今の自分は過去の自分の連なり

今の私は過去の私の連なりで。
過去があるからこそ今の私がある。

私は彼を憎んではいないと簡単に嘯ける。
私は私の過去の愚かな恋を憎んではいない。
私は私の過去に抱いた傷を悔やんではいない。
私は私の過去があるからこそ強くなれた。
私は私の過去を誇りにすら思う。

言うのはとても簡単。

でも、そんなのは全部詭弁だ。

あの頃、ああではなかったら私はもっと普通の所謂「幸せな女の子」になれたのではと思うことがいくつもある。人とは違うと感じて劣等感で消えてしまいたくなることもなかったかもしれないと

本当はすべてを憎んでいる。

愚かで若かった自分も、かっこよく見えて仕方がなかった彼も、いまだ忘れない彼の香水の匂いも、部屋のレイアウトも、好きだったお酒、音楽、革の鞄、ベッドから見えた窓から差す埃を含んだ光、繰り返したセックス、触れる手、抱かれながら初めてキスをされてこぼした涙、息を殺して泣きながら見つめた脱衣所の床、伏見駅地下のクリスマスツリー、人混みと慣れないヒール、靴ずれの痛み、コンビニの前で彼を待った時間、その気温、それら全てに感受性を揺さぶられる自分も、生み出される創作意欲も、全部。

今でも振り返れば、そこに16歳の私がいる。

私の青春はきっと彼に食い潰された。
虫食いの穴だらけの青春。

金時計の下で泣きべそをかきながら立ち尽くした5、6時間。それでも彼の電話に胸が高鳴った。電話越しに寝ていたと言う彼に私は涙でぐちゃぐちゃな顔で大丈夫だとヘラヘラと笑った。

彼の「やっぱりこっちまで来てくれる?」という言葉に、すぐに私は彼の最寄り駅まで向かった。

この日の予定はデートではなかった。
彼の転勤の日が近付くにつれて連絡は自然と来なくなった。終わりが来たのだと分かっていた。

それでも最後にどうしても会いたくて、彼の家に置いてある私物を受け取る事を口実に約束を取り付けた。ただそれだけのために、私は目一杯おしゃれをしたのを覚えている。

その日、彼と会話したのは5分にも満たなかったと思う。彼から荷物を受け取り、すぐに帰ろうとする彼をどうしても引き止めたくて、私はダメ元で「お茶でもしないですか」と誘った。

「お茶っていう時間じゃないよね」

そう言って彼は苦笑した。

「5時間前ならお茶の時間だったよ」

その言葉は飲み込んだ。
私は彼の恋人では無かったから。

「そうだよね」
そう言って私はまたヘラヘラと笑った。

それが彼との最後の会話。

とても純粋だった。関係は不純だったけど、私の抱く感情はとても純粋だったと思う。

好きで好きでたまらなかった。
他の事なんてどうでもよかった。

彼は転勤が決まっていて、その時がくれば終わる関係だとわかっていたのに、死ぬまで彼に利用されていたいとすら願った。

私が未だに焦がれているのは決して彼にではない。あの頃の愚かで純粋な自分。
それは、今の私にはもう決して持つことのできない愚かさであり、純粋さだ。

そして私が未だに引きずっているのは決して彼への未練ではない。あの頃感じた様々な感情。
捨てたくても捨てきれない、悲しみや苦しみ。

それらすべてが私に与えた影響は語りきれない。
私の人格、生き方、考え方、趣味趣向、言葉、人とのコミュニケーション。

16歳の私はもういないけれど。
あんなふうにはもうなれないけれど。
過去の自分が遺したものが今の私を形作っている。それらは決して美しくはないと分かっている。

それでも私の言葉は過去の連なりが生んだもの。

過去が私を苛むのはいつものことだけど。 
過去が与えてくれるものもある。

それらすべてを良かったと肯定はできない。

そんな簡単なものじゃない。
忘れたいけど忘れたくない。

実際はああじゃなかったらと思うことばかり。
私の言葉の殆どは私の後悔や悲しみが生むもの。

それでもそれらが生み出した言葉が好き。
苦しくて悲しくてそれでも好き。
こんなもの消えてほしいと憎みながら、生まれた言葉が私を少しだけ癒やすような、そんな二律背反。

でも、それが私の唯一の救いなんだと思う。


まあでも、やっぱり。
本当は全部全部大嫌いだけど。


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