「観心本尊抄」第30章 2024年度「青年部教学試験1級」研鑽のポイントメモ

ここでは、地涌の菩薩が必ず末法に出現することについての仏の未来記(予言)を挙げられている。
結論は、日蓮大聖人がその未来記に当たる存在であることを結論されていく。

①地涌の菩薩出現の予言

▼㉛「後の五百歳、閻浮提に広宣流布せん」と。

  ▼天台大師、記して云わく 
  ㉜「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。
   
→末法に妙法が流布し、長遠にその功徳で衆生が潤うだろうとの意。

  ▼妙楽、記して云わく
  ㉝「末法の初め、冥利無きにあらず」。
   
→冥利とは冥益のこと。目に見えない生命の変革の利益。末法の初め
    に冥益がかならずあるということ。

  ▼伝教大師云わく
  ㉞「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り」等云々。
  
→伝教自身の時代ではないとの意。

  ▼伝教大師、日本にして末法の始めを記して云わく 
   ㉟「代を語れば像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、
     人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。
             
 →その時代の人々は五濁が盛んで、争いが絶えない。
    
▼経に云わく(法師品)㊱『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。
→(ポイントのみだが) 滅後のあとはさらに反発が多くなる。



②本門の本尊の建立を明かす



▼㊲この釈に「闘諍の時」云々。今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。この時、地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提第一の本尊この国に立つべし

→西海侵逼とは、他国侵逼難を指す。
この時、地涌の菩薩が出現して、本門の釈尊を教示とする一閻浮提第一の本尊をこの国に立てるべし。

  ▼本門の釈尊を脇士となすとは、
  
→御本尊中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」の主題の左右に釈迦牟尼仏・
   多宝如来が認められていることを指す。

第17章から第31章のあらすじで、石田男子部教学部長が話されたようなイメージですが、家に御安置してある御本尊曼荼羅をご覧ください。

♦池田先生の講義から をしっかりと学びましょう。

※翼を広げての通解をよく読み、理解しましょう。あとは、問題集(2024.8.1以降)で網羅します。