ここまでのキャリアの振り返り

現職に就いて半年が経過しました。これまでの人生を軽く振り返るには十分な期間かと思い筆を執りました。

「英語好きで環境派の高校生が30年後に外資系企業で再生可能エネルギーに携わっています!」と切り取っていうと至極当然のキャリアのように聞こえるかもしれません。ですが、道なき道を歩み、現職が5社目(出向経験も含めると7社目)というのが実際です。ようやく辿り着いた「理想郷」のような場です(もちろんどの会社も甘くないですが)。

今振り返ると「1社目がなければ2社目もなく、2社目がなければ3社目目がなく、」という現職に辿り着いたのは奇跡のような出来事。場当たり的な人生なのかもしれませんが、今の自分は高校生の頃の自分に胸を張って見せられると思っています。

1社目は環境プラントメーカーでの開発職(商品開発・事業開発)。6年半勤めて様々な理由があり若気の至りで飛び出しました。そのまま残ることもできたし、あの時代は今のように転職前提で入社する訳ではなく、同社が今も業界の主要プレイヤーであることを見ても様々な選択があるべきだったと思います。

2社目は某総合シンクタンクの地球環境部門。いやあ、とにかく仕事が大変でした。業界的に30代が華という職場(肉体的・精神的)。そこへ30になる年齢で入社し、即戦力スキルがない状態でとても苦労しました。ただ、成長するためのよい機会を幾度も与えていただき、例えば電力会社と共同で設立した会社への出向や霞が関への出向(それぞれ3年間)。また出向期間は業務負荷が比較的低く、某財団のリーダーシッププログラムに参加することもできました。もちろんこの会社で最後まで勤め上げると信じ、昇格も昇給も見込めない中必死で働いてきてようやく目に見える一定の成果が出始め自分に自信を持てるまで15年近くかかりました。

ちょうどそのとき、上記のリーダーシッププログラムで一緒に活動させてもらった仲間から声がかかり、45歳の年齢でまさかの転職となりました。分野を「環境・エネルギー」から「宇宙」に変え、どこまでやれるのか毎日もがきながらの日々でしたが、15年間ドメスティックな市場で闘ってきたのが入社早々ベイエリア(サンフランシスコ)に出張したり、ジーンズでOKという職場環境に変わったり、毎日が本当に異世界でした。結局その会社は1年で去りました。様々な理由がありましたが、決め手は高校生の頃に自分にコミットした「地球環境のために働くこと」ができていないと痛感したこと。(もちろん仕事にはそれぞれやりがいがあります。)

「では次はどういう進路を?」と考えたときに再生可能エネルギー企業が頭に浮かびましたが、福島原発の廃炉を手掛ける会社から偶然声がかかりました。外資系、ベンチャー気質、社会環境系の業務、過去の業務経験を活かせるなどといったいくつかの要素がマッチし、自分でもまったく想定していなかった選択をしました。海外出張は前職で少し慣れていたので大丈夫でしたが、定期的・頻繁に外国の同僚とCallを持つなど、今までの英語力では足りないという現実にもぶつかりました。様々な業務経験をしてきてどこでも一定のバリューを発揮できると自信を持っていましたが、やはり自分のベースになっているのは長年のリサーチ&コンサルティング経験。なんでもかんでもできる訳ではないということを痛感しました。なので、足りない英語力はこの年齢ではありますが必死で底上げしようと努力しましたし(今も継続中)、足りない知識は恥ずかしがらずに人に聞き、また自分でも必死で勉強しました。そんな中、同社を卒業タイミングと感じていた頃(ちょうど私の一番の採用理由であったプロジェクトの終了局面)に今の会社と出会い、コンサルティングバックグラウンドを持っている環境・再エネ系の人はウェルカムとのことで、このチャンスしかないと必死でアピールしました。無事入社させていただき業界の素人なりにも半年間勤務。多くを学び、まだわからないところが多々ありながらも、新たにつくっていただいたポジションを自分なりにデザインしながらの半年間です。

「自分が社会にとって不可欠なピースとなる!」というのは非常に重要な意気込みですが、それも自分の「売り」となる社会的価値をつくらなければはまりようがないのが現実だと思います。そしてそれは50歳という年齢が近づいてからでも決して遅くはなく、若手・ミドルの方々には「決して焦らず、遠くから自分や周囲、社会を眺めることも必要ですよ」とお伝えしたいです。

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