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記憶を操作するSF映画「トータルリコール」の世界が接近中?

「トータルリコール」って、どんな映画?

制作された年代、ジャンル、撮影方式、時間長

年代:1990年
分野:SFミステリー&サバイバルアクション
撮影:テクニカラー
時間:1時間53分

物語をひとことで言うと

消された記憶を取り戻した男が、火星に行って本来の自分として活躍するお話。

ダグラス・クエイド(アーノルド・シュワルツネッガー)は地球で、妻(シャロン・ストーン)と平凡に暮らしていた。彼は広告を見て興味を持ったリコール社のバーチャルツアーに参加、以前から気になっていた火星の旅に向かう。しかし、記憶操作で異常事態が発生、ツアーは中止される。
その体験をきっかけにクエイドの身に覚えが無い事態が次々に起こり、やがて彼は思いもよらない人物からメッセージを受け取る。クエイドは謎を追って火星に向かう事になった。

なぜリメーク品に気持ちが向かないのか

自分にとって最初に見た印象や記憶は重い。高齢化とともに短期記憶より長期記憶が優先されるから仕方が無い。それだけだろうか?

「トータルリコール」というと1990年版に気持ちが流れてしまう。
なんと言ってもキャスト。アーノルド・シュワルツネッガーとシャロン・ストーン。この2人を代替できるスターなんているだろうか?1990年版の印象が強すぎて、リメーク品をトレーラーで覗いただけで違和感を感じ、見たい気持ちにはならなかった。

下はStudioCanalシネマクラブ、1990年版のオフィシャルトレーラー

今から32年前の作品、道具立ての古さは何ともならないのだが、演出・キャストとストーリー展開が良すぎて没入してしまう。原作はフィリップ・ディックで素材は最高だし、そこに充分すぎる補強をした作品。

リメーク品は、トレーラーをチラ見した限りマトリックス模倣的なアクションCGで、見て疲れそうだった。別にすごいCGを見たいわけではない。中身を見たい。

改めて1990年版作品を見たのだが、自分の頭に定着した初期の記憶、特に若い時代の記憶の重さ、その背景を改めて認識。「三つ子の魂百まで」は永遠の真実だと思う。

初期記憶の書き換え

その昔の記憶がもし偽物だったら、書き換えられていたら、というのが、この作品の重要なコンセプト。

スマホのDualSimのように、記憶Aと記憶Bを自由に使い分けられるのではなく、記憶Aであった自分が、記憶Bに完全に書き換えられてしまう。外見は記憶Aの時の自分のまま。

自分の意思で記憶Aに戻る事はできず、記憶を戻す(または書き換える)にはCTのお化けのような装置に固定され、拷問を受けるような処理を受ける。書き換えが失敗する場合もあるかもしれない。何しろ、可塑性の高い大脳を直接人為的に操作する。想像するだけで気味が悪い。

人体の電子化と記憶

この映画公開から32年、技術は大幅に進化している。大脳を直接操作しなくても記憶を書き換えることが可能かもしれない。

何らかの記憶を元にした人工的な知性であるAIという言葉は至るところに普及している。自分が死んでも、自分の記憶が加工されて永遠に生き残る。そういう世の中になったらうれしいだろうか?

そういう未来を夢見て研究を続ける多くの人たちがいる現在。油断できない未来が迫っているかもしれない。犬や猫に電子チップを埋め込む事が義務化されたのだが、何もかも疑いの目で見る私には、人間に埋め込む準備かもという妄想が噴き出している。ああ恐ろしい。

下は生物への電子チップ埋め込みに関する情報例。

https://www.bbc.com/japanese/53962885

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-61076964

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01692/00004/

電子チップが記憶を操作したら?が私の妄想。意思と関係なく記憶が歩き出したら自分を守れない。記憶は人の人生のすべて。記憶が埋め込まれたら、もうどこにも脱出できない。

女性が虫を嫌うのは記憶のため?

女性は一般的・総論的に虫が嫌いらしい。これは本能、それとも記憶?

男から見ると、嫌ったり避けたり対策する様子がやや異常に思えるほど徹底している。男と女が同じ空間にいて、どちらが虫に刺されるか?というと、残念ながら女性に軍配が上がる気がする。

虫にとってどちらが美味しいかという事が理由なら慰めようがなく、刺される頻度から女性は防御本能が高いのだと私は思っていた。

しかし全然違う説もあるらしい。遙か昔の、虫に関する恐ろしい記憶を未だに女性は持っていて忌避しているかも知れないという説だ。つまり、先祖が受けた恐怖の記憶が遺伝。

どんな恐怖かというと、はるか昔、虫はもっと巨大だった。人間は弱い立場で虫に食べられていた。その恐ろしい記憶が今に続いているという説。とんでも説かもしれないが、記憶には解明されていない領域が多く、人間が思いつきで商業的に簡単に操作してはいけない気がする。

記憶の移植研究も:https://www.bbc.com/japanese/44119676

組織が守ろうとしたもの

この映画の主人公が罠にはまったきっかけは、実は資源の秘密を守る悪の組織の謀略にあった。記憶を操作してまで守りたい秘密とは何だったのか。

不毛の天体、火星。そこで人間が生存するために必要な資源を独占している組織がいて、そのパワーで火星を支配していた。有限な資源を支配するものが世界を支配する。

もし資源が無限だったら?が、この作品の底流にある。この考え方を地球に置き換えて見ると面白い。私たちが希少価値だと信じているものが、すべて無限に存在し、流通量を制御されているだけだったとしたら?

自分が持っている何かの価値はなくなるかもしれないが、資源不足におびえたり法外な費用を払う必要はなくなる。

地球外生命体はなぜか不気味

謀略解決の糸口は地球外生命体が提供する。アメリカ系SF作品に出てくる地球外生命体って、どうしてみんな不気味なんだろう。私には「ET」、「未知との遭遇」の宇宙人は不気味。

あえて人間の姿を選ばず、気味の悪い造形ばかり出してくるように思える。その方がインパクトがあるのだとは思うが、爬虫類とかミュータントを目の前で見たら倒れそうだ。ただ、この作品に登場するミュータントには可哀想な側面がある。明日は我が子孫の身かもしれない。

昔、宇宙ものには夢が溢れていた。気味の悪い生物は数多く登場したが、そのほとんどは人類の敵か悪役だった。最近は人類の味方も薄気味悪い。どうせならウルトラマンのように、生物どろどろ的な姿ではないクリーンな宇宙人の方が安心できる。

どろどろは地球の上だけで充分。

キャスト、監督、スタッフ、制作会社

出演:アーノルド・シュワルツネッガー、ロニー・コックス、シャロン・ストーン(「氷の微笑」の)

監督:ポール・バーホーベン(「氷の微笑」、「ロボコップ」の)
原作:フィリップ・K・ディック(「ブレード・ランナー」の原作者)
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
制作:STUDIOCANAL
配給:トライスターピクチャーズ