訳ない。病院ではただの風邪と判断されたけどヒナの記憶では、"一升餅"は良い思い出と言えるのかは分からなくなってしまった。

生まれてきてくれたことにはありがとうしか言えない。もちろん、生んだくれた妻にも感謝の言葉以外ない。そこにヒナ本人の意思が反映されているかは微塵も分からない。きっとずっと分からない。


生後2、3日で呼吸が上手く出来なくて救急車で搬送された時のことが時々脳裏に浮かぶ。
今では立って歩き、言葉のようなものを喋り、指を指したり頷いたりして意図を伝えようとし、ストローを経てコップを使って飲み物を飲めるようになったり、長く眠れるようになっていて、ただただ凄いなと感心する。
ありきたりな感想だけど、ありきたりしか言えなくなってしまうほどその成長に驚かされる。
この世界の新人からこの世界ニ年目になるとこんなにも世界に馴染むのか。

僕は親二年目として、もっとヒナの感情に寄り添える人になりたいなと思う。言葉は喋れなくても感情はしっかりある。大人だって放った言葉と感情がイコールになってるとは言い切れない。大人としてはそれがイコールであるようにしていこう。
かなり難しいけれど、現実から目を逸らさないようにしないといけないなと、ちょっとよそ見をしてるうちにティッシュを出して遊んでるヒナに気付いて考えさせられる。

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