読書体験記
「分かり得ないと分かっているされども人である故我に日々問う」
私は何故本を読むのだろうか。非常に難解な問いである。読書という行為が日々の生活に溶け込んでいるために、あらゆることに思いを巡らせなければならなくなる。読書というものの性質を顧みても、答えが出ることは無いのだという気がする。私は何故生きているのかと自らに問い続けることに等しいのだ。
私が最初に本に触れたのは物心がつく以前なのだろう。実家には書斎のような部屋が一室あり、あらゆる本が並んでいた。父親が読書を好んでいたことは、本というものが身近な存在となる最大の要因だろう。小学生になる以前は、就寝前に父親が絵本を読み聞かせてくれるのが決まり事のようになっていた。その時間を楽しみに感じることは特に無かったが、それが最初の読書体験だろう。
その後、中学生になるまでは、本が好きだという気持ちを抱くことはなかった。本を読むこともあったが、さほど興味深いものだとは感じていなかった。
転機は、中学2年生の時だ。友人が『蛇にピアス』(金原ひとみ 集英社 2004)を貸してくれたのだ。それまでの私は、純文学というものに触れたことは無かったように思う。この純文学という言葉が如何なる定義であるのかは議論の余地があるように思うが、ここでそのことに触れているとそれだけで文章が終わってしまうため、異論を唱える方もどうかお許し頂きたい。どういった経緯で借りることになったのかは覚えていないが、すぐに読み終えたことを記憶している。正直なところ、さっぱり分からなかったというのが当時の感想だ。これは日頃から考えていることなのだが、この「分からない」という感覚は非常に大切だと感じる。自分が面白いと感じることは、所詮自分が知っている世界のことに過ぎず、「分からない」と感じることが真の面白さなのではないか。このように考えてしまった時点で、「面白い」という言葉を用いることが出来なくなってしまう気もするが、そう感じるのだ。この読書体験こそが、純文学作品を好んで読むようになった契機だろう。しかし、当時の私が「面白い」ということについてそのように考えるはずもなく、中学時代において他の純文学作品を読むことは殆ど無かった。
自ら好んで純文学作品を読むようになったのは高校生の時だ。先に触れた『蛇にピアス』と共に『蹴りたい背中』(綿矢りさ 河出書房新社 2003)で芥川賞を受賞した綿矢りさの著作は殆ど全て読んだ。私にとって、大切な作家の一人だ。この時期は精神的な苦しさを強く抱えていた。詳細は割愛するが、親の支配に耐え切れなくなっていた。全てに対して力を注ぐことが出来なくなったこの時期、本と共に生きていた。それは今も変わらず、本と共に生きている。
この時期には、書店や図書館の存在が大きな助けとなっていた。家に帰ることが苦しく、しかし部活動にも所属していなかった私は、放課後に書店や図書館を頻繁に訪れていた。無数の本に囲まれ、目についた本を手に取って読んでみたり、次は何を読もうかと考えたりしながら歩き回る時間が救いだった。ふと手に取った本を読み始め、作品の世界にのめりこんだ時の感覚は何とも形容し難い。時間というものは何処かへ行ってしまっていて、暫くの間、自分がその場から消えていたのではないかとさえ感じる。本という物自体を愛するようになったのは高校生の時だった。
その後は現在に至るまで純文学作品を読み続けているが、一体何故読むのかという問いに戻りたい。私にとって読書とは、苦しさと楽しさが等しく存在している行為なのだ。苦しさを感じてこその楽しさがそこには在る。先述したように、私は親との関係が良好でない。そのことに限らないが、苦しさを抱えているからこそ本を読み、そこに楽しさを見出すことが出来るのだろう。その読書の原体験が父親にあるというのは皮肉な気もするが、そのことさえも私が本を読む所以なのかもしれない。
現在の私が言えるのはこの程度のことである。少々格好をつけた言い方をするのであれば、人生が続く限りは本を読み続けるということなのだ。本は苦しさを認めてくれるような気がする。生きることはあまり好きではないが、読書に苦しみながら、読書を楽しみながら、私は生きていくのである。格好をつけ過ぎただろうか。
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