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お金の無い医師達ー第2話

僕は救急対応を終え、医局へと戻った。

なんやかんやで、もう19時になっている。腹も減らない。

朝ぶりにトイレに行って用を足す。完全なまでに濃縮尿だ。脱水傾向。そういえば今日は水分をあまり取らなかった。医者の1日なんて、こんなもんだ。

医局の机に向かうと、いつも通りの赤木がいつも通りの汚い机に、座っていた。

「お!佐藤大先生じゃないですか!お疲れ様です!」

赤木がデカい声で話しかけてくる。ニヤニヤしていて少し気持ち悪い。

「やたらと機嫌が良さそうだけど、何かあったの?」

「よくぞ聞いてくださいました先生、僕の切丸製薬がストップ高になったんですよ!」

「あーそういえばニュースで見た気がする」

「いやー先生のおかげですよ本当、ありがたいです」

「で、いくら儲けたの?」

「最初に買った時と同じくらいの値段なんだけど、やけくそでナンピンしまくって、購入単価が下がってたから、今+8%くらいかな」

「おー、でいくら?」

「それは秘密ですよ先生」

「あっそう…」

スマートフォンが鳴った、知らない番号からだ。

「すまんちょっと電話だ」

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「はいもしもし佐藤です」

「お世話になっております、私株式会社サークルエッジの、田中と申します」

若い女性の声だ。

「田中さん、お世話になってます」

「お忙しい中大変恐縮ですが、お問い合わせ頂いた物件についてです」

「はい」

「あの後、問い合わせが殺到しまして、現在ポータルサイトの掲載はストップしております」

「はい」

「既に満額で買付が複数名入っておりますが、買付順ではなく融資内諾順で話を進める方針に、社内ではなっております」

「そうですよね」

「昨今の融資情勢を見ますに、先生のようなご属性の方ならば、今から買付頂いて、融資のスピード勝負に出られても、勝てる可能性があると思いますが、いかが致しましょうか?」

「そうですね、融資特約ありで満額買付を出します、ファックスで良いですか?」

「大丈夫です」

「では今からファックスします」

「お待ちしております、何かございましたらこの携帯番号にお電話下されば対応致します、田中と申します」

「はい、わかりました」

「よろしくお願い致します」

不動産の事をすっかり忘れていた。あの好条件の物件がポータルサイトに掲載されたら、そりゃ連絡が殺到するに違いない。

医者をやりながら、全く異なる畑で事業を拡大しようとすると、こういった脳の切り替えが必要になる。

たまについていけない時が、正直ある。

しかしながら、こういった負荷があるからこそ、参入障壁が生まれ、壁の向こうの果実が美味しく実ったまま放置されているわけだ。

この壁をよじ登った者だけが、果実を食す事ができる。

そう思いながら、僕はファックスを送った。

同時に、1棟目を融資してもらった銀行担当者に、取り急ぎ物件資料をメールで送った。

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医者をやりながら不動産投資をするにあたって、最も大変なのが、平日の日中に時間を作る事だ。

平日の日中に時間が取れなければ、銀行の新規開拓もできないので、やれる事が限られてくる。

あらかじめ有給を取れる時に取って、銀行や不動産業者との関係性を構築しておく事が、良物件の奪い合いつまりスピード勝負では、必須になる。

この銀行に断られた場合、別の銀行を開拓するに当たって休めそうな日を探し、メモをした。

「佐藤ー、終わった?」

赤木がイヤホンを外し、こちらを見てくる。

「うん、とりあえず終わった」

「これ、明日薬の説明会だから参加するようにって」

そう言って赤木は、紙を渡してきた。

「あれ?切丸製薬って、あの切丸製薬?」

僕はビックリして、赤木に尋ねた。

「みたいだね、やっぱり切丸製薬、キテるんじゃないのかー?これ」

赤木は親指を天に向かって立てて、上下に動かしている。アゲアゲって事だろうか。

「ジェネリックなんて、他社との競争になって利益率下がりそうだけどなあ」

「おいおい、俺が切丸製薬株で儲けたイヤミか?」

「いや単純に、競争の激しい業界でどうやってそんな成績上げてるのかなーって」

「そりゃお前、切丸製薬の営業力ってやつじゃないの」

「営業力ねえ…」

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以前、病院ではMRと呼ばれる製薬企業の営業が、大量に医者を待っていた。

医局の前で列をなして並び、薬の選択決定権を持つ部長クラスの医者に、営業をかける。

仮に湾岸セントラルのような大規模病院で採用されれば、製薬企業としては莫大な利益が上がるだろう。製薬企業側からすれば、多少無理に営業しても、お釣りがくる。

しかしながら、昨今はその「病院ー製薬企業連携」が社会から倫理的に問題視され、厳しく追求されるようになった。

当然と言えば、当然だ。

患者さんからすれば、安くてキチンと効果のある治療をしてくれるのに、越した事はない。

国からしても、製薬企業の営業力で競争させるのではなく、薬の質で競争させたいだろう。

逆に言えば、以前の「病院ー製薬企業連携」の構造は、国民や国から、医者や製薬企業が不当に利益を吸い上げていたと言っても、過言ではない。

確かにその構造は、糾弾されてしかるべきだ。

「まあとりあえず俺ら外科も、金本副院長から直々に参加するように言われてるわけだから、参加しといた方が良いんじゃないか」

「あの金本副院長が?にしても、薬の説明会なんて、今時珍しいね」

「な!ちょっと昔はさ、薬の説明会と言えば製薬会社がお弁当用意してくれて、それ食いながら聞いてたのに、最近はそれがバッシングされる傾向になって、薬の説明会なんてやらなくなったからな」

「そうだな、1個2〜3000円はしそうな、高級弁当ね」

「弁当が出るかどうかわからないけど、金本副院長が同期にも伝えておいてって言ってたから、とりあえず佐藤には伝えておくよ」

「じゃ、俺先帰るわ、お疲れー」

そう言って、赤木は昨日の合コンの格好に着替え、帰っていった。

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翌日、僕は循環器内科外来にいた。

「佐藤先生、饅頭食いながらで良いから聞いて欲しいんだけど」

中村先生が声をかけてきた。

「はい」

「急で申し訳ないんだけど、今日の夕方に切丸製薬の新薬説明会があるらしく、ヒマだったら参加して欲しくて」

「あー、外科の赤木から聞いてたんで、大丈夫ですよ」

「そうか、ゴメンね言うの忘れてて」

中村先生はそう言うと、バツが悪そうに饅頭を1つ、2つ、3つ…と僕の元へと積んでいく。

「先生、そんなお饅頭ばっかり食べてたら、血糖値上がるよ?」

松本さんが間に入って来る。

「大丈夫、松本さんの分もあるから…」

「私は大丈夫、それにしても中村先生、最近お饅頭やたらとくれるわねえ」

松本さんが目を細めて、中村先生を見つめる。

「私にはわかるのよ」

中村先生が、急にびっくりした顔で松本さんを見つめる。

「わかるって、何が…?」

「中村先生、あなた…浮気してるでしょ」

「え?」

「浮気相手と温泉に行って、その時についでにお饅頭買ってるんでしょ」

松本さんは腕を組んで、中村先生を問い詰める。

「えっ急にどうしたの、してないよ浮気なんて、全く松本さんヤダなあ」

「女の勘ってやつよ、院長の時だってそうだったんだから」

「院長の時?」

つい僕は口を滑らせてしまった。

「何だ佐藤先生、知らなかったの?」

松本さんがこちらを振り返って、聞いてくる。

「え、院長の赤羽先生って、昔循環器内科だったんですか?」

「違うわよ」

「じゃあ何?」

「私の元旦那よ、今は離婚しているけれどね」

「えーっ!!」

松本さんがシングルマザーなのは知っていたが、元旦那さんが院長の赤羽先生だったとは、全く知らなかった。

「佐藤先生、これは湾岸セントラル循環器内科の、超基礎知識だぞ!」

さっきまで松本さんに怯えていた中村先生が、急に僕を捲し立てる。

「知りませんでした…」

「ま、昔の男の話なんて朝からするもんじゃないし、饅頭も朝から食べるもんじゃないわ」

「そうですね、外来始めましょう…」

「佐藤くん、今日も頑張ってくれ!」

そう言って中村先生は、いつも通り僕の肩をバシバシ叩いた。


お金の無い医師達ー第3話へ続く。


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