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明智光秀 近江出身説

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明智光秀が 近江 多賀 佐目の出身であるという事を前提に 今まで研究されてこなかった地域の伝書、多賀大社、本願寺番方 法蔵寺佐目道場、六角氏との関係など、マニアックに検証したいと… もっと読む
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2019年7月の記事一覧

明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』 もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。 今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。 昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 〇〇」の○○が、マニアック過ぎて 自分のサイトやこのNOTEの記事が検索に引っ掛

08.出てきた!隠された「明智光秀の記録帳」

佐目集落の歴史を調べる集まりがあった。 現在、佐目の歴史を書き遺してある資料は既に亡くなられいる田畑喜與門氏が書かれた物だけだった。そこには、明智光秀に関する伝承は載っていない上に、江戸時代の記録もほぼない。佐目の歴史は、多賀町誌を見ても殆どなく、各家を回って調べられてた様子もないように思う。 昔の事はお寺に聞けと言われるが、室町、江戸の頃は違うお寺だったので、その当時の事は現在わからない。突撃訪問してもムダという事だ。 そんな状況の中で田畑氏の息子さんが、持ってこられ