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①常位胎盤早期剥離により重症新生児仮死で産まれた娘が元気に歩くまで。


これはうちの末っ子が産まれた時の話。
いまでも思い出すと胸が苦しくなる記憶だけど、わたしの人生の糧になった大切な経験。

どこかの誰かにとって
お母さんや奥さま、そして自分自身のことを大切にしようと思えるきっかけになりますように。
これから産まれる赤ちゃんが1人でも多く助かりますように。
そして同じ経験をされたばかりの不安なママさんにとって、希望になりますように。

※この記事は、当時のありのままを綴っています。
気分が悪くなったり読んでいて辛いと感じたら、早めに閉じていただけたらと思います。
また、当時の率直な気持ちなため、今とは違ったりその時の不安定な心情で思った事が書いてある部分もあります。ご了承ください。


36週、それは突然やってきた。


前日に妊婦健診を終え、いよいよ計画出産の日にちが決定。
20代で経産婦。肥満や既往症もなし。

なんの心配もせずその日も近所に買い物に出掛けて、家で家事をこなし上の子と過ごした。


出産4時間前‥お腹が張る


夕方いつものように取り込んだ洗濯物を畳んでいると、そういえばお腹が張るなぁと少し思う。

でも、上の子のお世話に加えて
夕方の1番忙しい時間。座る事なく動き続けていたことに加え、臨月も近づきちょこちょこ張る事も増えていたためあまり気に留めず。

この時に念のためと、病院で診てもらっていたらと思うこともあったけど
不安要素がない限りは気付けないレベルの張りだったと思う。痛みは全くなかった。


出産1時間前、夫が帰宅

動きすぎたかなと思い早めにご飯とお風呂を済ませて、やっと横になって少しした頃
夫が帰ってきた。

今思い返せばご飯を食べている時も
お風呂に入っている時も
ずっとお腹はカチカチだったように思う。
それでも痛みは全くなし。

横になれば緩まると思いながら
念のため、やっと検索する。

"お腹の張り 治らない"
こんなような検索ワードで調べるも
出でくる答えはバラバラ。

前駆陣痛?動きすぎ?

痛くないし‥そもそもこれ張ってるっていうの?

ますますわからなくなり
いちおう、電話で産院に確認してみることにした。

「さっきからずっとお腹が張ってて‥」

すると、前日に健診に行ったからか
そんなに慌てる様子もなく
週数的にも念のため来て!と。

子どもがいるし、もうすぐ寝かしつけもあるし、明日じゃダメかなぁ?
数時間で帰れるかなぁ?

そんな事をぐるぐる考えながら、
しぶしぶ着替えてさっと貴重品だけ持って夫に送ってもらうことにした。

すると、

あれ?いてててて‥


横になっていて気づかなかった。

便秘のような鈍痛。

前屈みになって早歩きで車に乗った。

これが陣痛なのか‥?

上の子が計画無痛分娩だったせいで
陣痛の痛みがどんなものなのかわからない。


車を降りて病院の夜間インターホンを押す頃にはまっすぐ立っていられず、すぐに車椅子に乗って運ばれた。

待たされる事なく着替えてNSTをつけてもらった瞬間、それまでペラペラ喋っていた明るい助産師さんの顔つきが変わったのがわかった。


早く!早く先生を呼んで!!!


なにをそんなに急いでいるのか
さっぱりわからなかった。

なんの心の準備もないまま、手術室へ。

ほんの数メートル先の手術室まで両脇を支えられながら歩く途中、帝王切開になる雰囲気を感じ取って
「せめて横に切ってほしい」とのんきで無謀なお願いをしたのを覚えている。


手術台に横になってすぐ
脊髄麻酔を注射されて
「ごめんね。。」と腕を拘束。

ちょっと引くくらい強めに縛り付けてきた助産師さんに、今では感謝してる。
あれがなかったら、私は大暴れしてただろう。

そして次の瞬間、夜間当番の先生が来て
メスを持って私に言った。

「今から切るけど、赤ちゃんもう助からないかもしれないから」



え?



頭の中にハテナが浮かんだと同時に
先生がメスを入れた。



麻酔が効くのを待たず、
先生は赤ちゃんの命の可能性を信じて、少しでも早く救おうとしてくれた。

腕の拘束があってよかった。

そしてしっかり、縦に切られたこともその時に分かった。


焼けるように熱く叫ぶことしか出来ず、
実際は医療ドラマで見るような
スッと切れるようなものではなくて
ブチブチと繊維をちぎるような感覚の激痛が2回、皮膚と子宮を切り裂いた。

その光景と痛みは産後しばらく
フラッシュバックするほどショッキングな出来事だった。


2回目のメスを入れたあと、
先生が両手でわたしの子宮からモゾモゾと赤ちゃんを取り出そうとする感覚のところで記憶は途絶えた。

気を失ったのか、麻酔が効いたのかは分からない。


それからすぐ、わたしが意識を失っている間に娘はこの世に産まれた。

それは、病院に着いてから15分後のことだった。



最期まで聴覚が生きてるっていう話は本当だと思う。

麻酔で朦朧とした意識の中、
1番最初に戻ってきたのは聴覚だった。

わたしのお腹の傷を縫いながら
先生たちが喋ってる音が聴こえる。

自分が誰で何故ここにいるのか理解するのに少し時間がかかった。

助産師さんたちが慌てた様子で
わたしのカバンを漁り
母子手帳にある夫の電話番号を探していた。


そして、苦しくて小さなうめき声をあげると
助産師さんから
「赤ちゃん、何とか生きてるから。これから救急車で大学病院に向かうけど、いい?」

蚊の鳴くような声でハイと答えた。

麻酔なしの筋肉が緊張した状態での開腹手術と
2,000ml以上の大量出血からの輸血で
意識が戻ったあとも何度も嘔吐を繰り返し
少し落ち着いた頃にやっと夫と連絡が取れた。


夫は産院が連絡をしてくれていたようで
娘のいる大学病院にいるところだった。


2,800gだったって。


産んだ感覚もなく
全く予後のわからない状況の中、
唯一娘が産まれたことを実感させてくれた一言に、一気に涙が溢れた。


意識なく心拍もほとんどない状態で産まれた赤ちゃんを前に、おめでとうと言う人は誰1人いなかったから。

出産というよりは交通事故に遭ったような、
そんな感覚の方がよっぽと近かった。

そしてその時はひたすら
夫に、赤ちゃんに、上の子に、両親に、
こんな事になってごめんなさい。

ひたすらそう思う気持ちしかなく
謝っていた記憶。



誰にも祝福されない、大切な家族みんなを泣かせた誕生日になってしまった。



つづく

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