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あなたの全てに焦がれている

本が好きです。

なんかもう私の好きの枝葉の袂をみると結局同じところに行き着くので毎度同じ話をしているような気分です。

本が好きなのと同じ理由で私は誰かの話を聞くのが好きです。
私が好きな人、興味のある人の話は尚更好きです。

話の内容はなんだって構わない、愚痴でもいいです。あぁでも興味のない人の愚痴や批判的なお話は聞くに堪えないかもしれません。

でもきっと面白いなと思ってしまう。

誰かの考えていることに触れるのがたまらなく尊いと思っています。

私以外の人が一体なにを感じていて、それをどのように伝えるのかを私は知りたい。

そこに目的はありません。

好かれたいだとか嫌われたくないといった打算はないつもりですし、理解することで得たいものはないし、なんなら話を聞いたところで共感できない場合の方が多い。

私の考え方自体の根本はそう簡単にはもう変わることはないでしょうし、誰かに影響を受けたいと願っての衝動ではない。

私たちの人生はおそらく残念ながら一度きりで、以前に何かしらの生涯を終えていたとしても私は現に覚えていません。

であるならば、私は生涯私としてしか世界を観測できないし、感じられません。

そこにある種の軽い絶望すら感じます。あなたの見る世界はどれほど瞬いているでしょう、どれほどの風を感じて走っているのでしょう。立ち止まる足元の影の色をどのように感じているのか。

私は知りたい。

何があなたをそうさせたのか。

でもきっと本質的には理解出来得ないし、あなたにとっては語るに足らぬ微々たる出来事が積もるように重なり合って今のあなたの一部になっているから私はきっとあなたの何も知ることができないまま生涯を終えます。

それでも無関心ではいられません、あなたという人が生きてきた奇跡の全てに。

強いていうならば私は怒るのが嫌いです。
あれはとても不合理でどうしようもない。

とはいえ私にも許せないことがある、でもその時にあなたの理由を少しでも知っていたのなら腑に落とすことが出来るかもしれない。

怒りや争いは無知のような何かの不足による恐れが原因だと思っています。

憎しみもそう言った側面があるでしょう。

私は同じ人であると言う認識に甘えたくない。同じ言葉を扱っていたとしても何もかもが伝わると思いたくない、思えない。

だから知りたい、私とあなたが本当に話をするために。

ですが私のことを知って欲しいと思うのは傲慢だと思っています。

これは私の価値観で私の考え方だから。

私はあなたに伝わる言葉であなたと話がしたいと思っています。

知るために知りたい。

でも私はこんなこと言われたらちょっと怖いかもな、なんて思います。他人にここまで興味持てるなんてちょっと恐ろしい。

理由ない訳ないだろ、とも思う。
自分でもなぜかわからなくて気持ち悪いなと思うし嫌だなぁと思いますが、何もかもに興味があります。最近興味の度合いが平均値よりおそらく高いらしい、と知ってちょっと困惑しています。

最近はエスカレーターを激しく愛しています。

少し話がそれましたがまぁ諸々矛盾しているし、自身でも昔から気持ち悪いと思っているので私はこの事をあまり話しません。

話すのも上手じゃないですしね。

だからどうかこの話はご内密に。

じゃあなんでブログを書いてるのかはまた別のお話。

p.s 携帯でも文字数見れるようになってnote超便利。今日は1390文字です。読んでくれてありがとう。

読んでくださっただけでとても嬉しいです!いつもありがとうございます!