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黒澤明の映画をもとめてアメリカへ

黒澤明作品を手に入れたい!

次の記事で「七人の侍」について触れたのだが、実は、「七人の侍」をじっくり見るまでには色々な苦労があった。

一時的に日本では黒澤明の作品が見れない時期があった。どこにも黒澤明の作品が無かった。

1980年代、映画作品を家で見る主な手段はレンタルビデオだった。VHSビデオのパッケージをレンタルできる店があちこちにあり、代表格はTSUTAYAだったが、確か<町のビデオ屋さん>の方が数が多かった。DVDが普及する前だったのだが、どこに行っても黒澤作品(だけ)が無かった。

理由として考えられたのが、黒澤明がビデオ化を拒んでいるという噂だった。当時のビデオではオリジナルの映画品質が出せないという事らしい。この噂が本当なのかどうかは今もって不明なのだが、いかにもありそうな理由ではあった。

今なら4Kデジタルリマスターとか、高画質でのリマスタリングも可能であるので許可が出たかもしれない。しかし、黒澤明的には自作の上映は映画館でのみOK、面発光する異常な物体(テレビのこと)で鑑賞させるのはものすごく嫌いそうな気がした。

なぜスクリーンでの上映なのか?

スクリーンに映写しない事が何を意味するのかは後年知った。映画現像所の技師さんとお話する機会があり、彼は黒澤作品を担当した事があるとの事だった。スクリーンでの上映とテレビ画面の違いを比較したい。

まず第1に、映画館での映写は反射光を見る。テレビは自分が発光する。つまり色が違う。特に黒が違う。映画館の黒は光の無い状態であるが、テレビの黒はそうではない。黒い部分も光っている。

次に、上映される映画フィルムは、ネガで撮影されたフィルムをポジに変換し、ポジフィルムを上映に使う。問題は、変換する際に監督が色味を指定している場合があるという。つまり、昔の作品のネガから、新たにポジに変換したとしても、その仕上がりは監督の意図とは違う可能性があるという事らしい。

絶対に映画館でしか上映させたくない。この2点からだけでも意図は明白。オリジナリティの担保。

それでも黒澤明の作品を見たい

私は深く悩んでいた。名画座の衰退が進み黒澤作品も頻繁には上映されない。上記が正しければテレビでの上映など望むべくもない。レンタルビデオ屋になければビデオパッケージも販売されていない。。

この状況が何年位あったのかは不確かなのだが、とにかく一定期間、日本で黒澤作品に接する機会が無かった。当時はバブル経済期、往年の日本映画、しか白黒作品を見たいなどと思うのはごく少数派。でも、私は何としてでも見たかった。面発光など、どうでも良かった。見る事を優先したかった。


そして、ついに手に入れたのが下の「七人の侍」のビデオパッケージ。見ての通り日本製ではない。アメリカからの<直輸入>。「七人の侍」とは思えない写真が使われ、アメリカ人が好きそうな日本人像が前面に出ている。

で、これを一体どうやって手に入れたのかだが、当時はまだ海外製品をネット経由で簡単に買える時代ではなかった。

アメリカで入手してもらった「七人の侍」のビデオパッケージ
現物がなく、昔撮ったピンボケ写真しか残っていない

アメリカに行く友人に依頼

友人がアメリカ、西海岸方面に旅行に行くという。
「何か買ってこようか?お土産何が良い」という絶好の機会に私は興奮、
「黒澤明のビデオを買ってきてほしい」と言った。

「七人の侍」と指定したのではなく、いくつか候補を挙げたはず。アメリカでは黒澤明は尊敬されている。西海岸にはハリウッドがある。だからファンも多くビデオも販売されている可能性が高い。とにかく日本よりは手に入りやすいかもしれない!と勢いで頼んだ。

友人は映画に詳しくなく趣味も違ったのでポカンとした。何それ?という反応だった。それがどんなに大変な事なのか、頼んだ私にも、相手にも想像がつかなかった。

大変な事なら頼まない。大変だという意識がなく易々と手に入ると想像し、相手も楽観的な人間なので気軽に応じてくれたのだった。そして彼はアメリカに旅立った。

期待通りの収穫に感謝

彼は無事にアメリカから帰国。お土産を2つ手にしていた。1つはTシャツ、もう一つは上に掲載した2本セットのビデオテープだった。その時の感動は表現できない。本当に手に入れてくれた!

ものすごく大変だったらしい。どこにあるのか見当も付かない。どんな店にあるのか想像できない。日本とは勝手が違う。最終的にレンタルビデオ屋で発見したそうで、レンタルオンリーなのを交渉して無理やり売ってもらったという。

彼は英語が得意ではなかった。どうやって交渉したんだろう。その詳細は聞いていないのだが、その内改めて聞いてみようかと思う。

NTSCとPALを説明していなかったが・・

幸いなことにアメリカのビデオ信号の記録フォーマット(信号フォーマットが地域ごとに違った)は日本と同じNTSCであったので無事再生できた。画質はあまり良くなかったが、念願の黒澤作品を見ることができ私は大満足だった。

何という無謀な依頼。若さ故の無茶な発想。彼が、そのためにどれほどの時間と労力をかけたのかを想像すると今でも心が痛む。自分だったら諦めていたかもしれないが、彼はやり遂げてくれた。何て良い奴と改めて思う。その恩返しは今も細々と続けている。

とても残念な事に、このテープは残っていない。保管が悪かったせいか、ある日、保存場所から出してみるとテープ全体に分厚く白カビが生えてしまっていたのである。その後は別の手段も出来、何よりビデオデッキが壊れてしまったので、テープに別れを告げることになった。

黒澤LOSSの時代は本で過ごす

黒澤明ロスの時代、それ以後も含め、黒澤明関係の本で空虚感を癒やす事も多かったし、かつて「隠し砦の三悪人」を見た後にシナリオを採録したのだが、そのノートを見て思いをはせる事もあった。

1980年頃、「影武者」制作にあたり、役者を一般からもとめる新聞広告が載った事があり、この頃が黒澤明ブームの第何次かのブーム期であったと思う。

その空気感が残っている頃、作品を手軽に見られる環境が少なかった事が私の心に火を付けたのだろう。とにかく無茶をしてもらった友人に感謝するばかり。

1986年刊
この文庫版は2001年版