ありがとうの夏。
2020年夏。
今年は、私 にとって、凄く大切な夏でした。
時を遡ること18年前。
私はど田舎の離島の女子中学生でした。
その年に放送されたドラマで、とあるアイドルの卵の男の子を知ります。
名前は内博貴。当時関西ジャニーズJr.に所属していました。
その頃の私は、小学生の頃にジャニーズJr.黄金期を迎え、女の子のアイドルグループが好きだったはずの周囲の同級生たちが、ジャニーズに鞍替えしていく様子を見て、流行りに流されるその同級生たちに「なんで?」という気持ちでいっぱいでした。
流行っているからと、自分が好きだったものをかんたんになかったことにする周囲への疑問でいっぱいだった私は、勝手にジャニーズに対して「私は絶対好きにならない!」という対抗意識を持っていました。
そう思っていたのに、その対象が気になりはじめたんです。
ドラマの役柄が気に入っただけだと思っていたのですが、「気になる」という気持ちは、翌年の別ドラマでも、新しく結成されたユニットでデビューした姿を見ても、変わるどころかますます大きくなっていたのでした。
そう、私はNEWSのデビューをキッカケに所謂「ジャニヲタ」となったのです。
オタクという生き物は、とにかく応援している対象のことを知りたい生き物だと思います。
私は早速アイドル誌を買い漁り、彼が関西で別のユニットに所属していることも知りました。
それが“関ジャニ8”。
私の人生の基礎はこの人たちで出来ていると思っています。
初めて見た彼らの記事は、松竹座でのクリパの記事でした(勿論今でもしっかり保存しています!)
そこから、“松竹座”という場所は、九州の離島に住む女子中学生の、“いつか行ってみたい憧れの場所”でした。
“松竹座に立つ関ジャニ8を観に行く!”というのが、夢になりました。
そして、そこからなんやかんや紆余曲折ありまして。本当に本当に色々ありましたが、そこを書くといつまで経っても書き終えることができないので割愛。
田舎娘は進学を機に大阪で一人暮らしを始めます。
大阪の学校に決めた理由は言わずもがな、関ジャニ8が好きだから。
しかし、私が夢見たあの日から、月日は流れてしまい、私が自分で松竹座へ行けるようになった頃には、私をこの世界へと誘ってくれた内くんは芸能活動休止。関ジャニ8は7人で活動の拠点を東京へと移していました。
関ジャニ8が卒業してしまった松竹座。
そんな松竹座での公演を引き継いでくれていたのが、関西ジャニーズJr.でした。
2009年の夏。松竹座での舞台「Tough Weed 光の射すほうへ…」の原作を横山裕くんが担当すると聞き、行ってみよう!と、松竹座の窓口でチケットを買いました。
中学生の頃から憧れていた場所。
その場所に、やっと行くことができたのです。
出演していたのは、現在のジャニーズWESTのメンバーです。
当時は別々のユニットでした。
元々関ジャニ8のバックを長くしていたメンバーもいるので、関西ジャニーズJr.もまた好きの対象だったのですが。
この夏を機に、私は関西ジャニーズJr.のコンサートにも足を運ぶようになりました。
その中で、ひとりのJr.を知ります。
もう芸能界を辞めているのでSくんとしますが、このSくんを応援するため、夏と冬にずっと憧れていた松竹座へ”通う”日々になりました。
期間だと、3年間という短い時間だったんですが、この3年間はとにかく濃くて一生モノの3年間でした。学生時代より青春だったと思います。
当時の関西ジャニーズ内にはたくさんユニットがあって、B.A.D、BOYS、Veteran、7WESTの4グループが中心となっていました。
バルコニーと花道横という、松竹座独自の座席になることを夢見ていましたが、基本はいつも2階席か3階席か1階席後方。
1階席後方で入ったときに、見学にきた丸山くんを見てはしゃいだ日もありました。懐かしい。
本当に、どんな小さな思い出も、ひとつひとつキレイな宝石のように煌めいていて、大切で、抱きしめると心があったかくなる、そんな宝物の思い出。
きっと、これから生きていく中で、何かつらいことや大変なことに直面したとき、私はこの時のキラキラした思い出を何度も思い返していくんだろうなぁと思うほど、大切な思い出です。
しかし、幸せな時間を続けることはできませんでした。
Sくんは事務所を退所、芸能界も辞めてしまいました。
そのあと、私は松竹座へ行かなくなりました。
Sくんのいない状況を目にするのが怖くて、コンサートへ行くこともなくなり、そのまま長かったジャニヲタ生活から卒業しました。
そこからこの夏までの私は、ずっと亡霊でした。
今も仲良くしてもらっているジャニヲタのお友達もいるので、おそらく一般の人よりは何をしてるのか把握しているけど、音楽番組を見るわけではないので、リリースしている曲は一般の人より知らない、というよくわからない状態でした。
時々昔を懐かしんでは、キレイな思い出を掬い上げて、また大切に仕舞ってを繰り返していました。
何も変わらない。時も進まない。
ただ私だけがずっとあの場所に取り残されている。
そんな亡霊のような私の時計の針が進み始めたのが、今年の夏でした。
コロナ禍で、相次いでイベントが中止になる中、発表された関西ジャニーズが揃っての無観客ライブ配信。
そして、松竹座での各ユニットの無観客ライブ配信。
関ジャニ∞も、ジャニーズWESTも、関西ジャニーズJr.も、嫌いになってファンを辞めたわけではないですし、コンサート自体も好きだったので、またあの場に行ければいいなぁという気持ちはずっとありました。
直接会場には行けないけれど。
オンライン配信ならば…と、スタートの7月28日を心待ちにしていました。
それまでに、今の関西ジャニーズJr.の主要メンバーだけでも把握しておかねば!と、レギュラー番組を見たり、事前準備はしておきました。
特に私が卒業するあたりに在籍していたメンバーが多いなにわ男子とAぇ!groupには親近感があったので、すぐにメンバーも把握できました。
気付けば私がジャニヲタを卒業してから8年ほど経っていたので、あの時小さかった子たちが成長して、中心メンバーとなってもっと小さい子たちを引っ張っている姿を見て、「ああ、この子たちが一歩一歩成長していく姿も見届けられたらよかったのにな」という気持ちと、「あの時見ていたものを引き継いでくれている子たちがいる」という喜びで、胸がいっぱいになりました。
今の彼らを見なければ、と思い、今に目を向けたこの夏、あの頃小さかった子たちがお兄さんになって、あの時はこうだったのに、今はこんなことができるようになってるんだ!と、新鮮さと懐かしさと両方感じて、不思議だけど居心地がいい、そんな時間を過ごしました。
成長だけではなくて、Lilかんさいに至っては、一人だけ名前はどこかで見て印象に残っていた…というくらいの知識で、私にとっては、顔も名前も分からない状態の子ばかりだったんですが、彼らを見ている中で、新しい色を見せてもらったり、「ああ、私がみていなかった間にも、時間は進んで、でもずっと続いて引き継いで大事にしてくれているものもあるんだな…」と感じることができました。
それは、初めて松竹座に行ったあの夏、関ジャニ8から関西ジャニーズJr.へと引き継がれたバトンを受け取った、7WESTにはじめて出会った時の感覚に近かったです。
新しい色と、引き継がれていく伝統。
直接バックについていなくても、それはまたバトンを受け取った後輩たちからさらにその後輩たちへと、脈々と繋がっていく…
そう考えると、それだけでもう今この時にJr.として活動してくれているみんなが愛しくなって。
728の日の関西ジャニーズでの配信。
思い描いていた形では叶わなかったけれど、人生の目標としていた、松竹座に立つ関ジャニ∞の配信。
通い詰めた思い出の地に立つ、私の人生の大切な宝物を一緒に作ってくれたジャニーズWESTの配信。
時計の針を止めたままの私とは正反対に、ずっと進み続けて、受け取ったバトンを守りながら新しい色へと染めている関西ジャニーズJr.の配信。
観れるだけ観よう!と心に決め、シフト調整などを行った結果、全公演観ることができました。
本当に、とても長い期間の間に生まれた、様々な種類の自分自身の気持ちをたくさん昇華させることができたこの夏。
あの日から変わらないでいてくれていること。
あの日から変わってしまった悲しいところ。
あの日よりもっとうまくできるようになったこと。
あの日よりずっと遠くに来てしまったこと。
その全部に感謝して…
中学生だった私からも、20歳の頃の私からも、30歳になった私からも。