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【不思議な実話】私の夢供養❼

試練のはじまり

私の足が壊れた。

最初の異変を感じたのは東京旅行からひと月後のことである。やがて日に日に悪化し、歩くのもやっとになってきた。足が腫れて常に痺れている。両足で同じサイズの靴も履けない。

ついには杖がないと安全に歩けないまでに悪化した。

複数の病院で診てもらったが、はっきりとした診断名は付かなかった。

おそらくは長時間の立ち仕事の無理とディズニーでの怪我が重なって、足に大きな負荷がかかったのだろう。

(なにせ介護職はハードな立ち仕事だから。)

老人ホームでの仕事が大好きなので、なんとしても辞めたくなかった。

しかし、杖をつきながら老人の介護をする職員なんて、職場にも利用者にも迷惑だ。

人には引き際というものがある。

虚ろな日々

2020年になっていた。

仕事を辞めた私は家で療養と称してゴロゴロしていた。なけなしの貯金を切り崩して暮らす日々。『これからどうしよう・・・』と途方に暮れる。

足が壊れて買い物に行くのも転びそうになる。そんな私がこの先どうやって生きていけばいいのか。さっぱりわからなくなってしまった。

(こんな時こそ自分が漫画家になっていたら、自宅で働けたものを・・・・。)

出来もしなかったことをクヨクヨ思って後悔する。ああ、せめてデスクワークに転職出来る資格だけでも取っとけば良かった・・・

(そもそも働きすぎだったんだよ。もっと身体に無理のない働き方をすれば良かった•••)

今更どうにもならない後悔ばかりが頭に浮かんだ。

折しも世間ではコロナ禍が始まり、自粛ムードが広がっていた。

「こんな時やから、むしろ家におれて良かったやないの。あんたは神様に守られてるんよ。コロナが落ち着くまで、家で大人しくしとき」

母はそう言って私を慰めた。

根来へ

コロナ禍は当初思っていた以上に長引いた。いつまでも家で寝てばかりもいられなくなった私はハローワークに通い始めた。

しかし、足の悪い私を雇ってくれる職場など、どこにあるだろう?

半年以上の療養のおかげで、足は少しはマシになったものの、やはり普通に働けるほどではない。仕事探しは難航した。

そんなある日、ふと気晴らしに出ようと思った。コロナ禍であるから、混雑しない路線を選び静かなところへ行こう。

その時ふと「和歌山の根来寺に行きたい」と思った。そうだ。今こそ根来寺に行こう。

母を誘ってみると、母は笑顔で「私も行く!」と言った。

若い頃、カルト宗教にハマっていた母だったが、この頃にはもうすっかりカルトと縁を切っていた。とはいえ、母は今でもパワースポットを人一倍恐れる。そんな母も「行こう、行こう!」と今日は珍しく乗り気だ。

朝、支度をして家を出ようとした時、誰もいないはずのベランダに女性の人影が映った。昔の着物を着ているようだ。

(おや・・・・、今日はもう一人連れがいるようだ。)と思った。聖地に赴く時、こういうことはよくある。『みんなで行こう』ということだ。

母と私は電車とバスを乗り継ぎ根来寺を目指した。やはり思った通り人は少ない。私達はバスに揺られ濃い緑の山々を眺める。

若い頃はよくこの辺りを母の運転でドライブしたものだ。私はまだ二十代半ばだった。

病気で寝たきりの父を車に乗せて、よく和歌山まで行った。自力で動けない父はドライブが好きだった。母はハンドルを握るといつも和歌山を目指した。根来寺周辺もよく走ったものだ。

しかし通り過ぎるだけで参拝したことはない。二度ばかりお参りしてみようと車を降りたことはあったが、「ちがう、今じゃない」そんな気がしてやめたのだ。

それから十数年経ち40代になったばかりの頃、こんな夢を見た。戦国時代、根来寺の僧兵たちに危ういところを救われたという夢だ。紀州北部の海岸地域から攻め上ってくる強力な軍勢に押されて崩れかけた我が軍を、根来衆の援軍が助けてくださった。

戦国時代の歴史をかじった人なら当然知っておられるであろう。当時の根来寺というのは雑賀衆と並ぶ、練度の高い鉄砲隊を持つ強力な武装集団であった。(歴史は苦手だけど、ここだけはなんとか覚えた!)

私はその夢を見てからずっと、いつか根来寺にお参りして根来衆の霊達にお礼を言わなくては。そう思っていた。

今日こそがその日だと感じる。

足が痺れているので、母と腕を組んでゆっくりと階段を登る。山の空気が澄んでいてとても気持ちがいい。

曇天ではあるが、心がとても晴れやかだ。包み込むような優しい空気を感じる。

国宝の大塔の中を見せていただく。円筒状の美しい内陣を見て染み入るほど嬉しく思う。

ここに来て良かった。

母も久しぶりの観光に自然と笑顔になっている。

静かな日本庭園を見学させていただき、久しぶりに開放的な時間を過ごす。

ありがたい…

感謝の気持ちが湧き水のようにあふれてとまらない。ずっと張り詰めていた気持ちが山の空気にほぐされて浄化されていく。

池を泳ぐ金色の鯉を見て、「縁起がいいね」と母と笑い合い、記念写真をたくさん撮った。

やがて帰る時間が来た。そろそろバス停に戻ろうと来た道を引き返す。

満たされた思いで歩いていると、ふと参道の脇から伸びている道が目に入った。道の入り口に『身代わり不動尊』と書いてある。

「呼んでる•••」

「ねぇ、お母さん!『ここで祈願せよ』って誰かが呼んでる。ここなら私の足、助けてもらえる!!」

確信が降りてきた。足が壊れてもう一年以上が経ったが、どこの神仏にも祈ったことはなかった。半分諦めていたし、祈願というのは縁だとも思った。

どの神仏が自分に縁があるのかを見定めて一心に祈願しなければ最大限の効果は出ない。この一年あまりそんな神仏との縁が見えるタイミングを待っていた。

やっとその時が来た。

私はその日初めて、足の治癒を心から祈願した。



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