【ネタバレあり】トイストーリー4を観て僕はオモチャにはなれないと悟った

今作の4でゴミ箱から生まれたフォーキーの世話に手を焼いているウッディの姿を見て、子どもの世話をする友人を思い出した。

トイストーリー3は大人になったアンディと大人になれないオモチャたちの葛藤を描いたものだった。年齢だけが大人の基準じゃない。
ボニーが心配だからと幼稚園までついて行ってお節介を焼き、フォーキーがオモチャとしての道を踏み外さないように見張り続ける、そこにはウッディの悪い癖も混ざっていただろうけど、誰かを思いやる不器用な優しさも確かに感じられた。3で大人になれないと痛感したウッディは、新しい命を通して成長していた。オモチャでもちゃんと大人になれるんだ。それを感じた瞬間に、感慨深い気持ちになった。

ウッディの意地っ張りで頑固、たまにズルもするけれど、友達思いで親友が困ってるときには絶対に見捨てない。その性格が良く表されていたように思う。聖人君子ではない等身大のウッディだからこそ仲間たちから愛されたんだろう。
性格を良く表しているという面ではボニーも然りだ。子どもは気移りしやすい。いくら譲り受けたオモチャだからって永遠に気にいるとは限らない。ましてボニーは女の子だ。博物館に売られそうになるくらい年代モノでギミックも少なく、男の子用のオモチャのウッディがクローゼットにしまわれてしまうのも無理はない。そのリアリティーに、人間とオモチャとの壁を感じた。

オモチャにとって大切なのことは何か。持ち主に愛されること?でももし愛されなくなったらどうしたら良いんだろう。
なら親友とずっと一緒にいることか?でももし親友と考え方が違ったらどうしよう。彼らの抱える問題のひとつひとつに、どうしたって感情移入してしまう。
散々悩んで、自分で選び、自分の道を選び続けてきた。彼らの姿は人間そのものだと思った。
子どもは沢山いるけれど、アンディは1人だけだ。そういう場面は人間も同じように訪れる。
賛否両論あるだろうけど、悩みに悩んだ挙句に出した答えだ。その選択をファンとして、オモチャたちの選択を讃えたい。

1995年に1が公開されたとき、まだ1歳だった。当時の記憶は一片もないのだけれど、マックのハッピーセットでポテトヘッドのゼンマイ式のオモチャを母に買って貰って、ずっと持ってたことを覚えてる。
中学のとき、改めてトイストーリーを見直し、親友と共にどハマりし年甲斐にもなくオモチャを買いあさった。
一人暮らしで実家を離れるとき、卒業アルバムを詰めんだ段ボールのなかにオモチャたちも入れた。それらを飾った狭いワンルームの一角には宝物置き場だった。
専門学生のときには、修学旅行で行ったフランス・パリのディズニーストアでロッツォのぬいぐるみを見つけて、衝動的に買ってしまったこともあった。トランクには入らず、手荷物で持ち込んでフライトを共にした。成田空港へ向かう機内には不釣り合いなぬいぐるみから甘いイチゴの匂いがしていた。
今は24歳。同級生は結婚や出産をした人もいれば、自由を謳歌してる人もいる。仕事を続けている人もいるし、辞めて全く別の人生を歩もうとしている人もいる。僕自身も、転職もしたし結婚を考えている彼女もいる。
4に至るまでの間、スリンキーとハムの声優さんが亡くなった。さりげなくハムが喋ったときに、長い年月を感じた。
ずっと側に居てくれた映画だった。
最後の一コマを見た瞬間、もう続きはないんだろうなと感じて、涙の止め方が分からなくなった。
金儲けの続編かどうかなんて、どうだって良い。またキャラクターたちに会えたことが何よりも嬉しかった。
彼らの未来をもう知ることはできない。それはそれで良いのかもしれない。どんなに望んだって人間はオモチャにはなれないのだ。架空のキャラクター、架空の物語、それがなんだって言うんだ。僕は彼らのことが大好きだ。それだけで十分だ。住む世界が違う彼らの幸せを願ってやまない。

#トイストーリー4

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