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西日暮里「ひぐらし坂」
西日暮里から田端をつなぐ。坂上は駒込あたりまで続く切通し、坂下には西日暮里駅、開成高校がある。途中、道灌山遺跡が発掘された場所があり古くから人が生活していたことがわかる。界隈の旧町名は日暮里渡辺町。
佐竹屋敷と渡辺町
この付近一帯は、秋田藩主佐竹右京大夫の広大な抱屋敷であった。約2万坪(約66000m2)に及ぶ敷地内には、「衆楽園」と名づけられた山荘があり、当時、城北屈指の名園として知られていた。
明治以降、笹や竹が生い茂り、『佐竹っ原』呼ばれるようになったが、大正5年に二十七銀行(後の東京渡辺銀行)頭取渡辺治右衛門が入手し、近代的田園都市を目指した高級住宅地を建設・分譲した。渡辺町ど呼ばれ、石井柏亭ら一多くの芸術家・文化人が住んだ。昭和七年の区制施行時に、日暮里渡辺町が正式地名に採用された。
道灌山遺跡
開成学園第ニグランドを中心に広がり、縄文時代.(およそ8000年前)から江戸時代にわたって営まれた集落址である。
これまでの調査により、縄文時代前期の住居址、弥生時代中期の住居址と溝(環濠)、平安時代の住居址、江戸時代の溝などが検出されている。グランドの北側から検出された環濠は幅約1.6m、深さ約1.3mで断面形がV字形を呈する。ほぼ東西に延び、台地上における弥生時代集落の居住区域の北限を示すと考えられる。
第一号住居址
開成学園第ニグランド内から発見された弥生時代中期の住居址である。平面形は四隅が丸い長方形を呈し、長径約5.6m、短径約4.4m、深さ約20cmである。
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