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絶望からの逃避「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」と「ベニスに死す」

絶望から逃避するとき人はどんな行動を取るのだろうか?とても大事な家族を失った場合。この二作品は、そんな状況に陥った人の極端な物語となっている。

「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」と「ベニスに死す」って、どんな映画?

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
年代:1994年
分野:オカルト大河ドラマ
撮影:カラー
時間:2時間3分

物語をひとことで言うと
家族を失った悲しみから逃れるためにヴァンパイアとなった若い男の物語

現代のホテルの一室。インタビューアは、自分がヴァンパイアだという青年の話を聞き始める。
当初は疑問を持ちながら聞き始めた彼だったが、その青年ルイ(ブラッド・ピット)の顔を見て衝撃を受け、彼が語る遙か昔の南部アメリカで起こった事に引き込まれていく。
ヴァンパイアとなったきっかけは家族の喪失。それを乗り越えられないでいる時、彼の心の隙間にヴァンパイアがやってきた。

ベニスに死す
年代:1971年
分野:バイセクシャル的文芸古典ドラマ
撮影:カラー
時間:2時間11分

物語をひとことで言うと
家族を失った悲しみを、美の追求に向けて堕ちていく高齢男性の物語

老齢期に入った音楽家のアッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は体調を崩し、静養のためドイツからイタリアのベニスにやってくる。
気難しいアッシェンバッハにイタリアの地は馴染まないが、宿泊先のホテルでたまたま目にした宿泊者の一人、貴族的少年の美しさに目を奪われる。

未完となっている芸術論争の答えを探るかのように、アッシェンバッハは美少年をストーカーのようにつけ回す。静養の地としてなぜか選んだ暑い時期のベニスと風土病は、次第に彼の心身を蝕んでいく。

絶望からの逃避

この全く異なるニ作品を並べてみようと考えたのは共通項が見えたためだ。絶望から逃避しようとした主人公が貴族的という点。

「インタビュー・ウィズ・バンパイヤ」の主人公はフランスから移民してきた(先祖を持つ?)南部アメリカの若き農場主。「ベニスに死す」の主人公は高名な作曲家(グスタフ・マーラーと原作者のトーマス・マン自身がモデルとされる)。いずれも上級国民だ。

両者とも家族を失うという悲劇を引きずっていて、そこから逃れようと新たな世界に入る。ところが、新たな世界では新たな喪失感が待っていて、主人公達はそこに堕ちて逃げることができない。

庶民的な私の目線からすると逃避感覚が異常。今までの自分の捨て方、新たな世界に入る時の姿がとても極端で不気味だ。一方は吸血鬼世界への逃避、一方は同性愛(とも言いにくいが監督がそうだし)への逃避。

そういう逃げ方なの?という感じ。

二作品が描こうとした事は何なのか?

作風や舞台設定は全然違うのだが不気味さは共通している。主人公の二人は過去を忘れたい一方で、過去からどんどん呼び戻されてしまい、過去が一層鮮明となる宿命を負う。

この二作品は、不幸な運命から転換しようとする人たちが、悪魔の登場により堕ちていく姿を描いたように見える。悪魔の微笑みも、地獄では天使の笑顔。悪魔を呼び寄せるポイントは次?

1)現実逃避
逃避行が心に隙間を作り、そこに悪魔がすっと入ってくる。悪魔は2つの顔を持っている。美と死を秤にかけながら甘く囁く。美を取ろうとすると死がやってくる。秤は片方には傾かない。秤は中立しようとする。

2)失われたものへの執着
新たな世界で実際に手にできるものは、以前失ったものと大きく変わらない。むしろ、前の世界で成し遂げられなかったものが、増幅し形を変えて襲ってくる。悪夢が現実に、現実が妄想に。

3)生命との距離感
二作品の主人公は自分の命に執着していない。過去に失った何かを取り戻すために、人間であることをやめたり、伝染病が蔓延する地へわざわざ喜んで行ったりする。自分の命や現世より遙か遠くを見ている。

もし自分がこの立場になったら?という想像が働かない異質な世界観。人の内面、精神世界を視覚化したようにも見える作品だった。

インタビューア候補を襲った隠れた悲劇

「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」のクレジット最後、<リヴァー・フェニックスへ捧ぐ>という表示に初めて気付いた。

リヴァー・フェニックス(※)といえば、「スタンド・バイ・ミー」のクリス役。なぜ?とはっとした。最後の最後までしっかり見切らないと映画には隠れた何かがある。

調べてみると、当初、インタビューア役はリヴァー・フェニックスでキャスティングされていたのだが、撮影前に彼が亡くなり別の役者が演じたと分かった。

薬物中毒が原因だというが、実はヴァンパイアの仕業?と思ってしまう。なにしろ23才での早逝。神様も悪魔も若い才能を召そうとする。

長年持っていたオリジナリティへの疑い

ここからは余談。私にとっては重要なテーマだが本題ではない。

私が「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」を初めて見て以来、ずっと疑問に思っていた事がある。それは、この映画が萩尾望都の「ポーの一族」のコピーではないか、という事。

私が「ポーの一族」に出会ったのは確か1978年か1979年頃。先輩の家にあった全巻を一晩で読み尽くした。「ベルばら」の1、2巻を除き、ほとんど読んだことがなかった少女漫画の世界に本気で溶け込むきっかけとなった作品がこれ。

「ポーの一族」文庫版1の表紙

だから、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」との出会いは衝撃で、直感的にこれはコピーだと感じずっと今日まで来ていた。

しかし、その感覚は「ポーの一族」と同時期に対比して得たものではなかったので確信がなかった。そこで今回、改めて「ポーの一族」全巻を買い確かめてみた。新たな発見もあった。第二巻の末尾に作家の宮部みゆきがこんな事を書いている。

わたしなど人が悪いので、アン・ライスは「ポーの一族」を読んであの作品を書いたんじゃないかと横目で睨んでおりました。

小学館文庫「ポーの一族」2より

萩尾望都を読んだ事があるなら、きっと誰もが直感的に思う事だと思う。

「ポーの一族」を再読して思った事

結果的だが、あの感覚は心情的なものだったかもしれないが今の私の結論。ハリウッドなど海外エンタメ業界の日本名作コピー率は高い。たとえば、手塚治虫の「ジャングル大帝」。黒澤明作品。無償有償含めではあるが、私が長年持っているコピーに対する偏見は大きい。

読み直して思った事は、「ポーの一族」がモチーフとなったり、登場するキャラクター(特にメリーベル)が映画化に影響を与えている可能性は非常に高いが、内容としては別作品でコピー度は低いと思った。

萩尾望都を知らない人が先入観なしで見れば、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は秀作。キャストも最高。どちらを先に見てしまったかが運命を分けるだけだと思う。ただ、

時空間の遷移、舞台設定、多彩な登場人物、錯綜する人脈と愛憎、匂うような季節感、大道具と小道具、感情の起伏、冷気漂う作画など、タペストリーのように織り込まれた「ポーの一族」から見れば、残念ながら映画は霞む。

少女漫画とハリウッド映画、それも超大スター競演作とを比較しての落差に、私は日本人として安堵感をおぼえた。

キャスト、監督、スタッフ、制作会社など

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア:(※)
キャスト
出演:ブラッド・ピット、トム・クルーズ、キルスティン・ダンスト、クリスチャン・スレーター、スティーブン・レイ

監督、スタッフ
監督:ニール・ジョーダン
原作:アン・ライス
配給:ワーナーブラザーズ

ベニスに死す:(※)
キャスト
出演:ダーク・ボガード、ビヨルン・アンドレッセン、シルヴァーナ・マンガーノ

監督、スタッフ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:トーマス・マン(「トニオ・クレーガー」「魔の山」の)
配給:ワーナーブラザーズ

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