第46話.404 outside range【Original Sin】


 不揃いに並んだ歩道との仕切り石。両開きの木製の扉の前に一匹の白い猫。被っていたフードを外し、石を跨いで、コンクリートの上にしゃがむ鏡花。
「最近、変なんだ、私。昨日も仕事、休んじゃったの。本当は私が居なくても、真屋先生の治療院、困らないと思う」
 鏡花が撫でても温和しくしている猫。
「此処何処だろう? お寺?」
 立ち上がって、古い扉に触れようとした手を伸ばした途端、仰向けに転る猫が鏡花の脚にぶつかる。体制を斜めに崩した鏡花の周りに突然、現れるスチールのドア枠。思わず、銀色の枠を掴んで転倒を避ける。弾みで片手が門扉に触れる。
 
瞬間。鏡花の目の前で振り返る、茶色のツインテールの女子高生。長袖シャツにタータンチェックのスカート。腰にはベージュのカーディガンの袖が結んである。
「まりか。どうしたの?」
「誰かが背中に触れた気がして」

 やがて右手で掴んでいる枠が教室の入り口で、鏡花は廊下。見知らぬ学校、クラスの内側が意識に入り続ける。さっきまでの路地裏は見渡してもなく、最奥の窓の向こうには澄んだ青い空が広がる。教壇。前方の黒板。書かれた日付。

 平成7年10月7日 月曜日

「……1995年……私が生まれた翌年……」
 慌てて、振り返る廊下。背後にも窓が並び、青空があり、横を向くと左右共にクラスプレートが続く。
「……どうしよう。夢でも見ているのかな」

 誰かの声がして、鏡花はまた教室を見る。窓際の机に座るまりか。緑と赤のスケルトンキューブが付いたヘアゴム。結んでも長いツインテール。長方形の紙パックに入ったアップルジュースを吸い上げる。
「ナンパしてきた二人組居たじゃん?」
「いつの?」
「一昨日夜の! まりか、帰っちゃったけど、背の高い方さ。ありでさ」
「覚えてない」
「まりか。放っときなって」
 金髪ショートカットの女子高生。真後ろにも二人。黒髪のワンレンロングと明るい茶髪で外跳ねボブの女子。どちらも、まりかと似通った制服の着こなし方をしている。
「別に良いけど?」
 まりかの返事と、それぞれの椅子に座る二人。
「まりか聞いてよ? あたし、彼氏とケンカして」
「だからリョーコも梓も頼りすぎって。まりか、弟の面倒も見てるんでしょ?」
「桜海くんは弟じゃないって。でも最近、怠いし。学校辞めようかな」
「まじ云ってんの? まりか居ないとうちらランク落ちなんだけど?」
「何それ。意味わかんない」
片手でくしゃっと潰した紙パックに視線を落とすまりか。
「椅子、どうしたの?」
「リョーコが座ってるじゃん」
「自分の席から持って来たけど?」
「あれ? あたしの椅子は?」

 鏡花はまるで舞台袖から眺める様に、まりかと周囲のやりとりを追う。窓の外が急に赤く染まって、教室は徐々に紫色も飲みんで、夕方が無くなる。まりかと黒いワンレンロングの女子高生が残る教室。
「明日、朝から病院? 聞いて良い? なんで精神科なの?」
「桜海くんのお母さん。母親の親友だったんだけど、あたしが小六の時に急死しちゃって。……あたしだけなの。しつこく引き摺ったまま」
「そっかあ。実はさ、私、学校辞めるかも」
「イヅミが? なんで?」
「1月と3月に色々あったじゃん。父親、失業して戻ってきた矢先だし。兄は寝込んだままだし。家庭崩壊中って感じ」

 また変わる空の色。昨日よりもワントーン落ちる青空。リョーコと梓と呼ばれる二人の女子高生が、遅れて登校してきたまりかに話し掛ける。やがて教室が真っ暗になり、空席に一人座るまりかの影と竜胆に寄せる一輪差し。

 鏡花は動揺して、掴んでいたドア枠から手を離す。音も無く何もかもは静かに薄い欠片となり、雪へと変わり、鏡花へと降り注ぐ。

「……ごめん。オレ、やっぱ独りが良い」

 舞う雪の中で立ち尽くす半透明の存在に気が付く鏡花。俯き続けるまりかに重なり響く誰かしらの言葉。透けながらも分かる鮮やかな緑色のダッフルコート。ツインテールが突如の吹雪で前に流れ、白い息を吐くまりかを最後に見ていたものは跡形もない。元の路地裏。白い猫は何処にも居ず、鏡花は肩に掛けた重いトートバッグの紐を握り締める。


「……梶さん?」
空港のカウンタの列に並ぼうとしているところを呼び止められる國村。

 空港デッキの壁際で冷え始める秋風に触れるスーツ姿の梶と國村。
「修治は生まれはこっちだけど、育ったのは北陸だっけ?」
「ですね。と云っても学校の寮暮らし。長期休暇は関東の寺で世話になっていました。大学と院は西側にしましたが」
「オレは和歌山生まれなのね。でも物心つく前に家族で海外に出た。其れで両親それぞれ趣味や目的が違うから、年単位で別行動な訳。妹は母親。オレは父親。父親はひとつの土地に留まる事がない」
 遠くで離陸の為に加速するボーイング機を見る梶。
「大学を休学して福岡空港に一人で降りた時、長居をするつもりは全くなかった。翻訳の手伝いを捜している人らとのやりとりで、せいぜい一年の予定」
 國村は陸に降りる順を待ち、空中を旋回するエアバス機を追う。
「於菟が生まれ変わっているかもしれないと話したけどさ。あれ、納得が行ったの?」
「そうですね。人の寿命では有り得ない長さの存在記録がありますし。情報を新しい身体に引き継いでいるとするなら矛盾は減ります」
「人を外から呼んでおいてさ。結局、身内でだけで解決しようとする。代表が自分の眼球を捨てて責任を取ろうとしたのは好きにすればいい。『秘匿』の持ち主の修治の弟思いを利用して、都合良く飼っている」
 右手首に巻いた蛙の絵が閉じ込められた文字盤を國村はちらっと見る。
「……例え、親であれども組織に於いては真っ当な『秘匿』の使い道でしょう」
「嫌な考え方だね。でもオレが信用に値しなかったのも事実」
 二人が眺め続ける飛行場内には荷物を牽引するトーイングカー。見送る人達は立ち去り、また別の人達と入れ替わるデッキ。
「オレはさ。何も見たくないし、知りたくなかった。いや、激しく拒絶した」
「まりかさんの件……以降でしたね……」
「修治も止めようとした事があるんだろう? 彼女が命を掛ける必要なんてなかった」
「……良かれと思って掛けた言葉が仇になった気がします」
「オレも同じ」
 溜め息を吐く梶。顔を上げる國村。
「話を戻すけど、於菟は一族、集団。つまり、元は団体名だったのかもしれないって説もあったみたいね。代々、各々が於菟を名乗り、各地に現れた」
「ええ」
「で。此処からはオレの勝手な意見ね。閉じた集団は絶える道に近い訳よ。自分達が情報を集める事も語る事も出来なくなった時。彼ら、あるいは誰か一人の結論として、12種類の印章を全て含んだ13番目の印章を作り使う知恵が出た」
「訊きますけど、誰の為に情報を集めて、誰に語っていたと考えますか」
「日本そのもの」
 腕を組んで訊いていた國村は正面を見たまま、反応をやめる。間もなくして「本当に貴方は」と口にして、軽く笑う。
「於菟は、様々な宗教の様々な物を盗んだと云われているけれども。自分の家に届いた信書を書き写すのは罪なのか? 日本に還元出来るものは全て還元する。13番目の印章の持ち主も本来は災禍を招く訳ではない。情報に対して、自ら答えを出す様になっただけ。其れこそが於菟の想定の範囲外」
「仮説としては興味深いものがありますが……」
「難しく考え過ぎなんだよ。でさ。前は見落としていたのか、其の後に書かれたのか。とりあえず見た方が早いから」
梶は場に座り込み、下ろしたビジネスバッグの中に手を入れる。國村は手元を見て、隣にしゃがむ。
「……梶さん……貴方」
 今度は國村が大きな溜息を吐く。取り出された『亥の巻』を見て、黙り込む。最後の頁を開いて、國村に向ける梶。
[ Cat has nine lives ]と書かれた文字の真下に[ Curiosity killed the cat ]と書かれている。
「好奇心が猫を殺した。要はもう於菟は居ないのかもしれない」
「しかし、於菟の支配の印章は今も上空にあります。しかも日本全体ではなく、一地方都市の……」
 梶は瞬間吹く強い風の中、『亥の巻』をしっかりと閉じ、再びバッグに放り込む。
「……どうやって持ち出したんですか。今迄、誰が試みても敷地からは持ち出せなかった」
「自分の物を自分の行く場所に持って来ただけ」
「……どういう事ですか」
「名乗るだけで良かった」
 それから立ち上がる梶。

「オレが『於菟』だって」


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