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「オウム真理教現象」と私~1995年まで

2020年3月16日で、地下鉄サリン事件から25年になる。その四半世紀の節目に向けて、自分の個人的経験を記していこうと思う。

1995年以前のオウム真理教に関しては、概ね、「なーんか、変なの」という記憶しかない。

1990年、「真理党」から麻原彰晃氏が立候補したとき、麻原氏のお面やゾウのかぶりもの(だったと思う)をつけた信者たちが、踊ったり歌ったりチラシを配っていたのを見た。御本人たちは大真面目なのだろうけれども、私は笑いたくて笑いたくて、笑いをこらえて通り過ぎていた。

1994年に松本サリン事件が発生した直後、テレビのニュース番組で流れたガスの拡散のシミュレーション映像作成に、富士総合研究所(当時)の「α-FLOW」という数値流体力学ソフトが使われた。一言でいえば「流れのシミュレーション」を行うソフトだ。本来、飛行機や原発の中のタービンの回転や、ダムの放流や、空気中への別の気体の拡散といった現象を扱う目的で作られたものだったが、私は半導体表面の1ミクロン以下の領域の研究に適用しようとしていた。出来るかどうかをロクに考えもしないで挑んだから、出来たようなものだ。当時、1ミクロン以下の領域で何が起こっているかを直接解く荒っぽいアプローチは、世界的にまだほとんど行われていなかったので、ノウハウも何もなかった。2年かけて学会で発表できるような成果が出てきたときには、発表すれば立ち見、発表後は追いかけられて細かい話を聞かれたり「こういう展開をしてほしい」とアドバイスされたり。研究を行えて研究以外の成果も出せた。α-FLOWの開発に関わっていた富士総研の皆様のおかげ。今でも、言い尽くせないほど感謝している。結局、当時の勤務先は、上司同僚たちの妨害や攻撃によって最後には追い出された。でも今でも、研究は研究だし、実績は実績だ。とりあえずは、「松本サリン事件のシミュレーションアニメに使われたソフトを自分も使っていた」というだけのこと。

その後、松本サリン事件では、家族が被害を受けたが加害者とされていた方への冤罪と一家への嫌がらせがあった。私は、遠くで起こった事件ではなく、自分自身に明日起こってもおかしくない冤罪や嫌がらせのほうが怖いと思った。

その頃、私は毎週のように秋葉原にパソコン部品の買い出しに行く生活をしていた。PC/AT機を自作して、Linuxを載せて動かしていたからだ。秋葉原には、オウム真理教が経営しているというパソコンショップ「マハーポーシャ」があり、駅前では信者が安売りのビラ配りをしていた。頭にパソコンを模したかぶりものを着けて(オウムは、かぶりものとお面が本当に好きだったらしい)、「○○が安い!」と叫びながら、楽しそうにではなく真剣な表情でビラを配っているサマナ服の信者たちは、ちょっと怖かった。ときには、ビラを押し付ける信者と受け取りたくない通行人との間でのトラブルもあった。そのうち、毎週のように秋葉原に行く人々によって、マハーポーシャのビラ配り対策が発見された。1枚だけ受け取って、それを振りかざしながら歩けば、それ以上に押し付けられることはない。そのノウハウがいつのまにか共有され、ビラは「免罪符」と呼ばれるようになった。

ある日、秋葉原に足繁く通う仲間たち7人ほどと、マハーポーシャに行ってみた。動機はただ一つ、「怖いもの見たさ」。

ペンシルビルの上の方の階にあるマハーポーシャの店内に入ると、店舗の面積に対して、通常のパソコンショップの2倍から3倍程度の店員がいた。PC/AT機、当時のいわゆるDOS/V機が所狭しと並べられていたのだが、15台ほど展示されていた実機の中で、正常に動作しているのは2台だけだった。残りはほとんど、OSのブートシーケンスのどこかで停止したままだったり、「キーボードが接続されていない」などの理由によってBIOSがエラーメッセージを発していたりだった。

それらの不具合を直して動作させるのは、扱いに慣れている人だったら、特に苦労するようなことではない。マハーポーシャで売られていたパソコンは、同等のパソコンの80%程度の価格だった。安価であることは確かで、お買い得ではあったのだが、当時既に、「信者から何もかもを奪って無償労働させている」という噂があった。また、現在はオウム真理教が関与したことが確実となっている殺傷事件の数々について、「まだ真犯人は分かっていないようだけど、もしかしたら」という噂もあった。割安とはいえ、マハーポーシャからパソコンを買うと、そういう用途に使われてしまうかもしれない。それは気分のよいことではなかった。私の仲間たちも同じような考えだった。というわけで、誰もマハーポーシャのパソコンは購入していない。

マハーポーシャの店内にあった「オウムらしいもの」の記憶は、秋葉原の駅前でビラ配りをしていた信者の頭にあったのと同じパソコン型のかぶりもの(1000円)と、算数学習ソフト(2万円以上だった記憶あり)だった。正解すると、結跏趺坐した麻原彰晃氏が現れてジャンプするのだそうだった。怪しいお香や怪しい「アストラル音楽」や布教を期待して店内に入った私たちは、拍子抜けした。そういうものを期待していたから、一人で行かず徒党を組んで行ったのだ。もっとも、それ以前の時期に店内に入った人の話によると、怪しいお香も音楽も布教もあり、いかにもオウムオウムしていたそうだ。

パソコン通信のクラシック音楽のコーナーには、時々、オウム真理教の信者が現れて、麻原彰晃氏作曲ということになっている音楽やコンサートを熱く語り、「生暖かく見守られて」いた。信者たちが音楽を通じた接触を図ろうとした記憶、たとえば「オフ会」に来たというような話は、あとでちらっと「来てたよ」と聞いたことが1回か2回あった程度か。

また、私が時々立ち寄る場所いくつかの近くに、オウム真理教の道場があった。出入りする信者を見ていると、純朴で、真剣で、「だから新興宗教なんだなあ」という感じだった。80年代なら、同じ人たちが自己啓発セミナーにハマったのかもしれない。いずれにしても、大学やその周辺、1990年から住んでいる西荻窪界隈では、特に珍しい現象ではなかった。少なくとも、末端の信者たちを見ている限り、オウム真理教と他の新興宗教との違いは感じられなかった。

そして1995年、地下鉄サリン事件が起こり、上九一色村の「サティアン」への強制調査が行われた。報道には、「恐ろしい事件」を起こした「凶悪な教団」に関するディテールのもろもろが溢れた。

地下鉄サリン事件が起こった時、私は「霞ヶ関」という地名にピンとこなかった。「霞ヶ関駅に刺激臭の毒ガスが撒かれた」ということが何を意味するのか、わからなかったのだ。「霞が関に官公庁が集中しているから国家転覆だ」と言われて、「あ、そういうことなの?」という調子だった(現在の私は霞が関・内幸町・神谷町・虎ノ門・有楽町・丸の内の位置関係を把握しているけれども、当時は「都心のどこか」という感じだった)。

その「刺激臭の毒ガス」がサリンだと判明したとき、「臭ったのは不幸中の幸いだ」と思った。もしも臭わなかったら、毒ガスである可能性に誰かが気づいてガスの種類を特定するまで、もっと時間がかかり、被害が拡大したのではないだろうか。臭ったのは、合成が下手くそで不純物が混ざっていたからである(2003年ごろ、パートタイムエンジニアとして霞が関に通勤しはじめた時、「この複雑な構造の駅で通勤ラッシュ時に毒ガス」ということの恐ろしさを改めて感じた。被害に遭われた方には申し訳ないが、やはり今でも「臭ったのは不幸中の幸い」だと思っている)。

ともあれ私は、報道やそれをネタに語る人々の「気分」に同調できなかった。伝えられることがらは、一つひとつが事実なのだろうけれども、報道される「あのオウム」と、私が秋葉原やオウムの道場の前で見かける「そのオウム」は、どうしても連続した同一のものに見えない。そして私は、自分の周囲で繰り広げられる世間話に、決定的についていけなくなった。

そうこうするうちに、オウム真理教のあれやこれやが捜査の対象になり、逮捕される人々が次々に現れた。別件逮捕も多かった。中には「図書館の本を返し忘れていた」ということで別件逮捕された事例もあった。オウム真理教がいかに強力かつ凶悪であっても、私をターゲットにしたいとは思わないだろう。でも、図書館の本の返し忘れだったら、しょっちゅうやっていた(今も、かも)。そもそも警察は、逮捕したいと思えば誰だって逮捕できるものだ。

1995年当時の私は、たぶん自分をターゲットにしないオウム真理教には、リアリティある恐怖はあまり感じていなかった。日常のちょっとしたことで別件逮捕される可能性があることや、別件逮捕される可能性を日常的に作りながら暮らしている日常の方に、よほどリアリティを伴った怖さを感じた。

そのころ、マハーポーシャの通販部門にたった一人だけいた技術のわかる信者が、全国の購買者からのクレームに誠実に対応していたと聞いた。

いったい、誰がまっとうで、誰がまともじゃないのか。何が正しくて、何が正しくないのか。自分自身が、日本社会という大きな鍋の中で揺さぶられながら洗脳されているような気がした。不安をつのらせたところで帰依の対象を示してすがりつかせるのは、洗脳の常套手段だ。それにしても、日本社会は、私をどう洗脳して、何にすがりつかせようとしているのだろうか? まあ自分の不安については、腑分けし、どこにどういう根拠があって脅威の程度と実現可能性はどの程度なのか、一つひとつ評価していくしかないじゃないか。

そんなことを時々考えながら、私は1995年を送っていた。

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