2024/02/15

やっと採点が最後の佳境に入っている。
要するに最後の科目三クラス分150人弱の採点に取り掛かりつつあるということだ。毎回の小課題と期末の大課題二つの合計点で決まるので、まずは一日で小課題のコンプリートを目指す感じ。たぶんそれだけでも朝から始めて丸一日深夜まで掛かると思う。

それにしても採点が嫌いだ。苦手とは違う。理由はすごく単純で、生産的でないから。いや、理屈としては大変重要な仕事だということは理解している(それで人生が決まる人もいる)。だが、採点している側からすると、何もしていないような気持ちにもなるのだ。その場で足踏みをしているような、世の中から遅れているような。取り残されているような、そんな気持ちになる。いつだってそうだ。

僕がレポートを読んだり出席の回数をカウントしたり、プレゼンの動画を確認したりと、そんな採点をしている時間に、他の人たちは世の中に新たな価値を産んでいる。ただ自分だけが何もしていない。これではただ遊んでいるのと何が変わらないんだと思ったりする(繰り返すが、頭の中では重要な仕事だとはわかっている)。

新しいバリューを作り上げていない自分は、まるで日々仕事しないで過ごしている無産者のようにすら思える。だから採点してる時に、自分はまるで高齢ニートであるなと思いながら採点している。採点ばかりやってて仕事していないでごめんなさい、みたいな変な考えが次々に浮かんでは通り過ぎていく(採算言うが、重要な仕事であり、ミスがないように細心の注意を払って採点している)。

なぜこんなことを考えてしまうのかを考えてみると、たぶん採点とは主導権が採点される側にあるからだ。実際、特に問題ない(つまり想定の努力を半期の間に繰り返してきた人)は、採点に負担が少なく、逆に問題があればあるほど採点に手間と時間が掛かる。僕はそれに右往左往させられるのが好きではないのだ。出来の悪いレポートやテストの結果に対して、より長時間向かい合う必要があるなんて、苦痛でしかないのは理解してもらえるだろう。

まさに採点のパラドックス。

これを何とかする方法は色々あって、「提出した・しなかった」で採点するとか、マークシートで機械的に採点してしまうとかがその一部だ。客観テストは偉大だなと思う。

だが、流石にレポートを書かせる課題やプレゼンをさせる課題がメインの科目についてはそれらを適用するわけにはいかない。知識ではなくスキルの評定が必要になってくるからだ。

ああ、また憂鬱になってきた。でも今週を過ぎればクリエイティブな仕事に向き合うことができるようになる。部屋だって少しは片付けられるだろう。紙を全て破棄するのはすでに諦めかけているが、それにだって気持ちを新たにチャレンジできるだろう。読みかけの本にだってまた手を出せるはずだ。

そんな夢のような時間を夢見つつ、今日もこれから採点に取り掛かるのである。がんばれ自分。

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