お金の無い医師達ー第3話
仕事を終えた僕は、病院の大講義室へと向かった。
切丸製薬の、新薬説明会に参加するためだ。
会場に到着すると、まずは名簿に科と名前を記入する。
どの科の誰が参加したか、病院側が把握し、製薬企業側に把握させるためだろう。
これで例えば循環器内科だけ参加者が少なければ、循環器内科部長である中村先生が、肩身の狭い思いをする。
部下として、それは避けたい所だ。
「佐藤先生、本日は弊社の説明会参加ありがとうございます!」
元気の良い爽やかな声の方を向くと、爽やかな見た目の青年が立っていた。
「初めまして、切丸製薬の湾岸セントラル担当、宮崎と申します」
身長は僕と同じくらい、色白で口角がキュッと上がった、いかにも営業マンという感じの青年だ。
最近の若者が着る、細身でタイトなスーツに身を包み、髪の毛は短く切っていて、清潔感がある。
「初めまして、佐藤と申します」
「こちらが本日の資料ですので、お持ちください」
「何かご質問などございましたら、資料内部にある私のメールアドレスか電話番号に、ご連絡下さい」
そう言って宮崎は、切丸製薬の4文字が刻まれたクリアファイルに挟まれた資料を、両手で手渡ししてきた。
「席は自由になっております、前の方が空いておりますので、ぜひ前の方へお座り下さい」
これは僕の勘だが、彼はきっと慶応の文系辺りだと思う。
根拠はない、なんとなくだ。
彼の提案を採用し、僕は前の方の席に座った。
スマートフォンを開き、切丸製薬の株価をチェックした。今日は+5%程度に止まっているものの、月足で見て綺麗な上昇傾向が続いている。特別売却するような理由は、無さそうだ。
(きっと赤木はまたニヤニヤしてるんだろうなあ…)
そう思いながら、他のニュースを見ていると、定刻となった。
「えーそれでは時間になりましたので、説明会を始めさせていただきます」
爽やかな声が、広い大講義室に響き渡る。受付にいた" 多分慶応ボーイ "の、宮崎君だ。
「湾岸セントラル病院の皆様、本日はお忙しい中お集まり頂き、誠にありがとうございます」
「勉強会の開催にあたりまして、金本鉄雄副院長より、ご挨拶頂きたく存じます」
宮崎は金本副院長に、マイクを渡した。
「金本です。皆様本日はー」
宮崎の爽やかな声とは打って変わって、野太い声が響き渡る。
(金本副院長…また高そうな時計つけてるな…)
金本副院長。患者さんやスタッフから、あまり好かれているという話は聞かない。医者として優れているというよりは、人身掌握に長けている、政治家タイプだと聞く。
身長は180cmはあるし、色黒で、恰幅が良い。時計は決まって高級時計で、コロコロ変わる。今回はオーデマピゲのロイヤルオークだ。
(副院長になれば、高級時計を買うくらいのお金は、入ってくるもんなのだろうか…)
前回はロレックスのデイトナだった。どちらもそれなりの車を1台買えてしまうくらいの値段だ。
これらの時計を買えるくらい、経済的に成功するには、僕の場合は不動産を頑張るしかない。
医者をどれだけ頑張っても、金銭的なメリットとしては跳ね返ってこない。
であれば、努力が金銭的なメリットとして跳ね返ってくる、不動産に力をいれて、いつか僕もロイヤルオークを買えるくらいに、なりたいものだ。
そのためには、2棟目のあの物件を、何としても手に入れなければ。
「金本副院長、ありがとうございました」
爽やかな宮崎の声がこだまする。
「佐藤お疲れー、そこ空いてる?」
赤木が隣に座る。僕はまだ何も言っていない。
「クッキー食う?」
そう言って大量のクッキーを、僕に渡してきた。
「もらうわ、サンキュー」
「弁当の出ない製薬会社の説明なんて、腹減って聞いてらんないだろ?」
「確かに腹は減るよな、どうしたのこれ」
「んー、なんか最近外来にやたらとクッキーが置いてあるんだよ、よくわかんないけど」
「へー」
病院では、人事異動がある春に、一気に流通するお菓子の量が増える。
特に3月は、ホワイトデーも合間って、病院内がお菓子だらけになる時期なのだ。
「クッキーだけだと喉が渇くからお茶が欲しいな」
「お前絶対そう言うと思って、持ってきたよ、はいお茶」
「えっ!赤木、お前…どうしたんだよ…」
「ん、医局に落ちてたお茶、テキトーにかっぱらってきた」
「まあ何でもいいよ、おっ、そろそろ始まる」
一応ペットボトルの蓋を開けてからニオイを確かめて、少しずつ飲み始めた。
しばらく経って、銀行の担当者から融資内諾が出たと連絡が入った。
念の為、現地を見に行ったが、何ら問題はなかった。
境界はキチンと打たれてあって、基礎のクラックはほとんどない。ヘアークラック程度だ。
外壁はタイル貼りで、つなぎ目のコーキングが少し劣化しているが、まだ問題ない。数年後にコーキングと、屋根の防水を同時にやってしまえば良いだろう。
満室なので内部は見ることができないが、雨漏りの報告も無く、現入居者の家賃滞納も無い。これは是非、欲しい物件だ。
仕事を終え医局に戻り、夕方すぐに株式会社サークルエッジ、田中さんに電話をした。
「もしもしお世話になっております、湾岸セントラル病院の佐藤と申します、田中様の携帯でしょうか?」
「佐藤先生、お世話になっております」
「先日、融資の内諾が得られましたので、ぜひ購入へと動きたいのですが」
「そうですか!今のところ先生が1番手ですので、このまま進めたいと思います」
「ありがとうございます!」
人生で初めて、声を押し殺してガッツポーズをした。
「付きましては、重要事項説明を行いたいので、空いている日程がございましたら1度お会いできればなと思います」
「了解です、今週末の土曜日でしたら1日空いてます」
「今週末の土曜日ですね…大丈夫です、場所はどちらにしましょう?差し支えなければ病院まで伺いますが」
「お願いします、では湾岸セントラル病院の、医局にお越しいただけますか、部屋は個室を抑えておきますので」
「承知致しました、ではよろしくお願い致します」
「はいお願いします、失礼します」
よし、これで2棟目が手に入る。
(僕も高級時計に一歩、近づいたかもしれないな…)
そう思いながら、ついオーデマピゲのホームページを見てしまう。ロイヤルオークの無骨な感じ、それでいて漂う高級感。
男なら経済的に成功して、高級時計を1度は身につけてみたい。金本副院長のように。
「先生、それカッコ良い時計ですねえ」
振り返ると、赤羽院長が後ろに立っていた。
「買うんですか?」
自然と目が合う。
なぜだろうか、別に悪いことをしたわけではないのに、少し緊張してしまう。
(普段は医局になんて絶対にいない院長が、なぜ…?)
「赤羽先生、いえこれはまあ、見ているだけです、欲しいなーって…」
「そうですか、高そうですもんねえ」
「高いです、数百万はします」
「そんな高いのですか!悪い事でもしてお金を貰わないと、単なる勤務医では到底買えませんね」
そう言いながら、赤羽院長は手に持った饅頭を食べている。
「佐藤先生も、饅頭食べますか?」
「いえ、最近外来に饅頭がなぜか多く置いてあって、十分です」
「ほお…」
「じゃあ柏餅は?」
「あ、頂きます」
僕に柏餅を手渡すと、赤羽院長はポケットからクッキーを取り出し、口に放り込んだ。
(饅頭、柏餅、クッキー…バラエティがスゴいな…)
「この時期はお菓子が多いですが」
クッキーをバリバリ噛みながら、赤羽院長が続ける。
「今年はやたらと多いですねえ、そう思いませんか?」
「まあ確かにそうかもしれませんね、異動する人の数が多いんでしょうか」
「なのですかねえ、私院長なのですが、全職種の異動までは把握していないものでして」
「あはは…」
「まあ、健康には気をつけて、これからもお仕事頑張って下さいね」
「はい」
「お饅頭、あまり食べ過ぎは良く無いですよ」
と、クッキーを食べながら、どこかに行ってしまった。
翌日、僕は早朝から循環器内科外来にいた。
ここ最近、不動産の2棟目の件で忙しく、仕事が溜まっていた。
朝早起きして、病院でサッと仕事を済ませてしまうのが、僕のスタイルだ。勤務終了後の疲れた体と脳でやると、効率が悪い。
外来に到着すると、循環器内科の外来だけ電気がついたままになっていた。
昨日消し忘れたのだろう、そのまま自分の外来部屋へと向かう。
すると、何やらゴソゴソと物音が聞こえてくる。
誰かが、いる。
音のする方へ近づいてみる。何やらビニールがこすれるような、乾いたパリパリした音がする。
音は中村先生の外来部屋から聞こえる。
覗いてみると、私服の松本さんがいた。
赤羽院長の元奥さんで、ベテラン看護師の松本さんが、何かを漁っている。
「松本さん、おはようございます」
恐る恐る声をかけてみる。
「えっ!?あ、先生…」
驚いた顔をしてこちらを見て、乱れた髪の毛をかきあげ整えている。
「先生おはよう、びっくりした〜」
「びっくりしたのはこっちですよ、こんな朝っぱらからスゴい形相で何やってるんですか」
松本さんの手元には、お菓子の袋と箱が散乱していた。
「あ、これはね、えっと…お饅頭よ、今日の分のお饅頭を分けて、外来部屋ごと置いておこうと思って」
「そうですか、ありがたいですけど、別に早朝にやる必要ないと思いますよ」
「そうよね…」
「それに、ここ中村先生の外来部屋ですし、散らかすと怒られますよ」
「そうね、うん…」
そう言うと、松本さんは散らかった饅頭を片付け始めた。
(松本さん、何かを探しているようだったけど、何を探していたんだろう…?)
(しかも中村先生の部屋で、一体何を…?)
(いつもの松本さんと違って、あまり余裕のなさそうな、焦っている感じだったけど…)
饅頭を片付け終えると、松本さんは「着替えてくる」と言って、更衣室の方に消えていった。
外来を終え、遅い昼食を食べようと、僕は食堂に向かった。
時間は15時、流石に誰もいない。
僕はいつものように、スマホで漫画を読みながら、豚の生姜焼きを食べていた。
「佐藤先生、俺らも良い?」
中村先生が、いつもの軽い感じで話しかけてくれる。
「はい、どうぞどうぞ」
中村先生の横には、クマのような大きな影。金本副院長だ。
「金本先生も一緒だけど」
「はい、構いませんよ」
金本副院長。近くで見ると、とても医者には見えない。
浅黒く焼けた肌、大きな体、腕には金色のロイヤルオーク。まるで不動産屋の社長みたいだ。
「金本先生、お世話になってます循環器内科の佐藤です」
「佐藤君ね、中村先生から聞いてるよ、頑張ってるんだってね」
「はい、ありがとうございます」
金本先生の左腕に、つい目がいってしまう。
「金本先生、カッコ良い時計ですね」
「ん?ああこれか、良いだろ」
「オーデマピゲのロイヤルオークですよね?」
「正解、先生時計詳しいのか?」
「いえそれほどでもありません、ロイヤルオークをかろうじて知っているくらいです」
「そうか」
金本先生が、ニヤリと笑った。白い歯が見える。歯が白いのか、肌が黒いから白く見えるのか、わからない。
「佐藤先生、金本先生は次期院長候補だから、今のうちに仲良くしておくと良いぞ」
「中村先生、滅多な事を言うもんじゃないよ」
そう言いながら、金本先生は大盛りのカツカレーを食べ始めている。
「でも先生、実際赤羽先生の任期も、あと1年ですし、再来年には先生が院長になってるんじゃないですか」
「どうかなあ、僕は人気がないからな」
どんどんカツカレーが、消えていく。ますます熊っぽい。
「仮に俺が院長になったとして、たった1つだけやりたい事があるんだ、佐藤先生なんだと思う?」
「えっ、何でしょう、科をまたいだ臨床研究とかですか?」
「それも面白いかもな」
カツカレーが消えた。ものの5分だ。もはや人ではない何かに見えてきた。
「でもね、俺がやりたいのはね、医者の給料を底上げする事なんだよ」
「えっ給料あげてくれるんですか」
「そう、俺ら勤務医はさ、ひたすら働いて、それでも人よりは少し良い給料がもらえるくらいだろ?」
「そうですね」
「俺が院長になったらね、みんながコイツを買えるくらい、給料を上げてやりたいんだよ」
金本副院長はそう言うと、左腕を突き出し、金色に光るロイヤルオークを見せた。
「それは嬉しいですね!僕もそれ欲しいですよ」
「そうだろ?毎日頑張っているんだ、これくらいのご褒美があっても許されるだろう」
金本院長は中村先生の肩に手を乗せ、こう続けた。
「中村先生も、お子さんが2人とも私立の医学部に合格して、学費が大変なんだそうだ」
「そうだったんですね…」
いつもは快活な中村先生も、金本先生の前では少し萎縮気味だ。
「俺が院長になったらな、湾岸セントラル病院を、医者にとって経済的にもメリットの大きい病院にして、腕の良い医者を全国から集めて、日本一の病院にするんだ」
そう言うと、中村先生の肩をバシンバシンと叩いた。
「佐藤先生のような若い先生と、こうしてゆっくり話す事もそう無い、これからも是非よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
そう言うと、金本先生と中村先生は立ち上がり、何やら話ながら、食堂の外へと消えていった。
夕方、僕は医局に戻り、コンビニで買ってきたコーヒーを飲み始めた。
最近のコンビニのコーヒーは、本当に美味い。ありがたい事だ。
しかし、今日は変な1日だった。
朝外来に行ってみれば、松本さんが何かを漁っていた。一体あれは何だったのだろう。重要な何かを探そうとしているように見えたのだが…。そしてそれを、僕に隠しているようにも感じた。
僕に隠したい何かを、探したい、という事になる。
そして、昼間の中村先生。金本先生のようなタイプの人と、積極的に絡むタイプでは、断じて無い。あの2人には何か特別な結び付きが、あると言えるだろう。
にしても、中村先生がお金に困っていたなんて、気がつかなかった。松本さんの読み通り、実は浮気して女に使い込んで金が無い、とか。いや、中村先生に限ってそれは無いな。そういうタイプでは断じて無い。
僕が悩みに悩んでいると、赤木がやってきた。
「なあ赤木、ちょっと聞いてくれるか」
いつもと違う雰囲気を察知したのか、真面目な顔をして赤木はこう言った。
「どうした、もしかして…性病にでもなったのか?出そうか?ジスロマック…」
「いや、違う」
いつもの赤木に安心感を覚えながらも、今日の出来事を赤木に話した。
「うーん」
赤城は腕を組み、目を閉じた。
「まず、松本さんの件は情報が少な過ぎて、佐藤の推測の域を出ないから、とりあえず黙っておこう」
「そうだな、俺もそれが良いと思う」
「次に、中村先生と金本先生の件だが…実は最近、金本先生はウチの外科部長とも仲が良いんだ」
「そうなの!?」
「うん、元々外科部長と金本副院長は仲が良いんだけど、最近はさらに拍車がかかっている感じがするよ、外科外来に結構いるよ2人で」
「ほー…」
僕は少し考えた。
金本先生の何が、他の部長クラスにそうさせているのかはわからないけれど、これは何かがありそうだ。
「まあ、単純に仲が良いだけっていったら、それまでだけどな」
赤城は手に持っていたお茶を飲み、サンドウィッチを食べ始めた。
お金の無い医師達ー第4話へ続く。
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