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実話怪談と障りと障りを祓う話

はじめに

実話怪談作家の神沼三平太といいます。初めましての方は初めまして。どこかでお会いした方はご無沙汰しております。いつもお世話になっております。

まず今回の記事で述べようとしていることは、拙著をめぐる極めて主観的な内容です。だから人によっては「それは違うよ。神沼は間違っている」と感じることもあるでしょう。それに関しては当然のことです。世界の捉え方は人それぞれですからね。

それではまず、この文章の前提となる部分から説明していきます。人によっては全く知らない世界の話ですので。

令和二年二月末に神沼は竹書房怪談文庫から「実話怪談 毒気草」という書籍を出していただいたわけです(絶賛発売中! これは宣伝)。タイトル通りの実話怪談集です。そもそも「実話怪談」とは実際に誰かが体験した話を取材して書かれた文芸。つまりエンターテイメントです。小説と違うのは、あくまでも取材に基づいており、起きていないことは書いてはいけない、という縛りがある(少なくとも神沼は執筆においてそういうスタンスを取っています)。「実話怪談 毒気草」は、そのような「取材に基づいたエピソードを怪談仕立てにした話」が一冊に二十六話収録されている本な訳です。二十六話も? はい。多くの場合、実話怪談は一話一話が短い独立したエピソードで完結します。連作になることもほとんどありません(ないわけではありませんが)。

「実話怪談 毒気草」に収録されているのは、どれもとびきりに怖い(と感じてもらえることを期待して書かれた)話です。怖くなかったら、それは神沼の実力不足ですね。期待に添えず申し訳ない。

さて、この本は執筆の最中から「実害がある本」を目指して書きました。これについては前書きにもそう書きましたし、あとがきでも体験した「障り」に関して色々書きました。実際、あとがきに記した内容に関しては事実です。

「お前死ぬよ」

これもお化けが見える友人に実際に言われたこと。原稿に起こした話が僕の不調に関係している、と指摘されたというのも事実。

実際そのように指摘されて、「そうかぁ、死ぬかぁ」と少し考えました。稼ぎ頭が死んだら家族は困るだろうなぁ、とか。僕は仕方ないけど、子供たちに何か障りが出ちゃいけないな、とか考えました。

「祟りや障りや呪いなんて信じてるの? ビリーバーなの?」

そう感じる人もいるでしょうね。わかります。まぁ、「障り」かどうかはわかりませんが、最近怪談の原稿を書いていると心臓が不整脈っぽくて、あっこれまずいなって思ったりしていることとかも含めて先々も気にしてはいます。このままだと死ぬよって言われたり、家族の方に不具合が出るかもねと言われたら、やっぱり気にはなります。でも、神沼はお化けを見たり感じたりする能力を持っていないので(ごく稀に変なところで変な声が聞こえたりすることはありますが。たぶん気のせい)、とにかく正解がわからない。今後も僕や家族に対して執筆内容で障りが起きるかどうかもわかりません。なぜなら僕にはそれを障りと判定する手段がないから。だから、ここからは「なんとなく嫌な感じの時に、それとどう折り合いをつけているのか」「どうやってヤバめな実話怪談を続けていけるのか」って話です

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