マガジンのカバー画像

明智光秀 近江出身説

17
明智光秀が 近江 多賀 佐目の出身であるという事を前提に 今まで研究されてこなかった地域の伝書、多賀大社、本願寺番方 法蔵寺佐目道場、六角氏との関係など、マニアックに検証したいと… もっと読む
運営しているクリエイター

#麒麟がくる

11.初登場の光秀と多賀と信長上洛

基本的に私のこの投稿の欠陥は、六角氏と明智家がつながっていたという仮定を元に書いていますし、そもそも、殆ど専門家の本などを読んでいないのと、戦国好きという訳ではなかったので、基礎的な事を全く知らず辻褄が合わない所も出てくるかもしれません。 又、光秀はじめ、地元にかかわる方はエコ贔屓しますし、近江出身説に無理やり持っていこうという深層心理も働いてしまう事をご理解の上(笑) 、温かくゆるやかな気持ちで読んで頂ければ、幸いです。 1.足利義輝 暗殺される1565年(永禄8年)

10.明智と六角と、忍者・多賀坊人誕生

前回 09.明智神社と、光秀近江出身説  では、光秀が生まれる前の佐目のポジションについてお話しました。 今回は、光秀の一生を理解する上で必要なバックボーンについてお話します。最初にお断りしておきますと、もちろん 「光秀が、近江の多賀の佐目」で育っていた という強引な視点と、光秀、近江守護六角氏、本願寺、地元土豪をエコ贔屓するのは言うまでもありません(笑) 1.近江守護 佐々木六角氏とは ドラマでは、どうしても信長・秀吉など天下とった、つまり近江を手に入れた人が主人公に

明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』 もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。 今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。 昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 〇〇」の○○が、マニアック過ぎて 自分のサイトやこのNOTEの記事が検索に引っ掛