君の三月は。

現代の日本ではライオン派が圧倒的に多いと思う(この文を入力するのに使っているiPhone君がライオン派なんだから間違いない)けど、誰がなんと言おうと僕は断固として雨派だ。

三月の、に続く言葉のはなしです。垂乳根の母、千早振る神、そして三月の雨。いちおう言っておきます、三月は雨の枕詞です。というのは真っ赤なあれです。

『三月の雨』。アントニオ・カルロス・ジョビン師の傑作であり、人類の財産です。僕の生まれたこの地球に、三月があり、雨があり、三月の雨がある。ほかに何が要るっていうんだ?

三月は春。やわらかな陽射しが桜の蕾を膨らませ、リスやクマが冬眠から目覚め、埼玉だか栃木あたりから飛んできた(であろう)花粉が僕を苦しませる歓ばしい季節。そんな季節のイメージをもって『三月の雨』を聴いたっていいと思う。地勢的要因に逆らうなかれ。三月は、日本人の僕にとっては誰がなんと言おうが日本の三月でしかない。春はあけぼのである。表現の自由は感受の自由だ。

しかし、だから、ときどき、ブラジルのトムの三月を想ってみる。それは《夏の終わり》を告げる季節。そこには《道の終わり》があり、《夜》があり、《死》があり、《ひとりぼっち》がある。花粉症はなくても《三日熱》がある。そして《君の胸に宿る、新たな命の約束》が。

ミ、ド、ミ、ド、ミ、ミレドド……

これぞ究極のドレミの歌。ドは三月の雨のド、レは三月の雨のレ、ミは三月の雨のミ。

三月最後の雨降りの夜、家路をたどる僕の身体に、響いているのはもちろん……

(あらゆる音楽においてこれほど純粋に幸せな気分にさせてくれる演奏を僕は知らない。)

 É promessa de vida no teu coração
 ——君の胸に宿る、新たな命の約束

[ryotaro]

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