「観心本尊抄」第25章 2024年度「青年部教学試験1級」研鑽のポイントメモ

いよいよ、文底下種三段の流通分についてです。

第九段 文底下種三段の流通分を明かす

★話が前後しているようで、テーマに向かい精通していることをよくご確認ください。

第25章 法華経で成仏する対象の中心

 迹門十四品の正宗分である八品は、表面的には、まさに二乗をその教えによって導く対象とし、菩薩・凡夫を付随的な対象としているように見える。
 しかし、さらに立ち入ってよくよく調べれば、まさに凡夫を対象とし、また釈尊が亡くなった後の正法・像法・末法の時代を中心としている。その三つの時代の中でも、末法の時代の初めを中心の中の中心としている。

重要御文を押さえよう。
問う。その(末法の初めが中心の中の中心であること)証拠は何か。
▼㊼法師品に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。
→答える。法師品には、「しかも、この法華経は、釈尊の存命中でも、なおさらのことだろう。」とある。


▼宝塔品に云わく「法をして久しく住せしむ乃至来れるところの化仏は当にこの意を知るべし」等。
→宝塔品には、「この妙法を長期にわたって存続させるのである。<中略>ここに集まった化身の仏たちは、(法華経を持とうと誓う者たちの)意志を知ることだろう」とある。
★語句の意味
「化身の仏」


そのほか、滅後の末法について勧持品13での三類の強敵や安楽行品14の「怨(あだ)多くして信じ難く」「後の末世」などの文も参照するのがよい。

▼㊽一向に末法の初めをもって正機となす。いわゆる、一往これを見る時は、久種をもって下種となし、大通・前四味・迹門を熟となして、本門に至って等・妙に登らしむ。
→まさにただ末法の時代の初めの衆生だけを教えの対象としている。すなわち本門は、表面的には久遠の仏種を下種とし、大通智勝仏の時の結縁、前四味(五味のうち、醍醐味を除いた前の四味、いわゆる爾前経)の教え、迹門の教え、これらによって衆生の機根を成熟させ、本門に至って等覚・妙覚の境地に登らせたのである。
★語句の意味
「等覚・妙覚」

㊾再往これを見れば、迹門には似ず、本門は序・正・流通ともに末法の始めをもって詮となす。
→さらに立ち入って考えれば、迹門とはまったく異なり、本門は、序文・正宗分。流通分すべてが末法の時代の初めのために説かれたのである。


▼㊿在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり
→釈尊の存命中の本門の教えと末法の時代の初めの教えは、どちらも方便が混じらない純粋な円教である。ただし、存命中の本門はすでに仏種を下ろされた人々を成仏させる教えであるのに対し、末法の時代の初めには、直ちに仏種を下ろす教えなのである。存命中の本門は一品二半であるのに対し、末法の時代の初めにはただ題目の五字だけである。

★語句の意味
「種脱相対」