職探し
ふと、自分が無職であることを自覚し、高揚したかと思えば、急に落ち込んだりもする。
いずれも数秒から数分の短い時間だ。働かないでいられる浮き雲のような今の自由と、いずれ働かなくてはならない現実の狭間で、カタカタと気持ちが揺れる。
求人募集を見ていると、この世に仕事はいくらでもあるなぁと視界が明るくなる。しかしそこに、いくつかの条件を追加していくと選択肢が急に狭まり目の前が薄曇っていく。何だか画面がよく見えない。めがねめがね…。
そもそも、これまでと同業種を選ぶか(選べるの?)、まったく異なる職に就くか(今から?)、得意分野を継続するのか(できるの?そもそも本当に得意?)、未経験のジャンルに挑戦するのか(挑戦?は?)など、何も決めていない。何もかも決めかねている。
おそらく前職と同業種を選ぶのが現状では一番転職しやすく、これまでの経験も生かせるのだろうが、今はいまいちピンと来ない。
退職の時に、同僚に言われた「これからは、好きなことをやってほしい」という言葉にとてもわくわくした。何でもできるような気がした。
けれども、今、仕事にできる好きなことって何だろうと考えると、とても難しい。そして、好きなことを仕事にするという厳しさもとうにわかっているし、それが向いていないタイプであることも、薄々勘づいている。
ある程度の経験値はあるが、それゆえに自分の力量もわかっている。そしてこれから、どの程度の努力ならできそうで、どのラインを超えると限界なのかも見える。なまじ見えているから、見えないところに踏み込むのは勇気がいる。
働き盛りと呼ばれる世代なのかもしれない。でも、ものすごく頑張って働くのはもう嫌だ。少なくとも今はそんな気持ち。そこそこなら頑張れる。いや、報酬がとんでもない額ならがむしゃらに頑張れるのかな。いや、でもバランスが。まあまあ頑張って、まあまあな見返りがあればいい。
とにかくもう無茶はできないし、何よりしたくないのが本音。甘いかな。夢がないかな。でも、わたしの人生だし。苦しみながら働いたっていいことなんかひとつもない。
人生のための仕事であって、仕事のための人生ではないからね。と、人にはよく言うくせに、自分では長らく封じていた言葉。
とにかくどんな仕事を選んだとしても、納得できる条件を満たしているかどうかは大事だ。
逆に条件に納得せずに、何となくで飛び込むのは危険だ。前社がそうだったから、肝に銘じよう。
まあ、不惑になる前によくよく惑う時期なのかもしれない。仕事だけじゃなくて、色々なことを。なんて言いながら、40代、50代になろうとも余裕で惑っていそうだけど。人は惑いながら生き、惑いながら終えていくのだろう。生きるのも死ぬもの初めてだもの。
ああ、3年後はちょうど40歳だな。どんな場所でどんな仕事をしていても、楽しく生きていられたらいい。
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