「娑婆に出る」vol.8

さあ、いよいよ連載のラストです。
(将来的に続きを加筆するか否かは未定です。)

社長直轄の新事業グループに配属された入社6年目のhello!ですが、事業立上げ期の生みの苦しみを我慢できない社長の横暴に対して遂に反旗を翻します。
相思相愛で入社したのは遠い昔。もはや、自らの身を切ることによりご自身の行為の愚かさを自覚していただくことしか頭にありませんでした。

と、退職の決意をしたまでは仮によかったとしても、具体的に何をやりたいかというと特に何も出てこないのです。
今思えばそれは、同社で「やりたいことをやれていたから」だと思います。
ただ、このまま良き日ばかりが続いていくはずがないと思っていたことも事実。
連載のどこかで書きましたが、私は(真の)エンジニアではありませんでした。
その辺りも心のどこかに引っかかっていたはずです。

こういう肝心なときに現職でお世話になっている方々に相談しない習性は今も変わりません。
自分の人生に関わることは近しい人には相談しない。それは情が決意を鈍らせるということもありますが、割とドライに生活費を稼ぐという最低限の責務を果たす以外は自分自身で人生を決めるという思いもあります。
「自分のことは自分自身がいちばん見えていない」ということに実は気付いています。その一方で、自分の心の中や、心の動き・揺らぎは自分にしか見えていないと思うのです。
だからどんなに合理的な選択肢や助言・金言を示していただいたとしても、自分が感じたわだかまりは自分自身で消し去るしか方法がないと思ってしまうのです。

あー、めんどうくさいやつ・・・

とりあえず転職サイト(当時もありました!笑)に登録したまではよいのですが、「これ」という求人が見当たらないのです。
大学四年生のときに志望順位が高かった会社にチャレンジすればよいじゃないか、と思う方もおられるかもしれません。
しかし、それは私的に"NG"です。
同業他社に行くなんて、恩を仇で返すことはできません。
それに私の中ではこの会社がTOP企業です。学生時代に外から見えていた姿や企業規模は関係ありません。
勝手に辞めていく人間の言葉じゃないですが・・・。

で、そうですねぇ、「環境コンサルとかに行くのかなぁ」などと思い、でもなんかしっくりこないなぁなどと躊躇していました。
そういえば面接に応じてくださった会社が実はあったのですが、その場で「弊社に来てくださるというならありがたいですが、hello!さんにはもっと適した会社があると思いますよ」と面接官から諫められ、余計に訳が分からなくなっていました。

そしてこの後でしょうか。正式に辞令が出ました。
技術系の別の部署に異動です。同社の中では今後の注力分野、重要ポジションであることはもちろんわかります。
でも既に私の気持ちは切れていました。大変申し訳ございません。

そんなある日、転職サイトにスカウトメールの着信があり、「お!」と思って開くと聞いたことのない会社から
「シンクタンクに興味はないですか?」
と一言。

「なんじゃこりゃ!?」と思いましたが、そういえば研究室の先輩や同期も入社している業界です。
それまではまったく興味も関心もありませんでしたが、とりあえず話くらい聞いてみる価値はあるか、と思い、新橋にあるそのエージェントさん(A社)に向かいました。

A社の担当エージェントNさんはまあ「尊大」な方でした(笑)。
応接室に通されると、デスクの上に5,6社の日系シンクタンクのHPから中途採用Webページを印刷しておいてあって、「で、どこ行きたいの?」と。
いえ、あの、まずはシンクタンクってどんな業界か教えてくださいよ、と思わず本音が漏れそうになりましたが、そんなこと言ったら「お前バカか、帰れ!」とでも言われそうな雰囲気。
こりゃあ参ったなぁ、、、と額から汗を噴出しながら、各社の採用ニーズを見比べていきます。Nさんはひたすらタバコをプカプカ。臭い・・・。
こんなん、どこも無理だよ。全然仕事のイメージが湧かない・・・と真剣に悩んでいるとNさんは徐々にイライラ度を高めていきます。
さすがにこれ以上待たせられないと思い、えいや!と指を差したのは、研究室の先輩や同期が在籍している会社でした。
もう深い理由とかないですよ、あの人達に務まっているのなら私にもなんとかなる「かも」しれない、というそんなノリです。
もうそれしかなかった(涙)。

「あっそ。●●ね。ここの募集って、『地球温暖化に係る研究』ってあるけど、アンタわかるの?」
「え、まあ、一般の方々よりは分かるのは間違いないと思うんですが」
「あっそ。じゃあ、ダメだと思うけど一応連絡しておきますよ」

こんな感じ。当時の転職エージェントさんがみんなこうだったかというとそんなことはないはずなのですが、まあ「事故」ですかね、「事故」(笑)。
その後は、この方は外資系TI社ご出身の方だったらしいんですが、延々と武勇伝に自慢話。
テーブルひっくり返して帰ってやろうか、とまでは思いませんでしたが、それに近い気分。拷問でした・・・。

それからわずか数日後にNさんから電話がありました。声色からすると、ちょっと驚いた感じでした。
「hello!さん、先方が会いたいって言ってるけど。それが、「温暖化」じゃなくて「廃棄物」の担当らしいんだけど大丈夫?」
「いやあ、むしろそっちのほうがフィット感があります。伺います!」

という訳で面接に行くと、先方は2名。廃棄物・リサイクル系の部署の部長と主席研究員。
そういえば、この業界の某社にお世話?になったときにこういう感じの方々が出てきたなぁ、なんて一瞬思いましたが、意外にもえらく話が盛り上がりまして。
実は一番盛り上がったのは現職が開発している技術でした。同社が非常に勘所のよいR&Dをしていることがトップシンクタンカーの言葉の端々からわかりました。
やはり、私が出会った会社は最高の会社だったんだ。名前でも規模でもない、見る人が見ればわかる。そう感じて、とても嬉しくなりました。
辞めますが、辞めますが、この会社への「愛」は相当なものだったのです。
筆記試験もパス。残るはあと2度の面接。この辺りからエージェントNさんの当たりが変わってきます。ずーっとほっぽらかしだったくせに、(猫なで声で)やたらとアドバイスしてくるのです。

もう、正直言って一人で大丈夫ですから、、、

と心中思っていました。とはいえ、まあひどい出会いではありましたが、この先どうなろうとシンクタンクへの道を切り開くきっかけをつくってくださったのは間違いなくNさんですから、最後まで真摯に応対させていただきました。
という訳で、本部長面談→役員・人事面談と選考は無事終了。一ヶ月の転職活動で内定を獲得しました。

この後Nさんに一度だけお会いしたところ、顔に「俺の手柄」と書いてあったのでかなり笑えましたが、まあ今となってはいい思い出です。
本当にこれは快挙でして、というのも確かこの5年前くらいから同社は修士必須とし、学部卒を一人も採用していないのです。
それが異例中の異例で私を採用。入社後に「なぜ学部卒の私を採用してくださったんですか?」とN部長に伺ったところ、「君の6年半の実務経験が修士卒に相当すると評価した」とのお言葉。

いやあ、しびれました。

敢えて大学院進学を選ばず、社会に出て大逆転するという構想を描いて8年近い歳月が経過していました。その構想を地で行った訳です。
院卒であっても誰もが入れる会社ではない、そんなところへ学生時代にまったく勉強しなかったスケート馬鹿がすこっとハマったのです。
当時産休中で会社を不在にしていた大学同期Rさんには事前に何も相談していなかったので、最初はえらく憤慨していましたが(滝汗......)。

そして大切なのは退職活動です。
1か月間を要したのですが、一番心苦しかったのは最後の3か月置いていただいた部署でした。勝手な人事異動で私は本意ではなかったのですがお世話になる形になりまして、でもその時には退職の意思を固めていた訳です。
時代は今と違いますからね、当時寛大な心で送別会まで催してくださったO課長には本当に頭が上がりません。退職後、一度お電話差し上げたことがありますが、お元気そうで嬉しかったです。
新事業グループのほうは、「そうか、やめるのか。まあ、そうなるわな」的な反応でした。その頃はもうグループ解散間近で技術のKさんが孤軍奮闘していました。。。
しかしまあ、いろんな波及効果もあるもので、「そういえば」と図書室に呼び出したのが同じ大学出の後輩Mさん。
「今月で辞めるから」と伝えると、「hello!さんがいたから大丈夫だと思って、この会社に入ったのに。。。」と困惑顔。
確かに15年間不毛のルートを切り拓いたのが私だとしたら、範となるべき存在だったと思いますが、現実は厳しかったです。。。
そして最終日に社長室に呼ばれていまして、まあ何を言われても気にしない、と思ってソファーにかけて待っていました。すると、社長が急遽来れなくなった(本当か!?笑)ということで、副社長が代わりにいらっしゃいました。この方が、元人事部長、要は妻の元上司で私達の結婚式の主賓だったのです。
やられたー、と思いましたね、苦笑......

「要は君はこの会社に合わなかった訳だな」と一言

神妙な面持ちで頭を垂れておきました。

その翌年くらいでしょうか、執行役員に就任されたNさんから夜のお誘いがありました。
随分値段の張りそうなお店、同席してくれたのは私の一期下のTくん。話せば、私のライバル会社(シンクタンク)に出向中とのこと。
Nさんは「どうして一言言ってくれなかったんだ。シンクタンクごとき、行きたければ行かせられたし、うちの会社でも頑張ればこのくらいの贅沢はできるんだぜ」と伝えたかったのかもしれません。退職直前の再三にわたる慰留に続き、「まだ忘れてないから」な的お誘い。とっくに忘れられて然るべき存在だっただけにそのお気遣いが本当に嬉しかったです。

そんなNさんですが、あるとき具合を悪くされ入院しておられるという知らせがどこからともなく入りました。
お見舞いに行かなくては!と手紙を書いたのですが、直筆で「元気になったらまた逢いましょう」というようなお返事をくださいました。今もその葉書は自宅の書棚に飾ってあります。
近しい人間に聞くと、「復帰間近、社長に最も近い存在」という評だったので安心していたのですが、その1,2か月後にNさんは亡くなりました。今の私と年齢的に変わらないくらいの出来事でしょうか。本当に口惜しかったことと思います。十分すぎるほど社会に貢献し、そしてまだ、その思いは衰えるどころか燃え盛る炎のように熱かった。それにも関わらずです。
私がこれまでの社会人生活で尊敬する人物はMさん、Nさんを置いて他に存在しません。他に5社を経験したというのにです。

という訳で、私を新卒で受け入れてくださった同社はある青二才の思いを実現させてくださった素晴らしい会社です。
そして私周辺の年次が経営の中枢にいる今、あの頃打ち破れなかった「中堅」の二文字を取っ払う勢いで史上最高の売上、利益を叩き出しています。

今、私は「最強の自分」に出会っている訳ですが、「最高の二十代」を過ごせたのは同社に入社できたからこそ、と言って過言ではありません。

と筆の納め所を失ってしまったので、この辺で尻切れトンボ的に失礼します。

実はこの後がないと今の私は語れないのですが、公共の電波??ではさすがに・・・。
この先、どういう内容をどんな頻度で書いていくかはまたゆっくりと考えて参ります。
とりあえずこの連載コラムで「高校生~二十代」のhello!の生き様をそれなりに写実できたかと思います。
思いの外、濃い人生を送っているのかもしれませんね(笑)。

ではでは!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?