子供たちがオトナになっていくよ

我が家は四人一家。娘が二人。世帯に男性は私一人。
家庭におけるオヤジの居場所というものはどういうものなのだろう。
世帯主であるということ以前に、この家で自分はどのように処すべきなのか、今までもそう、今でも時おり真剣に考えている。
長女は就職も決まり、来春から新社会人だ。中学生の頃からあまり勉強ができるほうではなかったものの、スポーツや芸術、美的センス、海外への関心、周囲への気遣いなどいろんな方面に秀でているといつも感じていたので、彼女が興味を持つ方、優しくしなやかに強くなれそうな進路を一緒に考えてきた。選んだ高校も大学も、学生時代に取り組んだことも、そして選んだ職業も彼女らしくてよいなと思っている。何も自分の子供だからといって自分と似た価値観を持つとは限らないし、それを押し付けようとも思わない。なんとなく彼女が進もうとしている方向には共感できる。向こうもきっとそう思っているのだろう。
次女は来春から大学に進学する。分かり合えないところは多数あるが、実は彼女と私はかなり似ているのだと思う。似ているがゆえに成功パターンも失敗パターンも同じ。自分が「これが正解」と思いそのまま突き進んで失敗することが、彼女がやろうとすると「やらなきゃいいのに」と冷ややかに見ているときがある。自分ではないがゆえに見える誤り、過ち。彼女は私の映し鏡のように「お前のこういうところがだめなんだ」と現実を突き付けてくる。現実や社会に翻弄されながらもなんとかかんとか生きる彼女の姿は若い頃の自分を見るようでなんというかこっぱずかしい。もうちょっとうまくやれそうにも思うが、それは自分がトシを取ったからであって、彼女らしいし自分らしくもあるし、そこそこいい線は行っているので余計な口出しはよそうと思っている。彼女の場合は私がどうこう言わない方がうまくいくパターン。自分で気づくことが重要だと思っている。
こんな形で子供達の未来を一緒に眺めながら、自分自身の老いに抗わず受け容れるのも悪くない。何かひとつに尖るというよりも満遍なく分け与えていきたいし、その中の凸凹を少しでも減らしていければと思っている。すべてがうまくいくことなんてありえないことだけれども、何かを極める人生ではなかったから、全体の調和を求めて生きるのがいちばん自分らしいと思う。
子供達に配った目や気は間違いなく返ってくる、家族の幸せという形で。だから本気になれるし、ただ過干渉はしないようにと留意している。
土曜日の朝にひとり物思いに耽りながら、悪くない日々だなとコーヒーを啜る。さあ、外の空気を吸おう。

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