2024年度「青年部教学試験1級」研鑽のためにのポイント part4「観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)」背景と大意

「観心本尊抄」


背景


「観心本尊抄」は、文永10(1273)年4月25日、日蓮大聖人が52歳の御時、佐渡ご流罪中、一谷(いちのさわ)でご述作。

 文永8(1271)年9月12日の竜の口の法難では、権力者の企ては打ち砕かれ処分が定まらず、しばらく依智の本間六郎左衛門尉重連の館に留置。
 その後、流罪が決定し、大聖人は同年10月10日依智を出て、佐渡に向かわれた。佐渡で約2年半、過ごす。

本抄と同時期に著された「顕仏未来記」
佐渡到着直後から執筆に取り組まれていた「開目抄」文永9(1272)年2月、四条金吾に与う

翌年にご執筆されたのが「観心本尊抄」

開目抄は、人本尊開顕の書
観心本尊抄は、法本尊開顕の書

として佐渡で著された御書の中でも最重要の二書である。


題号について

正式な題号は

「如来の滅後 五の五百歳に始む 観心の本尊抄」
にょらいのめつご ごのごひゃくさいにはじむ かんじんのほんぞんしょう


であり、この題号に、時・応・機・法 の四義が具足しているとする。

時…「如来の滅後」「五の五百歳」
応…「始む」
機…「観心」
法…「本尊」

上行菩薩がこの世に出現するを明かし、始めて弘めるを明かし、末法の衆生の観心を明かし、末法の衆生が拝する本門の本尊を明かしている。


題号の元意


「末法の初めに、上行菩薩、すなわち末法の御本仏・日蓮大聖人が初めて弘通され、一切衆生が信じる対象となる、本門の本尊を明かされた御抄」と拝す

「観心の本尊」の「の」の字を入れて読むのは、爾前権経、法華経迹門、そして法華経本門の経文上に説かれる「教相の本尊」と区別する意味がある。


※私見ですが、ここでい御本尊は、曼荼羅のことではなく、大宇宙に遍満する南無妙法蓮華経の御本尊のことを仰っていると拝します。


池田先生の講義から『人間革命の宗教』

(抜粋)
御本尊は、どこまでも、万人に開かれた、民衆のための御本尊です。
一切衆生の幸福を実現する、人間のための御本尊です。
そして、世界の平和を祈る、誓願のための御本尊です。

構成は略

各人が、本抄を俯瞰できるようよく読み、全体の内容を確認してください。



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