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かつて民謡ブームがあった


赤い色の憎い奴の使い方がだいぶわかってきまして、色々とやっているんですけど、スイッチが痛い。自宅で使ってる時は素足ですから。

みなさん同じような事思っていたんですね。このスイッチのカバーなるものがあるんですね。色々種類があって迷います。

先日も書いていたお話ですけど、少し前にニュースになっていたんですね。
見ていただければわかるんですけど、クラフトマン熱がきませんか?

1970年代は民謡ブームがありました。これ本当なんです。
原田直之さん、大塚文雄(エンヤ〜会津磐梯山は〜の人)さん、そして金沢明子さん。ゴールデンタイムに民謡番組が2時間枠で組まれるほど。その中で山影少年も出ていました。
当然、津軽三味線も高橋竹山氏が出てきて、ブームが起きます。三味線バンバン売れてました。先生たちは生徒さんバンバン入ってきました。
そのころの日本は高度成長期。とにかく凄まじかったです。歌番組も盛んでした。民謡歌手も混じって出ていたんですよ。今では信じられないでしょう?
民謡のど自慢ていうのもありました。過去に子ども大会があり、それにも出場したんですけど、その時の経験が民謡界って・・・・・という気持ちにさせてくれました。
その後、ブームは徐々に衰退していくのですけど、それは何故か?と考えます。
ブームってなんでもそうなんですけど、マニアが潰すんですよ。

僕が勝手に思うのは、家元制や、格式なんかが入ってきたからだと思っています。そうでないと思う人もいるでしょう。
ガチガチの縦社会。僕は本当にそれが嫌で、大御所と言われる人を避けていました。けれど、嫌だと何故かそういう人たちは必ず近くにいます^^;
あの先生が来てるから挨拶に行きなさい。そうすれば・・・・・なんて言われたり(子どもにそういうことをさせるっておかしいです)
僕の民謡の先生(故太田はま子氏)は優しいおばあさんで、嫌がる僕をいつも庇ってくれていました。故浅利みき先生は僕に会うと飴を必ずくれました(笑)
優しい先生は、常にトップクラスでした。ここまで書けばわかるでしょ(苦笑)

その後僕はギターに出会い、一度その世界から離れたんですけれど、戻ってきた時もまだ残ってましたね。なので僕はそちらの方へは足を運んではいないのですけど。

ただ一度だけケジメ的なのを要求されたことがありました。しかしそこは僕のテリトリーでは無いし、流派に所属しようとも、教えから逸脱して変なことをしているわけでも無い。

協会にも入っていないし、何かを言われる筋合いも無いのです。てか言われていてもそちら側にいなければわかりません。なので無視しました。
それ以来、関わりを持っていないのです。これがプラスになるのかマイナスになるのかわかりません。けれど嫌われる勇気がなきゃ好きな事は出来ないとも考えます。

つまらないことを書いてしまいました。ただ思うことは、残しておきたいはずなのに、廃れていくことに気がつかない人が多かったのかも知れません。外から見ればわかったはずです。

ただし、民謡はまた復活すると考えています。それがいつになるかはわかりませんが、その時が来るまで死ねないと、うちの母親が言っています(笑)

【民謡クルセイダーズ】
とあるお店でこのバンドの皆さんと知り合いまして、すごく良いと思います。民謡をここまでフィットさせるのは良いですよね。

そしてヴォーカルのフレディさんと、津軽三味線の秋山さんが組んだユニット「こでらんに」もがっつり民謡で良いのです。

民謡も自由です。歌うのも勝手にやれば良いんです。
いつか来る民謡ブームに備えておかなければいけないですね。
みなさんも地元の民謡一つくらいは歌えるようになれたらかっこいいですよ!

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