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黒煙のコピアガンナー スピンオフ第二弾 夜明けを告げる星 第二話

夜明けを告げる星 第二話


 アオイの両親はアケボシ国の商人の家系の出身だった。地方都市の小さな商家に生まれたアオイの両親は互いの家業を継がずにイグニスに行くことを夢見た。若いうちに移住できればよかったが、2人は両家の親から反対され、その間にアオイが生まれた。アオイの両親はアオイが大きくなるまで待ち、イグニスへの移住準備を進めた。だが、今度はレンがお腹にいることがわかり、さらに延期した。そして、今回ついにイグニスの地へ足を踏み入れることができたのだった。

 カズラとアオイはレンの世話を通じてすぐに仲良くなった。アオイの両親は事業計画書を添削してもらうために度々カズラの両親を訪ねた。親同士が大人の話をしている傍ら、アオイとレンはカズラと庭で遊んだ。

 夕暮れ時のオレンジ色の日差しを浴びて、庭のノウゼンカズラが朱く輝いて見えた。カズラが生まれた時に両親が植えた思い出のノウゼンカズラだった。

「アケボシの文字ではね、私の名前はこう書くの」

 アオイが拙いイグニス語でカズラに説明しながら紙に自分の名前をアケボシの文字で書く。

 カズラが膝にレンを乗せている。レンはすっかりカズラにも慣れて大人しく抱っこされて、1歳児用のお菓子をしゃぶっている。

「宮本葵。葵はアケボシの植物の名前」

「線をこんなに書かなくちゃいけないのか」

 カズラは初めて見るアケボシの文字の複雑な形状に見入っていた。アオイから教えてもらうアケボシの話にカズラは興味津々だった。

「蓮はこう書くの」

 感心してくれるカズラに気を大きくしたアオイは得意げに自分の弟の名前も書く。

「レンってこう書くんだ!」

「そうだよ」

「じゃあ、私の名前は?」

 カズラは身を乗り出してアオイに質問した。レンがテーブルに挟まれて泣き出す。

「あ、ごめんね。痛くないよ~」

 カズラがレンを泣き止ませようとする。アオイは持っていたアケボシ語辞典でカ行を引く。

「ちょっと待ってね」

「ノウゼンカズラのカズラだよ」

 レンをあやしながらカズラはアオイに言う。末っ子のカズラは赤ん坊の相手をしたことがなかった。アオイと出会ってから2人でレンの面倒を見るようになってだんだんと世話ができるようになってきたのだ。レンの世話をするのをカズラは純粋に楽しんでいた。

「こうだと思う」

 アオイは何度も文字を見ながら一画ずつ書いていく。

「葛。アケボシではこれと同じ文字を使う葛餅っていうお餅があるよ」

「クズモチ?」

 カズラは食べたことはないがモチと呼ばれる食べ物がアケボシにはあることを知っていた。

「カズラモチじゃないのか?」

「違うよ。アケボシの言葉は同じ文字でも何通りも読み方があるの」

「へえ! すごいんだな! アケボシ語!」

 カズラはアケボシの文字の特徴に初めて魅力を感じた。そして、カズラは自分でも書けるようになりたくなった。レンを隣の椅子に座らせて鉛筆を取った。

「なあ、この上の横1本書いて縦に2本書くこの模様、葵にも蓮にも葛にもついてるんだな」

 カズラはじっくり形を見ながら書き写しつつ話す。

「それはね、草冠っていうの。植物を意味する部首なんだよ」

「ブシュ?」

「うーんとね、文字のパーツのこと?」

「え、じゃあこの模様って全部に意味があるのか?」

「うん。アケボシ語の文字のパーツには全てに意味があるの。パーツを組み合わせて別の意味の文字を作ることもできるんだよ」

「めちゃくちゃすげえじゃん!」

 カズラはふと剣道の道場の壁にかけられた絵のことを思い出した。もしかして、あれは筆で描かれたモノクロのアートではなくアケボシ語の文字だったのかもしれないと急に合点がいく。

「アオイ、ちょっと来て」

「え、どこ行くの?」

 カズラは家の隣の道場にアオイとレンを連れて行った。稽古が始まるのは夜からで、まだ誰もいない。道場に入って目の前の壁にかかったそれをカズラはアオイに指さした。

「あれも文字なのか?」

 アオイはそれを見て目を丸くした。それは書道の掛け軸だった。たっぷりの墨を含ませた大きな筆で一筆書きされた大胆な文字はアオイの心を一気に故郷のアケボシに引き戻した。やがてアオイの目から涙が零れだした。

「どうしたんだよ、アオイ! 何で泣いてるんだ?」

 カズラは突然の出来事に驚きを隠せない。アオイは涙を拭きながら答える。

「何でもない……アケボシにいた時のこと思い出しただけ……」

 アオイはホームシックだった。親の都合で慣れ親しんだ町を離れての生活は8歳の少女には辛かった。親は仕事の計画で忙しく、レンの子守もさせられている。カズラがいなかったらアオイはとっくに潰れていただろう。

 カズラはアオイの頭を撫でた。何故そうしようと思ったのかはわからない。自分が泣いている時、母や兄がそうしてくれたのを体が覚えているのだ。

 アオイはカズラをぎゅっと引き寄せて泣いた。カズラはなんだか胸がドキドキした。何でだろう。同い年の女の子がただ泣いているだけなのに、何故だかいつもと違う気がした。カズラのTシャツがアオイの温かい涙で濡れて、アオイが時々漏らす嗚咽混じりの吐息が胸をざわつかせた。しばらくそのままカズラはアオイに一歩も触れることもできずにただ胸を貸した状態を維持した。

 アオイが泣き止むと、アオイとカズラは道場の真ん中に座っておしゃべりした。レンは広い道場の部屋で歩き回って遊んでいる。

「これね、文字だよ。花鳥風月って読むの」

 アオイは壁にかかった掛け軸の文字について話した。

「カチョーフーゲツ?」

「そう。花と鳥と風と月。自然の綺麗な風景を4つ並べた四字熟語なの」

 カズラは花と鳥と風と月が1つのキャンバスの中で美しく描かれる絵画を想像した。アケボシの自然風景についてはよく知らないからきっとこの想像もかなり間違っているのだろう。実際のアケボシの風景はどんなものなのかカズラは知りたかった。

「アケボシにはこの言葉みたいに綺麗な風景が広がっているのか?」

「そうだよ。アケボシは独自の自然環境と文化がある珍しい国なの。アケボシでしか咲かない花も、アケボシにしかいない鳥もいる。いつも湿気を帯びた優しい風が吹いていて、月と星を題材にしたおとぎ話があるの」

「おとぎ話?」

「昔の人が考えた古い小説みたいなもの。お姫様が月へと昇る素敵なお話よ」

「へえ……」

 アオイは小さい頃から何度も聞かされたお話を語り出した。

「ある時、昴という男が月から降りてくるの。昴は月の民で美しい銀色の剣と盾を持っていた。人々は空から昴が現れると神の類だと思い崇め奉る。昴はこの地で最も美しい娘を妻に娶りたいと人々に言う。そこで絶世の美女と謳われていたお姫様に白羽の矢が立つの。お姫様は昴を一目見て気に入ったが、地上を離れることに不安を感じていた。それで、自分が月へ行く代わりに地上に置いていくものを用意してほしいと昴にお願いした。昴は、ならば夜明けを告げる目印を授けましょうと約束する。月が沈み、太陽が昇るまでの数分間だけ姿を現す特別な星です。と、昴は説明した。そうして贈られた星を人々は明星と呼び、明星が夜明けを告げる国として、その地をアケボシ国と呼ぶようになったの」

「それがアケボシの国名の由来なんだ」

「そうだよ。それでね、お姫様の名前は柘榴姫。イグニス語では”Princess Pomegranate”」

 アオイはザクロを果物の” Pomegranate”と訳した。カズラはザクロの実を食べたことがあったのですぐにわかった。赤い粒がいっぱい詰まった果物だ。赤い着物が似合う黒髪の美しい姫君がイメージされた。

「私も行ってみたいな、アケボシ」

 カズラはつぶやいた。

「カズラはアケボシには行ったことないの?」

「うん。私の家はじいちゃんとばあちゃんがイグニスに来てからずっとこっちで暮らしてるから」

「じゃあ、いつか一緒に行こうね」

 アオイはカズラに小指を差し出した。

「何?」

「約束をする時、アケボシでは小指だけで握手をするの」

「そうなんだ」

 カズラはアオイの小指に自分の小指を絡めた。

「いつか一緒にアケボシに行こう!」

「うん! 行こう!」

 アオイはニコッと笑った。その笑顔はまるでザクロ姫のように美しいとカズラは思った。カズラはその屈託のない笑みを片時も忘れることはなかった。

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